アールトはディテール。
ディテールにこそ、アールト建築のエッセンスは宿っていると思います。

建築の実現の前には必ず技術の壁があり、これを乗り越えてはじめて建築は世に誕生するわけですが、問題解決のために「芸術」と「技術」との交点に存在するもの、それこそがディテールです。

アールトらが設立したartekの社名が示すように、「芸術(Art)と技術(Technology)の融合」は、そのままアールトの建築世界そのものを表現しています。

そんなことで昨年、多くのアールト、北欧建築に関わる著書をお持ちの九州産業大学の小泉隆さんに、SADIでアールトをディテールで切る講演をして欲しいと打診をしましたら、「ちょうど3月にアールトをディテールで切る本を出すんですよ」とのこと。なんと!

小泉さんの著書はすでに発売されています。是非お手に取って頂きたいのですが、アールトのハンドルコレクションを含め、実に丹念にディテール採取をされ、的確な解説を寄せて下さっています。そして思いました。やはりアールトはディテールなんだと。

そんなことで、SADIとして私の肝いりで企画を進めてきました小泉隆さんの、書籍と同名タイトルのSADI講演会が今週金曜日(3月23日)にあります。アールトってよくわからない、という方はまずは視点をディテールに移すことをお勧めします。

(もちろん、ディテールには文字通りの”細部”という意味もありますが、全体構成を司るのもディテールであるということは付け加えておきます)


SADI|小泉隆講演会
「アルヴァ・アールトの建築|エレメント&ディテール」

3月23日(金)19:00~
新宿・工学院大学中層棟8階ファカルティクラブ
※詳細はこちらより
https://sadiinfo.exblog.jp/28077872/

※事前申し込みはいりません。
※満席が予想されますので、お早めのご来場をお勧めします。


昨日のセンター試験の地理Bで、北欧発アニメの舞台を答えさせるという問題が出題されたということで、昨晩はおもに北欧つながりの友人らのSNS等で話題がもちきりだったのですが、今朝になって新聞記事にもなっていて二度びっくり。

「ムーミン どこに住んでいる?」という見出し。
いや設問は舞台を答えさせるということで、住んでいる場所を答えさせる問題ではなかったはずですが。

これは左側に示されたアニメ「ムーミン」と「ビッケ」を、それぞれの舞台となっている国の言語A(ノルウェー語)とB(フィンランド語)とをそれぞれ結ばせるというもの。


Livedoor NEWSより

「ムーミン=フィンランド」というのは常識だから、むしろ右側の言語のどちらがフィンランド語か?という点においてやや難しかったかもしれないと思いましたが、最初にスウェーデン語が示されていることから、地理の基礎知識と洞察力があれば、スウェーデンと隣り合わせのノルウェーはスウェーデン語とよく似ているはず、という点から拾えたとは思います。(むしろサービス問題?)

ただフタを開けてみると、「ムーミンってノルウェーじゃないの?」という点で間違えた学生も多かったようで(そこ?)、ムーミン公式アカウントが「もっと知ってもらえるようがんばります」との異例の声明を出すというそんなオチがついた。


昨晩駆け巡った北欧在住者の意見(みんなスルドイ)でナルホドと思ったのは、

・スウェーデン語もフィンランドの公用語のひとつ
・ムーミン作者のトーベ・ヤンソンさんはむしろスウェーデン語系

とたんにカオスになりました笑
ちょっと無理ありましたかね。でも設問は、アニメの舞台はどこか?ということなので問題はないのでは?

・そもそもムーミンの舞台は、フィンランドじゃなくてムーミン谷

あらら…これはごもっとも!笑
確かにムーミンにはフィンランドには馴染みのない情景がたくさん出てきますものね。じゃあ私からもいいですか?

・ビッケにも触れてあげて


最近面白い本を読みました。小説ではありません。ノンフィクションですが、ドキュメントみたいなものとも違います。日記です。それもノルウェーの大工さんの。

『あるノルウェーの大工の日記』

オーレ・トシュテンセン著
http://amzn.asia/dESwFxE


ノルウェーの大工さんの日記と聞いたら、みなさんはどんなことが書かれていると想像しますか?私は、きっとあごひげ生やした屈強なバイキングみたいなオヤジさんが、強い酒あおりながらフォッフォッフォって。あ、それはサンタクロースか。でもそんなサンタさんみたいな大工さんが、ログハウス建ててご満悦みたいな、そんな日記かな~と勝手ながら想像していました。

それが、そんな先入観を全力でひっくり返す本だということは先にお伝えしておきます。私はまずはそこにカウンターパンチを喰らって、どんどん引き込まれてしまいました。

つまりこれ、日本の大工さん、いや優秀な現場監督の業務日誌だと思って読むと実に興味深いのです。私は去年行ったノルウェーのログハウスが強烈だったので、ついつい「ノルウェー=ちょっと粗野でダイナミック」みたいなイメージを持ってしまうのですが、どうしてどうして、この大工さん相当繊細で優秀な方のようです。

仕事を受注するための精密な積算や他社との駆け引き。建て主にいかに自分をアピールし信頼を勝ち取るかという努力や、工事をスムーズに遂行するための段取り。そして現場に姿を現さない”アカデミック”な建築家との付き合い方やボヤキなど、これそのまま日本の現場に置き換えてもそっくり成立しちゃうってところが最高に面白いんです。

遠く離れたノルウェーの現場事情や大工さんの考えていることが、日本と何ら変わることがないという不思議。ものづくりって万国共通なんだなあとしみじみ思ってしまいました。


この本のもう一つの魅力は、本文に出てくるこの大工さんによるしみじみと”深イイ”言葉の数々です。以下に、私の心にフックした言葉の数々を紹介したいと思います。

「この職業において、良質な仕事と悪質な仕事の差は、わずか1ミリしかない」
「物を不正確に造るより、正確に造る方が簡単だ」
「経験が教える最も役に立つことは、自分には何ができないか、を知ることである」
「腕の良い職人は、常に強い自信と不安とを同時に抱えている」
「測定、計算、それに精度というものは、メタファーとして人生にも当てはめられるかもしれない。必要以上に精度を追い求めるのはどうかと思うが、適当にやっつけた仕事が歪んでいるのはやはり問題だろう」

そうそう、そうだよね、と遠く離れたノルウェーの大工のつぶやきに一つ一つ相づちを打ちながら、自分の進行中の現場のことなどが一方でぐるぐると頭の中でまわるのでした。日本の住宅設計や施工に関わる人にも是非読んでもらいたい一冊です。


突然額装された写真が届いた。送り主は古い友人である根津修平からだった。私の本の出版祝いにとのこと。彼らしい熱い長文のメッセージも添えられていた。

湖の彼方の森には塔のようなものが見える。普通であればこれが日本なのか、外国なのかすらも判別できる人はいないかもしれない。けれども私にはすぐにわかった。

場所はフィンランド中部、塔はアルヴァ・アールト設計によるムーラメの教会(1929)の先端だ。

しかもこれはどこから撮影されているかというと、ムーラッツァロにある「夏の家」と呼ばれるアールトの別荘の湖畔から。どうしてそれがわかるのかというと、それを教えたのは私だからだ。



修平と出会ったのは17年前、留学していたヘルシンキでだった。彼はフリーの写真家で、お互い根無し草のような立場だったこともあり、すぐに意気投合して無二の親友となった。

お互いあり余る時間をもて余し、当時は二人でフィンランドの建築巡りをした。行き先は私が決めて、彼が写真を撮る。それに私がテキストを載せて、私のホームページに定期的にアップしていた。
http://www.riotadesign.com/FA/Fin_Arch.htm

こういうお金にもならないようなことばかりやっていたけれど、それが今にすべてつながっているような気もする。

私が創刊号の現地コーディネーターを務め、彼にも当時アシスタントとして協力してもらった「Xknowredge HOME」という雑誌はその後廃刊になってしまったけれど、あれから17年後、同じ出版社から自らの本を出すことになるとは誰が想像できただろう。

彼からの写真を見ていたらいろんなことを思い出してしまった。私の原点ともいえる写真。初心を忘れないよう、事務所の目立つところに飾っておきたいと思う。


今回のフィンランド渡航の目的は、ヘルシンキのアールト展を見に行くことと併せ、かつて巡ったアールト建築をもう一度尋ねて、あらためて写真(アーカイブ)を残したいということがあった。

留学時代は使っていたデジカメも貧弱で、高画質なデジカメは高価で手が出せなかった。画像のサイズはわずか640ピクセル。そのため、レクチャーなどにも良い写真が使えず、また出版社から素材提供を求められても提供することができなかった。

そのかわり、当時一眼レフではよく写真を撮っていた。しかもポジフィルムで。ポジで撮るというのは、当時ヘルシンキで親交のあった写真家の根津修平君の影響だったように思う。

ポジフィルムはネガと違って通常プリントをしたりしないので、現像したフィルムはろくに確認もせずにスリーブのまま保管していた。確認しようにも、当時はライトボックスすら持っていなかったのだ。

そのため滞在中いろいろ撮った記憶はあっても何を撮ったかは覚えておらず、撮ったとしても大した量ではないと思っていた。データ化されていないので全体像も把握できず、そのまま引き出しの奥に仕舞われたままだった。なんともお粗末な話だ。

それを今回の旅行後にふと思い出し、ゴソゴソと引き出してみるとすごいお宝写真が詰まっていたことに気づきびっくりした。その数実に800枚近く!そんなに撮っていたんだ。


しかも現在では内部撮影が禁止されてしまったマイレア邸の内部写真や、中にはマイレア邸の屋根の上に上がって撮ったものも。今では絶対に許されないカットである。確かこの時は取材のコーディネーターを務めていて、特別に許可されたときの一枚だったと思う。

そして、ロシア領にありまだ改修半ばで廃墟化していたヴィープリ図書館の写真も出てきた。これも当時決死の覚悟で国境を渡り訪れたものだ。今は改修も終わりきれいになったようだが、当時の荒廃したヴィープリ図書館の面影を伝える貴重な資料だ。



そしてパイミオサナトリウム。今では結核療養所としての機能は終え、児童福祉財団のリハビリ病院になっているそうなので、この現役の医師たちが食堂を利用しているこの光景はもう二度と見ることはできない。

パイミオは当時付属の寄宿舎に泊まって模型の修復作業をしたのも良い思い出だ。


ほかにも行ったことすら忘れていた地方のアールト建築や、レイヴィスカなど他の建築家による地方の建築、そして若かりし時代の我々のポートレートなど。これだけの資料画像があれば、今後当面は困らないと思う。

早速これらはデータ化して、活用できるようにしたい。

これまでその存在に気づかなかった自分にもびっくりだけれど、逆に中途半端なデジカメで残しているよりも、はるかに再現性の高いスライドフィルムで記録を残していた当時の自分を褒めてあげたいと思う。

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