元伊礼智設計室にいらした福井典子さんの住宅を見に北鎌倉まで。
アーキロイドによるAI設計支援のもと、私から見るとおおよそAIとは真反対にいる(ように見える)福井さんが、彼らとどのような協働と設計の着地点を見出したのかにとても興味があった。
出来上がった空間は拍子抜けするくらいアナログで、伊礼さん譲りの丁寧なディテールの中に見え隠れする彼女らしい素材の選択や設計判断を見つける。しかし話を聞いても極めて感覚的で掴みどころがない。やっぱりAIとは対極にある人だと思う。
アーキロイドの佐々木さんとの立ち話がとても面白かった。我々は近い将来、我々の仕事はAIに取って変わられるのではと密かに危機感を感じている。しかし、その世界のトップランナーである彼の口から聞くAIの限界と人間の優位性の話には大いに勇気をもらった。
つまり何億通りもの可能性のうち、瞬時に数種類の解を掴み取るザルの網目は我々の感性そのものであり、その掬い方そのものに個性があらわれるということ。
だからこれからのAI設計支援によって最もクリエイティブな成果を出せるのは、彼女のように言語化されない自由な感性なのだろうとも思った。逆に性能など定量化された入力のもとでは、画一的な結果しか生まないこともわかった。であれば、それはじきにAIに取って変わることだろう。
今回の設計打合せをすべてVRで行ったというプロセスにも大きな可能性を感じた。それを見せてもらうのも今回の目的のひとつだった。VRゴーグルによる空間追体験は、建主だけでなく設計者にとっても設計の微修正や納まりの不具合を発見するのに大いに役立つに違いない。
あとはすべていつも通り。けして建築家はAIに脅かされることなく高いレベルで共存する。何より空間が気持ちよかった!良かった、もう少しこの仕事続けていけそうだ。
現場帰りにスタッフが「この現場には良い職人が集まっていますね」と言った。良い職人が集まるから良い現場なのか、良い現場だから良い職人が集まるのか。多分どっちも。すべてはつながっているのだろう。
良い現場って個性が立っていると感じる。多分リーグ優勝を成し遂げるチームってこういう感じなんだろうな。個性派揃いの職人に、それを束ねる監督の統率力。
いつも一緒に仕事をしているから顔なじみになることもあるけれど、棟梁、板金、家具から設備屋さんに至るまでの顔が見えて、向こうもこちらの仕事を理解している。
僕らは脚本家のようにキャストの顔を思い浮かべて本を書く。彼らはその期待に応え、その行間を読み、難しい台詞回しを完璧に演じてくれる。
先日ある工務店から、我々の現場は大工が自ら志願してくるのだと聞いた。面倒な現場なのに申し訳ない。その昔、戦艦大和のプラモデルを作った時のことを思い出した。ものづくりの現場ってきっとそういうものかもしれない。
良い現場って個性が立っていると感じる。多分リーグ優勝を成し遂げるチームってこういう感じなんだろうな。個性派揃いの職人に、それを束ねる監督の統率力。
いつも一緒に仕事をしているから顔なじみになることもあるけれど、棟梁、板金、家具から設備屋さんに至るまでの顔が見えて、向こうもこちらの仕事を理解している。
僕らは脚本家のようにキャストの顔を思い浮かべて本を書く。彼らはその期待に応え、その行間を読み、難しい台詞回しを完璧に演じてくれる。
先日ある工務店から、我々の現場は大工が自ら志願してくるのだと聞いた。面倒な現場なのに申し訳ない。その昔、戦艦大和のプラモデルを作った時のことを思い出した。ものづくりの現場ってきっとそういうものかもしれない。
先日うちに挨拶に来た若い営業がいた。そもそも挨拶に出向くという発想が間違っている。相手の時間ばかりを奪ってこっちには何も得るものがない。
その若者も例に漏れず、手ぶらでやってきて本当に「挨拶」だけに来たようだ。そこからずっと説教。昨今の叱っちゃいけない風潮なのか、仕事のなんたるかがわかっていない。きっと上司にも怒られたことがないのだろう。
普段どういう営業をしてんだと聞いたら、これまた消極的な紋切り型のやり方で、そこにもまた腹が立った。だからお前はダメなんだ。そもそも営業っていうのはという話から始まって、自分ならこういう売り込み方をする。相手の懐にはこうやって入って、こうやって口説くんだと。
なにこれ俺はこいつの上司か?腹の立つことにそいつは、私の説教を一字一句メモっている。まったく授業料もらいたいよ。
ちょっと言いすぎたかなと思ったけど、後日彼から電話がかかってきた。なんでもあのあと私に言われた通りのやり方をしたら、面白いように仕事が取れたとお礼の電話だった。やっぱりどこかズレている。そうか良かったな。上司はちゃんと仕事教えろよ。授業料は出世払いでツケておくから。
その若者も例に漏れず、手ぶらでやってきて本当に「挨拶」だけに来たようだ。そこからずっと説教。昨今の叱っちゃいけない風潮なのか、仕事のなんたるかがわかっていない。きっと上司にも怒られたことがないのだろう。
普段どういう営業をしてんだと聞いたら、これまた消極的な紋切り型のやり方で、そこにもまた腹が立った。だからお前はダメなんだ。そもそも営業っていうのはという話から始まって、自分ならこういう売り込み方をする。相手の懐にはこうやって入って、こうやって口説くんだと。
なにこれ俺はこいつの上司か?腹の立つことにそいつは、私の説教を一字一句メモっている。まったく授業料もらいたいよ。
ちょっと言いすぎたかなと思ったけど、後日彼から電話がかかってきた。なんでもあのあと私に言われた通りのやり方をしたら、面白いように仕事が取れたとお礼の電話だった。やっぱりどこかズレている。そうか良かったな。上司はちゃんと仕事教えろよ。授業料は出世払いでツケておくから。
プランの初期スケッチをしている時って、きわめて音楽的だなと思う。心地よい旋律を考えているみたい。動線とか機能も大事だけど、良いプランができる時って、そんなこと考えないで自由に鉛筆を走らせている時が圧倒的に多いように思う。
まるでグラフィックデザインのように美しい形にプランがまとまると、結果として機能もバッチリだし、法的にも穴はないし、スケールを当てればすべてが辻褄が合う。そういう体験をするたび、プランニングは人には教えられないとつくづく思う。
人が描いたプランにコメントすることはできる。でもどうやったら描けますか?という質問には答えられない。だから音楽的。どうやったら曲が書けますか?と聞かれて答えられないのと同じように。
教えてできることは、AIに置き換えができることだと思う。人には教えられないことが、その人にしかできない仕事なのだと思う。
飯田善彦×宮崎晃吉×菅原大輔「場の運営で変わる設計論」
トークセッションにお邪魔してきました。
これからの事務所のあり方についてことあるごとに考えます。建築家が侍であるならば、時代は明治維新に差しかかっているのでしょう。いつまでちょんまげ姿で歩くのか、我々はその決断を迫られているような気もしています。
そんな折刊行された菅原大輔さんによる『プロジェクト図解 地域の場を設計して、運営する』は、ここ数年考えていたことが分かりやすく実例を交えて紹介されているタイムリーな一冊でした。
セッションは管原さんの仕切りのもと、それぞれが設計事務所の傍らカフェなどを運営する飯田善彦さんや宮崎晃吉さんによる話は、実践者にしか言えない言葉ばかりでとても説得力がありました。
設計事務所を街にひらこうとする取り組みはもはや珍しくはないかもしれませんが、それを「採算なんて合わない」とする飯田さんと、そこに経営のリアリティを見出そうとする宮崎さんや管原さん。そこにも時代のフェーズの変節点を感じたりして、新しい時代の感触を感じました。
久しぶりに、これは行かなくては!と思わせるイベントで、実際足を運べて良かったです。ありがとうございました。
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