20. 10 / 16

寝ても覚めても

author
sekimoto

category
> 仕事
> 生活


自宅と事務所が同じというのはいろんな意味で都合が良く、何より通勤時間がないのが良い。朝はスタッフが出社するよりずっと前から仕事ができるし、夜はスタッフが帰った後も仕事ができる。

つまり、結局朝から晩まで、事務所で一番仕事しているのは私ということになる。なんなら土日も時間があれば仕事をしている。私の抱える仕事というのは、仕事のようで仕事じゃないというか、JIAやSADIといった所属団体でのお役目があったり、原稿を頼まれたりセミナーを頼まれたりと、いわゆるリオタデザインとしての設計活動以外の仕事も多いので、土日などスタッフがいない日はまとめてそうした仕事を片付けることになる。

ただ度々書いているように、私が建築家として生きるということは、こうした社会的なお役目を一手に引き受けることを意味するので、呼吸していることと同じというか、何も不満はないしストレスがあるわけでもない。

ところがだ。どうやら私はとうとう眠りの中でも仕事を始めたらしい。明け方にふと目が覚めると、夢の残像は必ず仕事の夢なのだ。それもほぼ毎日。そのことに最近気づいて愕然としている。文字通り、寝ても覚めてもというやつだ。

その夢の中で私は何をしているかというと、現場の担当者や建て主などに向かってずっと何かを説明している。どうしてこういう設計にしているのかとか、問題をどう解決するかみたいなことをずっと話している。考えてみると、私は事務所で黙々と仕事をしている時間ももちろんあるが、対外的に誰かに説明をしたり議論をしたりという機会が圧倒的に多い。その余韻や興奮が醒めないのだろう。

朝起きてから寝るまでずっと仕事をして、眠った後も夢の中で仕事をしている。これって病気だろうか?でもうなされるわけではない。悪夢から醒めると「嫌な夢だった」という感覚が残るが、仕事の夢は目覚めても嫌な感じがない。私にとって日常すぎるからだろう。

たぶん、仕事と私生活を分けて生きている人(ほとんどがそうかもしれない)にとっては、こんな話ゾッとするだろう。もはや私は「生きている時間がすべてリオタデザインになっちゃった人」であり、そんなラベリングを激レアさんで付けてもらいたいと思う。

author
sekimoto

category
> 仕事
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48



昨年9月に竣工しました「玉川上水の家」の撮影をようやく行いサイトにアップしました。都内の住宅密集地だったことや、玉川上水の緑地を望める敷地であったことから、リビングを2階に設け、採光と眺望を確保した住宅です。

それぞれの窓から飛び込んでくる光と緑が眩しいです。美しく住みこなして下さり、こちらも感謝です!以下より写真をご高覧下さい。

玉川上水の家
https://www.riotadesign.com/works/19_tamagawa/#wttl

写真:新澤一平

20. 09 / 05

眺望の家

author
sekimoto

category
> 仕事
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48



横浜市「檀の家」に窓が入りました。高台の上に建つ家ですが、この眺望をどう捕まえるかが設計のテーマでした。

遠くの高速道路にトラックが横切ってゆくのが見えます。これからどこに行くのかなぁと妄想していると、あっという間に時間が過ぎてゆきます。

20. 09 / 04

努力ってなに?

author
sekimoto

category
> 仕事
> 思うこと


「努力」という言葉が好きじゃない。少なくとも私は、この仕事において努力をしたことがない。企業努力という言葉があるがピンとこない。仕事は努力するものではないと思うからだ。

アスリートなどが、オリンピックなどに出場するために毎日死に物狂いで練習をしている。端から見たら、それを努力と呼ばずしてなんと呼ぼうか。けれども、当の本人たちはどう思っているのだろう?

ゲームが好きな人が、家で一日中ゲームをしている。釣りやゴルフが好きな人が、毎週末眠い目をこすって早朝から出かける。端から見てそれを努力と呼ぶ人はいない。ただの道楽でしょ?と思うからだ。

では家事や育児はどうだろう。毎日掃除や洗濯をしている。子供を幼稚園まで送り迎えをしている。または親の介護をしている。大変だとは思うし、嫌々やっている人もいるだろうが、表向きにそれを努力と表現したら、違和感を感じる人はいるだろう。

私は学生の頃から、建築の設計課題だけはしっかり取り組んできた。でもそれは努力ではなかった。ただ好きなことをやってるだけだったし、徹夜も苦にはならなかった。むしろ楽しかった記憶しかない。

ゲーム好きがゲームをするように、盆栽好きが盆栽に手を入れるように。時間をかければかけるほど、手を入れれば入れるほど、考えれば考えるほど、建築はどんどん良くなる。それが何より楽しい。逆に「程々のところでやめなさい」と言われたとしたら、そっちの方がよほどストレスだと思う。だってもっと良くなるのに!その可能性をここで捨てるなんて、そんなことはできない。

先のアスリートだって、練習を重ねることでどんどんタイムが伸びる、ランクが上がってゆくのは何より楽しい経験のはずだ。しかし挫折があったり、自分のモチベーションを上回る期待がのしかかり始めると、物事は次第に苦痛に変わることもある。自分は何のためにやっているのだろうと思い始めたら、そこからは離れる潮時なのかもしれない。

仕事を努力だと思うようになったらやめた方がいい。そこには苦痛しかないからだ。そうではなく、自分が成長したり、人からの感謝や喜びを受け取れる手段として打ち込むことが出来るならば、その仕事はその人にとっての天職になると思う。

よく「楽しいだけで仕事を決めてはいけない」とか「好きなことを仕事にすべきではない」と助言する大人がいるが、間違っていると思う。楽しいことや、好きなことを仕事にしないから長続きしないのだ。

仕事は会社のためにするものではない。自分の生き方そのものだ。私にとって仕事は「日々呼吸をすること」と同じ意味を持つ。少なくとも努力する対象ではない。好きな仕事ができる人生は、私は幸せだと思う。

author
sekimoto

category
> 仕事
> 社会


今から10年ほど前に、熱心にオープンハウスに足を運んで下さっていたご夫婦がいらっしゃった。Mさんといって、オープンハウスでは、自分たちがいかにリオタデザインの住宅が好きかを熱く語って下さり、その後設計相談も受けて土地探しなどもされていたものの、いつの頃からかオープンハウスにもいらっしゃらなくなった。

土地探しからご相談に乗ったとしても、そのまま晴れて良い土地が見つかり、設計依頼まで辿り着くという方は、おそらく3割を切るかもしれない。Mさんも印象的なご夫婦だったものの、諸事情から家づくりを諦めたか他の選択肢を選んだのだろうと思っていた。

そんなMさんから最近連絡があった。

あらためて中古住宅を購入するので、改修をしてもらえないかという相談だった。実に10年越しの依頼。諸事情から新築での家づくりは諦めたものの、リオタデザインが設計した家に住みたいという熱は消えることなく、今回はダメモトでのご依頼だったようだ。

今は事務所は忙しく、部分改修などの設計依頼はほとんど請けられないのだけれど、もうそんなの断れるわけない。スタッフは皆手一杯なので、私がすべて図面を引くことにした。10年間も思い続けてくださる方がいるなんて、、感無量だ。


そんな感激も醒めやらぬ中、さらにすごい方が現れた。

今日面談をさせて頂いた方は、うちのHPやブログを見て下さってのご相談とのこと。どういう経緯でうちの事務所を知ったのですか?とお訊ねすると、なんと私がフィンランドに留学する前や、留学中に書いていた滞在ブログの時代からずっと私のHPを見て下さっているとのこと(!)。今から20年以上も昔の話である。もちろん独立する以前の話だ。

その後海外赴任などが続き、「ご相談させて頂くのに20年もかかってしまいました」とおっしゃった。

普通設計相談というものは、その事務所のHPでこれまでの作品などを見て依頼するものだ。私が独立するより前からのブログ読者という方からのご相談はもちろんはじめて。初対面の方に「あなたのことは、生まれる前から知っていたんだよ」と言われたようで、本当に衝撃的だった。


ただ書いていて思ったけれど、独立する前から20年以上もずっとブログを書き続けているという人も珍しいかもしれない。当時はブログという言葉すらなかった時代だった。継続は力なり。

フィンランド留学中から、独立してしばらくまで以下のトップページを持つサイトをずっと運用していた。すべて自分の手作り。今見るとちょっと恥ずかしく、そして懐かしい。