15. 09 / 01
[西荻の家]写真をアップしました
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sekimoto
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今年2月に竣工した西荻の家(T邸)の写真を以下にアップしました。
是非ご覧下さい。今回の撮影は繁田諭さんです。
[西荻の家]
https://www.riotadesign.com/works/15_nishiogi/#wttl
当初撮影は6月くらいに考えていたのですが、それから梅雨にたたられ、延期を繰り返しているうちに8月になってしまいました。ですが季節は夏!クライアントが道路際に植えられた向日葵が、あっという間にルーバーの高さを超えてしまうというハプニング。
ルーバーは道路側からほとんど見えなくなってしまいましたが、逆にこの状況はいかにも夏らしくてイイですね。私はすっかり気に入ってしまいました。(一瞬、タイトルを「向日葵の家」に変えようかと思ったほど)
惜しむらくは、この撮影の2日後に向日葵も満開になったそうです。でも・・そうしたら完全に建物は向日葵に喰われてしまったかもしれません笑
この家の魅力は、なんといってもふんだんに使った自然素材の競演でしょうか。壁には全面的に漆喰を使い、天井にもレッドシダーが惜しげもなく使われています。
すべてはクライアントとの協働作業によるもので、その作業はラジオのチューナーを合わせるが如く、いかにクリアな音質でその空間性を響かせるかという点に最も労力を注いだ住宅でした。
繁田さんも、素晴らしい写真をありがとうございました!
15. 08 / 30
ホテルオークラ
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sekimoto
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> 建築・デザイン
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今日は外出中に、今月いっぱいで閉館し解体されるホテルオークラ本館のことを急に思い出し、急遽立ち寄ることにした。なんだか行かないと後悔する気がしたからだ。
この夏はSNS等で、このホテルオークラの写真をこれでもかというくらいに見た。自分が行ってきたことを皆アリバイのように載せるからだ。この日もオークラはすごいことになっていた。そして皆片手にはスマホ。きっとみんなリアルタイムにSNSに投稿しているに違いない。
そして私もやっぱり写真など載せてみる。
へそ曲がりの私としては少し悔しいが、アリバイのためである。
皆口々に惜しむ声。海外からも保存を求める声。わかる。本当に素晴らしい空間だし、今日はわざわざ来て本当に良かった。今これを壊したら、もう二度とこの空間は作れない。その通りだろうな。なんとかして残して欲しい。それも人情だろう。
でも私はこう思った。
この本館の担ってきた役割は終わったのだと。
ホテル全体で眺めてみたときに、やはり老朽化は否めない。52年間もこの空間を改変せずに、このまま使い続けてきたホテルの営業努力をむしろ称えるべきであろう。
もちろんリノベーションによって蘇るものはある。しかし如何せん古い。これはもう歴然とした事実として受け入れなくてはならないだろう。埃のかぶった店子を見るにつけ、また現代のホテル事情から大きく取り残された感のあるサービスの器としても、私の目には限界に映る。これじゃあ生き残れない。残念だけれど、ホテル側の決断は極めて妥当なものだろうと思う。
恥ずかしながら、私もホテルオークラに足を運んだのは今日が初めてだった。そしてスマホ片手に熱心に写真を撮っていた人達の中には、都内に泊まるときはいつもオークラです的な方もいただろうが、おそらく多くの方にとってはこの日がオークラ初体験であったに違いない。そしてその人達が、皆口々に別れを惜しむ。
なんだかそれを見ていたら可笑しくなってしまって、これまで一度も足を向けたことのないお爺ちゃんの入院先に、「そろそろ危ない」の声を聞いて、ゾロゾロと見知らぬ親族たちが集まるシーンを思い浮かべてしまった。
あの、どちら様でしたっけ?
えっと、従兄弟の叔父の奥さんの友達です、みたいな。(友達かよ)
私ですか?
えっと、その友達の、そのまた知り合いの知り合いです。くらいの関係かもしれない。
でもこうやって、別れを惜しむという事が大切なんだろうな、とこの日もしみじみ思った。みんながお爺ちゃんはこんなすごい人だったんだって、これまで不義理ばかりしてきたけど、最後はみんなでお爺ちゃんの話をして温かく見送ってあげよう、ていう気持ち。きっと、オークラ本館も大往生に違いない。
でもたぶん新しいオークラができたら言うだろうな。古いオークラの空間はね、って。一度しか行ってないけど。若いの前にして、偉そうに先代の偉業語るみたいな。
友達の、そのまた知り合いの知り合いのくせにね。
15. 08 / 13
伊礼事務所に
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sekimoto
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> 建築・デザイン
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お盆に入り、事務所もしばし夏休み。そんな休みに入る前、タニタハウジングウェアの谷田社長(写真左)と、建築家の伊礼智さん(写真右)の事務所にお邪魔してきました。
伊礼さんは、今や日本一人気のある住宅作家さんと言っても過言ではないかもしれません。和モダンの端正な作風と、美しいプロポーションを持つ機能的で柔らかい室内空間が印象的で、「ディテールの標準化」「普通の家」といった、少し前なら建築家が絶対言っちゃいけなかったキーワード(?)の"タブー"を初めて破った方かもしれません。
でもそれは私も住宅設計を志した時から、ずっと漠然と思っていたことだったので、伊礼さんの作風や言説にはとても共感する部分は大きかったです。そしてそれは時代の空気であったようにも思います。
一方で伊礼さんの方法論は、あまりに歯切れが良くわかりやすいだけに、良くも悪くも多くの亜流を作り出しても来ました。ある人は意識的に、ある人は無意識に。
そして私もその例外ではなく、今では試行錯誤の末に自分のものとなりましたが、そのディテールの幾つかは事務所の初期の礎を作るのに欠かせないものであったことは、隠さずここで告白しておこうと思います。
伊礼さんは私にとっては雲の上のような方ですが、タニタガルバコンテストのトークイベントでご一緒してから意気投合し、今回このような席を谷田社長の計らいで設けてもらいました。
あらためてじっくりお話をお伺いして、住宅に対する考えや仕事に対する考え方など、僭越ながらとても共通点が多かったですし、臨床医的な、あるいは町医者的な建築家のあり方に、私の背中もあらためて押していただけたような気もしています。
その後も事務所のある目白の街を転々と…。熱い話が夜遅くまで繰り広げられたのでした。伊礼さん、谷田さん、どうもありがとうございました!
友人の一人が新国立競技場のプロジェクトに関わっていた。私は一人の友人として、彼の仕事が無事成就し、オリンピックの開会式を誇らしい気持ちで眺めることを楽しみにしていた。
新国立競技場建設計画の白紙撤回は至極当然であろう。国民の一人として心からそう思う。人はこれまで費やしてきた時間や費用、熱量が大きければ大きいほど、それらとの決別は難しくなる。ギャンブルと同じだ。それを断ち切れたことは、たとえそれが安保絡みの国民の反感を逸らすためだったとしても、英断だと思うし評価に値すると思う。
しかし私は建築に生きる建築人だ。
このニュースに安堵したと同時に、この計画の実現に向けて関わってきた多くの建築設計関係者の努力と膨大な労力を思うと、いたたまれない気持ちになる。そして友人の顔が浮かぶ。
彼らは一様に、この苦しい局面を乗り越え、晴れがましいオリンピックの開会式をいつか家族とテレビで眺める瞬間を夢描いていたに違いない。「このスタジアムの屋根はね、お父さんが設計に関わったんだよ」と我が子に語りたかった人もたくさんいただろう。
オリンピックがアスリートにとっての祭典であるならば、そのメインスタジアムの建設は建築人にとってのオリンピックであろう。ザハではない、安藤さんでもない、そんな市井のこのプロジェクトに関わった設計者たちの顔が私には浮かんでしまう。
もっとも彼らとしても、出口の見えない遂行困難な仕事を前にしての中止の報は、もしかしたら感情が落胆よりも安堵の方向に働いたことも想像に難くないが…。
しかしここから私のもう一つの懸念がはじまる。
着工直前まで行っていた計画が白紙化されて、残る時間で設計をやり直さなくてはならない。設計といったって、ニュースで流れるようなパースの絵を作るようなことではない。
何百枚という実施図面をゼロから描き直すことを意味するし、行政との折衝、技術的な解決もまた一からやり直しである。これはもう途方もないことなのだ。フルマラソンを走り終えたら、ここは折り返し地点ですよと言われたようなものである。報道のコメンテーターが、いとも簡単に設計がやり直せるようなことを語るとき、私はなんとも言えない違和感を感じてしまう。
さらに詰まった工期で、施工会社は必ず完成させることを迫られるだろう。そこに思いを馳せた時、この計画の真に殺人的な側面を思い知る。友人が再びこの災禍に巻きこまれることのないことを祈る。
これからの流れを予測してみよう。
政府は半年以内に代案の選定を行うと言っている。代案、おそらくは建築家は外されるのではないかと思う。この火中の栗を拾える建築家などいない。また国民にも決定的な建築家不信の根が植え付けられてしまった。
政府は二度と同じ過ちを繰り返さないために、そして限られたスケジュールで確実に予算内で納めるために、おそらくは”置きに”行くだろう。つまりもう冒険は冒さないということだ。
政治的に考えるならば、今回のザハ案の実施設計を行った日本の大手組織設計事務所がJVでその設計に当たるのではないか。きっと彼らには今回の件で膨大な技術と情報の蓄積ができているだろうから、最適解をどこよりも早く提示できるはずだ。
しかし一方で、経緯からいって社会からこれほどまでにバッシングを受けたプロジェクトだけに、きっと彼らも”置きに”行く。日本人が最も得意とする設計手法「事なかれ主義的建築」になるのではないか。
そしてそれが発表される。するときっと世間はこう言うのだ。
「なんかさあ、つまんなくなっちゃったよね」
「折角のオリンピックなのに、華がないんだよなあ」
一方のゼネコンは、開会式が1年後に迫る段階になっても竣工が見えず、苛立った政治家からきっと証人喚問を受けることになるだろう。
あらたな国立競技場問題「終わらない工事、どうする?」
私はそんな政治に振り回される、ザハではない、安藤さんでもない、市井の建築人達の身の上を案じて止まないのだ。
新国立競技場建設計画の白紙撤回は至極当然であろう。国民の一人として心からそう思う。人はこれまで費やしてきた時間や費用、熱量が大きければ大きいほど、それらとの決別は難しくなる。ギャンブルと同じだ。それを断ち切れたことは、たとえそれが安保絡みの国民の反感を逸らすためだったとしても、英断だと思うし評価に値すると思う。
しかし私は建築に生きる建築人だ。
このニュースに安堵したと同時に、この計画の実現に向けて関わってきた多くの建築設計関係者の努力と膨大な労力を思うと、いたたまれない気持ちになる。そして友人の顔が浮かぶ。
彼らは一様に、この苦しい局面を乗り越え、晴れがましいオリンピックの開会式をいつか家族とテレビで眺める瞬間を夢描いていたに違いない。「このスタジアムの屋根はね、お父さんが設計に関わったんだよ」と我が子に語りたかった人もたくさんいただろう。
オリンピックがアスリートにとっての祭典であるならば、そのメインスタジアムの建設は建築人にとってのオリンピックであろう。ザハではない、安藤さんでもない、そんな市井のこのプロジェクトに関わった設計者たちの顔が私には浮かんでしまう。
もっとも彼らとしても、出口の見えない遂行困難な仕事を前にしての中止の報は、もしかしたら感情が落胆よりも安堵の方向に働いたことも想像に難くないが…。
しかしここから私のもう一つの懸念がはじまる。
着工直前まで行っていた計画が白紙化されて、残る時間で設計をやり直さなくてはならない。設計といったって、ニュースで流れるようなパースの絵を作るようなことではない。
何百枚という実施図面をゼロから描き直すことを意味するし、行政との折衝、技術的な解決もまた一からやり直しである。これはもう途方もないことなのだ。フルマラソンを走り終えたら、ここは折り返し地点ですよと言われたようなものである。報道のコメンテーターが、いとも簡単に設計がやり直せるようなことを語るとき、私はなんとも言えない違和感を感じてしまう。
さらに詰まった工期で、施工会社は必ず完成させることを迫られるだろう。そこに思いを馳せた時、この計画の真に殺人的な側面を思い知る。友人が再びこの災禍に巻きこまれることのないことを祈る。
これからの流れを予測してみよう。
政府は半年以内に代案の選定を行うと言っている。代案、おそらくは建築家は外されるのではないかと思う。この火中の栗を拾える建築家などいない。また国民にも決定的な建築家不信の根が植え付けられてしまった。
政府は二度と同じ過ちを繰り返さないために、そして限られたスケジュールで確実に予算内で納めるために、おそらくは”置きに”行くだろう。つまりもう冒険は冒さないということだ。
政治的に考えるならば、今回のザハ案の実施設計を行った日本の大手組織設計事務所がJVでその設計に当たるのではないか。きっと彼らには今回の件で膨大な技術と情報の蓄積ができているだろうから、最適解をどこよりも早く提示できるはずだ。
しかし一方で、経緯からいって社会からこれほどまでにバッシングを受けたプロジェクトだけに、きっと彼らも”置きに”行く。日本人が最も得意とする設計手法「事なかれ主義的建築」になるのではないか。
そしてそれが発表される。するときっと世間はこう言うのだ。
「なんかさあ、つまんなくなっちゃったよね」
「折角のオリンピックなのに、華がないんだよなあ」
一方のゼネコンは、開会式が1年後に迫る段階になっても竣工が見えず、苛立った政治家からきっと証人喚問を受けることになるだろう。
あらたな国立競技場問題「終わらない工事、どうする?」
私はそんな政治に振り回される、ザハではない、安藤さんでもない、市井の建築人達の身の上を案じて止まないのだ。
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