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今日は大学2年生前期の設計,最後の授業がありました.今年は6年任期の6年目,前期の授業を担当するのはこれで最後となります.「住宅」と「パブリックスペース」を教えるのもこれが最後.なので今期は自分ができる指導を出し切って,悔いの残らない半期にしたいという思いが強くありました.

今回私が受け持ったクラスの学生達は,一言で言うと「雑草」のような,と言ったら語弊があるでしょうか.飛び抜けた才能の集まりというよりは,どんぐりの背比べ.でも皆泥臭く,粘り強くこちらの指導に耳を傾け,1日に何度も何度も指導を受けにやってくるため,毎回の設計指導は深夜にまで及びました.

でも彼らとのエスキース(設計指導)はとても楽しく,私も毎週大学に行くのが楽しみでした.また仕事をしながらも,「あいつら大丈夫かな」とか「どう指導したらもっと良くしてあげられるだろう」ということをいつも考えていました.彼らの作品は私の作品でもあり,すべての学生達と一緒に悩んで作り上げてゆく,というプロセスそのものに「建築」があったようにも思います.

今日の授業の終わりには,学生達から寄せ書きの色紙をサプライズでプレゼントしてもらいました.これまで教えてきて,こんなことは初めてのことでびっくりしました.帰りの電車の中でちょっと読んでいたら,ちょっと泣きそうになってしまってあわてて仕舞いました.彼らはこんなことを書いていました.

「これまで設計はあまり好きではなかったけど,先生とのエスキースで設計が好きになりました」「自分の作品を自分が一番好きにならなくてはいけないということを先生から学びました」「いつも丁寧に話を聞いてくれてそれが一番嬉しかった」

あぁ…自分の言葉のひとつひとつがしっかりと学生達にも届いていたんだと思うと本当に嬉しくて涙が出ます.一方ではこんなことも.「熱心に指導してもらったのに,最後にがっかりさせてしまった」「自分の努力や考えが足りず申し訳なかった」 

どうしてそんなこと思うんだろう?がっかりした学生なんて一人もいないのに!でもそれは私が彼らに十分な指導をしてやれなかった(かも)と思っている引け目と似ているのかもしれませんね.

それにしてもこんなにびっしり書き込まれた寄書きを私は初めて見ました.私が彼らに注ぎ込んだものと同じくらいの熱い思いを返してもらった気がします.これからつらいことがあっても,これを見たら大抵のことは乗り越えられそうです笑.

本当にどうもありがとう!短い間でしたが,半期間お疲れさまでした.

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昨日は日本大学2年生前期の第2課題「パブリックスペース」の全体講評会がありました.我がクラスの学生達も,それぞれの考えで最後まで悩み抜いて案をまとめていた姿が印象的でした.

要領が悪いのかいつも私の設計指導は他クラスと比べてもダントツに遅いのですが,今期は学生の熱意に押されて23時~0時近くまでやっていたこともあり(もっとも他学年や他クラスの学生も見ていたからなのですが),非常勤講師として任期最後の年ということもあるのですが,ちょっとした思い入れあるクラスとなりました.

ネタバレとなりますが,今回のパブリックの全体講評会は,山中先生をはじめ講師陣の間で「いかにして講評会を盛り上げるか」ということで,用意周到に演出を試みました.

講師だけではなく学生達による人気投票,講評会後の打ち上げというのもそうですが,司会の山中先生の各講師からのコメントの引き出し方や,褒め言葉をぐっと呑み込んでの厳しいコメント,あえて他の講師と違う意見をぶつけるなど,講師陣も意識して言葉を選んでいたことに学生達はどこまで気づいたでしょうか.

また講評会には出られなかった次点作品も並べて,打ち上げの席で他の講師や友人達からコメントをもらうというのも良い試みだったと思います.こんな斬新な講評会というのは,私が学生時代にはあり得なかったことです.

一方で,華やかな講評対象作品とは別に,選ばれなかったけれども本人なりにとてもがんばっていた作品,苦労していた作品というのももちろんたくさんありました.そういう人に細やかにフォローしきれなかったことが悔やまれるのと,そして講評会に出たけれど,思うような評価をもらえず悔しい思いをした人もいたと思います.

一般論ですが,これまでの経験上,1~2年生でダントツだった学生が3~4年生でもダントツであるということも(もちろん本人次第ですが)希で,どこかで逆転現象が出てきます(特に男は高学年に上がるほど伸びる傾向あり).そしてそれをまた乗り越えて,返り咲いてゆく人もまたたくさんいます.

そろそろ計画/構造・環境などの進路を迫られる時期と聞いていますが,積極的に構造・環境系に進むのであれば望ましいことですが,計画系を”あきらめて”構造・環境系に進むという選択だけはしないで欲しいと思います.何かに”あきらめて”進路を決める人は,将来もすべて何かに”あきらめて”道を決める人になるからです.

設計好きなら設計に行けば?シンプルにそう思います.
「昔はお父さんもプロ野球選手になりたかったんだけどな」と当時その努力もしなかったのに,語る大人にだけはならないでください.

まだ前期の設計の授業は残っていますが,最後まで楽しくやりましょう!
(以下は我がクラスの優秀作品)

[caption id="attachment_8096" align="alignnone" width="560" caption="大城義弘案"][/caption]

[caption id="attachment_8097" align="alignnone" width="560" caption="大津晋隆案"][/caption]

[caption id="attachment_8098" align="alignnone" width="560" caption="太田みづき案"][/caption]

[caption id="attachment_8099" align="alignnone" width="560" caption="金子由香里案"][/caption]

[caption id="attachment_8100" align="alignnone" width="560" caption="大野史織案"][/caption]

[caption id="attachment_8095" align="alignnone" width="560" caption="学生投票風景"][/caption]

13. 06 / 09

長者ヶ崎の課題

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大学で3年生と話していたら,第2課題の敷地は「長者ヶ崎」だという.長者ヶ崎か…懐かしい.三浦半島にある長者ヶ崎は,ある時期まで日大生定番の敷地だった.

約20年前,我々の長者ヶ崎は「セミナーハウス」だった.その課題を今でも大切に保管してある.私にとって特別な課題だったからだ.3年生のこの課題で,私ははじめて本気で課題とそのプレゼンテーションに向き合ったような気がする.

表現という部分で言えば,これはすべてフィルムトレペという特殊なトレーシングペーパーにインキングとエアブラシによって仕上げている.フィルムに図面を描くことによって,下の図面が透けて見える.その効果を狙って,1階平面図の上に2階平面図を重ね,断面図の上にファサードとしての立面図を重ね,すべてを連続したストーリーの中で語れるように図面を構成した.

この課題ではじめて「S」(A評価の上)という評価をもらった.Sというのは当時はなかなかもらえない評価だった.また辛口の当時講師(現在は教授)だった本杉先生や,TA(現在は准教授)だった佐藤慎也さんなどからも褒めてもらった(本人は覚えていないかもしれないけれど)というのが,当時の自分にはとても嬉しくて自信になったのを覚えている.

だから学生課題はこの長者ヶ崎が原点.ただ作風を見ると,当時の時代性がとてもよく出ている.まだポストモダンの余韻が漂っていた頃で,伊東豊雄さんや長谷川逸子さんなど,パンチングメタルでヒラヒラした造形が流行っていた時代だ.

これを後に内藤廣さんの事務所に面接で持っていったら,結構キツいカウンターパンチをもらった(内藤さんは当時こうしたヒラヒラしたのが許せなかったらしい).でも内藤さんにはもう一つ持っていった和紙に描いた鉛筆のドローイングをずいぶん褒めてもらった.(結局この年に入所したのは,現在も活躍する建築家の田井幹夫さん)

もちろん学生課題は単なる通過点.過去のアルバムを懐かしく眺める趣味は私にはないけれど,この課題をはじめとした2,3の作品は今でも思い入れが深い.パソコンもなかった時代だからすべて手描きで,データで残すというわけにもいかない.そこが愛着が残る所以にもなっているのだろう.
図面の隅に残る本杉先生手描きのコメントは,今でも大切な宝物だ.



13. 05 / 27

住宅課題提出

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今日は大学2年生の住宅課題の提出日.でもって,上は恒例の提出風景.学校に着いてから室名やら切り張りやら,教室を占拠して絶賛作業中.あのぉ,採点するから早く出て行ってもらいたいんですけど….

でもなんかいいなぁ.自分もかつては学生だったので,課題提出の日徹夜明けで学校に行って,他の友人達がどんなのやってきたか気になったり,最後のスパートで放出したアドレナリンでずっとハイテンションみたいな状態がよくわかります.

学生の頃は,「三度の飯より設計課題」というくらい設計が大好きな学生だったので,今こうして学生達と一緒に課題を考えている時間というのは本当に幸せを感じます.講評会も,かつてはコワイ先生方を前にどきどきしながら発表していましたが,今では逆側の席にいるというのも不思議な感覚です.

それにしても常勤の山中先生をはじめ,講師の先生方の目の付け所は素晴らしく,学生達の作品に漂ようなんとも言えない迷いやもやもや感のようなものを,スパッと切り取る言語感覚というんでしょうか.本当にスッキリ!という感じで,講評会も私にとっては勉強することばかりです.

第2課題はパブリックスペース.難しい課題….あぁ,また彼らもドツボにはまって悩むんでしょうね.でもそれが楽しかったんだということに,いつか気づいてもらいたいとも思います(まぁ,一生気づかない人の方が大多数でしょうが).設計課題はやっぱり楽しい.皆さん,お疲れさまでした!

以下はうちのクラスから発表した二人です.なかなか良い作品でした.



建築は愛である,なんて書くと頭がおかしいと思われるだろうか.
でもそう思う.産みの親が,我が子が可愛くなかったら誰が可愛がってくれるんだろう.

今日大学では課題の中間提出があった.課題は住宅.GWの最後(しかも今日はまだ祝日)にわざわざ提出をぶつけなくても,と思わなくもないけれどそれはそれ.きっとみんなGWは返上で,前日は徹夜かそれに近い状態だったんだろうと思う.

完成度なんて求めてないし,中間だからまだまだ挽回もできる.プレゼンも未熟だし,自信も確信も持てないのも仕方がない.でも自分の作品をおとしめることだけはだめだ.作品がかわいそうじゃないか.

僕が学生との講評で唯一熱くなる瞬間があったとしたら,図面の未熟さではなく,模型の稚拙さでもなく,愛情のなさだ.世界を敵に回しても,本心ではどこか気に入っていないところがあったとしても,自分の作品は全力で肯定して欲しい.この案は素晴らしいんだと言い切って欲しい.ダメなところが9割でも,残り1割の良さを必死にアピールして欲しいと思う.

僕は自分の担当する学生達が大好きだ.彼らの良さを理解してあげたいといつも思う.今日は中間だし,9割のダメには目をつぶっても1割は全力で褒めてあげようと思っていたのだけれど,あまりに「自分の作品はダメです」とネガティブアピールする学生が多すぎて,正直心が折れてしまった.

みんな自分の作品が可愛くないの?愛情がないのなら,愛情を注げる案に今からでも変更したほうがいい.誰からも愛されず,望まれないまま世の中に産み落とされる建築なんて,たとえそれが課題であったとしてもあまりに悲しすぎる.