20. 01 / 30
神施工
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sekimoto
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我々の図面が細かすぎると言われることもありますが、この現場にはそんなことを言う人はいません。彼らの方が我々をはるかに凌駕していますから。
大和工務店の堀越棟梁、家具を担当する藤沢木工所の藤沢さん、みんな神施工。その精度はもはやミリですらなく、文字通り紙一重(紙一枚分)の世界。本当にすごい。そして最高に楽しい!
24~25日の2日間に亘りまして「花小金井の家」のオープンハウスを実施させて頂き、大変多くの方に足をお運びいただきました。お越しくださった皆さま、誠にありがとうございました。
この住まいに込めた外部への意識や街並みへの配慮については先に書いた通りですが、内部の設えについても思うところを少し書きたいと思います。
今回、目上のとある建築家の方からはこんなコメントを頂きました。「兎角、機能とデザインとを天秤に掛けがちだが、見事にコトのデザインを両立している」
「コトのデザイン」
なるほどと思いました。ようやく我々の仕事を最も的確に表現した言葉と出会えたような気がしました。
同業の設計者などからは以前より、とにかく我々の設計は細かい、建主に向き合った設計であるということをよく言われてきました。
でも私にはいつもこれがとても不思議で、だって我々より細かい繊細な設計をされている方は他にもたくさんいるし、住宅を真面目に設計されている方なら、皆さん建主に向き合っていないはずがないからです。
おそらくリオタデザインの設計の最大の特徴は、とにかく「モノではなくコトを設計している」ということなのだろうと思います。
例えば収納ひとつとっても、多くの設計者は収納場所を考えます。納戸を設けたり、吊り戸棚などを設けて、内部には可動棚などを設けるところまでかもしれません。これはモノの設計です。
我々はそこに、いつ、どんな物を、どんな風にしまって、どんな風に取り出すかというシュミレーションをした上で、そこに例えば無印良品のラタンボックスが何個並ぶかというところまでを計算して設計に織り込んでゆきます。これはコトの設計ということになるかもしれません。
あるいは床にスキップ(段差)を設けると、空間に奥行き感が生まれたり、デザイン的にも特徴ある空間になります。写真映えもするかもしれない。これはモノの設計ですね。
けれども、この段差にふと腰掛けた時に窓の外の緑が目に飛び込んできて、背板を省いた収納を通して向こう側の家族の顔が見えると楽しいだろうなという設計は、コトの設計です。
私はそんな設計の趣旨を相手に語る時、つい熱が入って小芝居をしているようになることがあります。でもそうしないと伝わらないんです、我々の設計は。実際に出来上がって生活すればわかって頂けるのですが。
そんな我々の設計手法を、私は「映画のワンシーンを撮るように」と表現してきました。私は映画を撮ったことはありませんが、映画監督の気持ちはとてもよくわかります。シーンごとにストーリーがあり、カメラアングルもここでなくてはいけないというポジションがあるはずなのです。
機能かデザインかではなく、コトをデザインする。
今回の住宅はそんな言葉がぴったりくるような住宅でした。
本日、大学の非常勤講師として最後の授業を終えました。
母校である日本大学理工学部建築学科の非常勤講師は、2007年より通算で10年務めさせて頂きました(途中2年の退任期間あり)。前期後期をあわせると、のべ400人くらいの学生さんを教えたことになります。
しかし10年、400人教えただけ教え方が上手くなったかというと全くそんなことはなく、もしかしたら過去のほうが上手く教えられていたのではないかと思うことさえあります。皮肉なものです。
啐啄(そったく)という言葉があります。雛が卵から孵ろうとするとき、卵の内側から嘴でコツコツとつつく音に反応して、親鳥が外側から殻をつつき割るという状態。禅においては、師弟間の呼吸がぴったり合い、機が熟したタイミングで師が弟子に教えを授けるさまを差したりします。
親子の関係もそうですが、上から一方的に授ければ人はそれを吸収するわけではなく、教える者、教わる者同士が共に心を開き、相手の言葉に耳を傾ける状態を作らなければ教育というものは成立しません。まさに啐啄です。
人との出会いというものはいつも一期一会です。あるときにはクラスの意識と自身の感性がぴたりと合って、素晴らしい作品群が次々と生まれることもあれば、最後までちぐはぐで自分の言葉が学生の心に届いていないと感じるときもあります。そんな時の無力感といったら…。
教えるという技術はおそらく着任当時から比べれば上がっていると思いますが、人の心は残念ながら技術では開きません。前回は開いたアカウントに次はまた鍵がかかり、最後にようやく開くと次にはまた鍵がかかり。この10年はまさにその繰り返しだったような気がします。
ごく希に、今日は良い指導ができたと手応えを感じて帰路につくこともありましたが、ほとんどはドーンと落ち込んで帰路についていました。学生は好きでしたが彼らの能力を引き出しきれない自分が歯がゆく、自分は講師には向いていない、いつもそう思っていました。そんな日々からもようやく解放されます。
それでも続けてこれたのは、たまに学生がこちらの言葉に反応して見せる、何かを発見したような好奇心に満ちた表情。あの表情を引き出したくて毎回どんな言葉をかけようか考え続けてきました。私の未熟な指導についてきてくれた学生には感謝しかありません。どうもありがとう。
そして大学関係者の皆さまにも心より御礼申し上げます。
もう大学からお呼びがかかるようなことはないでしょう。私のフィールドは、やはりリアルな設計の現場にあるような気がします。これからは分相応のフィールドで、自分の力を出し切りたいと思います。
安いホテルしか泊まったことのないスタッフのために社員研修を兼ねて軽井沢。建築は空間体験以上のものは作れないと思うから。
我々にご依頼くださる方の中には、こういう場所に普通に泊まる方も多くいらっしゃいます。素材の違いだけではなく、おもてなしの質や、それが空間から演出されるものであるということも知ってもらいたいです。
腹を割っていろんな話ができるこんな機会も貴重です。昨日の夜に来て、今朝には帰ります。仕事には穴は開けませんのでご安心ください。
20. 01 / 19
街の顔をつくる
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sekimoto
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> 仕事
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花小金井の家、小雪が降る中昨日は施主検査がありました。現場はまだ外構を残していますが、内部と造園はほぼ完了です。
この住宅はスタッフ砂庭の最後の担当案件で、彼女はこの仕事を最後に今月末には事務所を離れます。いろんな意味で、この住宅は彼女なりの集大成の仕事になったのではないかと思います。
毎回思うことですが、自分たちの仕事というものはなかなか客観視することができません。自分たちではそれがベストと思える選択肢を積み上げてきているつもりですが、それが積み上がった姿が本当にベストであるかどうかは、もはや我々の判断を越えたところにあるように思うからです。
この日は検査後、諸事情あって引き渡しを待たずに、一足先に工務店さんや造園家も交えての打上げの席を設けて頂きました。私はこういう席が好きで、関係者とお互いを労いあいながら、困難だったプロセスやあの時どんなことを考えていたかなど振り返る良い機会になります。
そしてもう少し言うと、我々にとっての本当の仕事のゴールは、建主に依頼された住宅を正確につくるということですらもしかしたらなく、それが街の共有資産になり愛される「街の顔をつくる」ということにあります。こちらは街ゆく人たちによって、長い時間をかけて今後評価されてゆくことですが。
以前も書きましたが、今週24〜25日にかけて内覧の機会を設けます。ご興味ある方は、個別にご連絡頂ければご案内をお送りさせて頂きます。
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