20. 09 / 04

努力ってなに?

author
sekimoto

category
> 仕事
> 思うこと


「努力」という言葉が好きじゃない。少なくとも私は、この仕事において努力をしたことがない。企業努力という言葉があるがピンとこない。仕事は努力するものではないと思うからだ。

アスリートなどが、オリンピックなどに出場するために毎日死に物狂いで練習をしている。端から見たら、それを努力と呼ばずしてなんと呼ぼうか。けれども、当の本人たちはどう思っているのだろう?

ゲームが好きな人が、家で一日中ゲームをしている。釣りやゴルフが好きな人が、毎週末眠い目をこすって早朝から出かける。端から見てそれを努力と呼ぶ人はいない。ただの道楽でしょ?と思うからだ。

では家事や育児はどうだろう。毎日掃除や洗濯をしている。子供を幼稚園まで送り迎えをしている。または親の介護をしている。大変だとは思うし、嫌々やっている人もいるだろうが、表向きにそれを努力と表現したら、違和感を感じる人はいるだろう。

私は学生の頃から、建築の設計課題だけはしっかり取り組んできた。でもそれは努力ではなかった。ただ好きなことをやってるだけだったし、徹夜も苦にはならなかった。むしろ楽しかった記憶しかない。

ゲーム好きがゲームをするように、盆栽好きが盆栽に手を入れるように。時間をかければかけるほど、手を入れれば入れるほど、考えれば考えるほど、建築はどんどん良くなる。それが何より楽しい。逆に「程々のところでやめなさい」と言われたとしたら、そっちの方がよほどストレスだと思う。だってもっと良くなるのに!その可能性をここで捨てるなんて、そんなことはできない。

先のアスリートだって、練習を重ねることでどんどんタイムが伸びる、ランクが上がってゆくのは何より楽しい経験のはずだ。しかし挫折があったり、自分のモチベーションを上回る期待がのしかかり始めると、物事は次第に苦痛に変わることもある。自分は何のためにやっているのだろうと思い始めたら、そこからは離れる潮時なのかもしれない。

仕事を努力だと思うようになったらやめた方がいい。そこには苦痛しかないからだ。そうではなく、自分が成長したり、人からの感謝や喜びを受け取れる手段として打ち込むことが出来るならば、その仕事はその人にとっての天職になると思う。

よく「楽しいだけで仕事を決めてはいけない」とか「好きなことを仕事にすべきではない」と助言する大人がいるが、間違っていると思う。楽しいことや、好きなことを仕事にしないから長続きしないのだ。

仕事は会社のためにするものではない。自分の生き方そのものだ。私にとって仕事は「日々呼吸をすること」と同じ意味を持つ。少なくとも努力する対象ではない。好きな仕事ができる人生は、私は幸せだと思う。