17. 04 / 12

どんだけ

author
sekimoto

category
> 生活
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48


先週土曜、自宅のある志木市ではどこかでカラオケ大会をしているかのような音が響き渡っていた。うちは駅から近いので、駅前で何かイベントをやっているのかと思いきや、実際には何もやっていない。市民祭りの時だってこんな音はしない。

まさか花見?と思いつつ、我が家は川原の騒ぎが聞こえるほどの距離ではない。耳を塞ぐほどの音量ではないが、確かに近くで誰かが歌っているような声が聞こえる。

翌日曜も、お昼頃に外に出ると前日と同じような異様な音が町内に響き渡っていた。でも音源が特定できない。こんな不気味なことってあるだろうか。

そして今日、驚愕の事実を知った。ももクロがコンサートをしていたらしい。しかも隣の富士見市で。直線距離だと4~5kmはあるだろうか。まるで200mくらいの距離のところでやっているかのような音だったのでびっくり。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170412-00000068-san-l11

しかもYahooニュースによると、20km離れた都内でも聞こえたとか。男塾の大鐘音か。苦情が87件というが、おそらく3万人くらいの人が音源を特定できず「?」と思っていたに違いない。

このニュースに思うことはひとつである。
埼玉どんだけ静かなんだということ。


17. 04 / 09

ミュシャ展

author
sekimoto

category
> 生活
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48



国立新美術館のミュシャ展に行ってきました。

高さ6mものスラブ叙事詩をテーマとした作品群をどのように描いたのかにも興味がありますが、その絵の背景にあるメッセージにも強く引き込まれました。風景画とも宗教画とも異なるそれらは、一種の”暗号”のようでもあり、スラブ民族が歩んできた歴史とその意味性とが幾重にも重ね合わせてあります。

国家の未来はその歴史を正しく理解し認識することからはじまるというミュシャ。我々は我が国の歴史を正しく認識しているでしょうか。厚い歴史書を紐解くのは骨の折れる作業ですが、その膨大な情報を一切の文字を使わず、キャンバスに表現したミュシャの作品は、まさしくチェコの宝と言うべきものかもしれません。またそれを可能にするのが芸術の力なのですね。

展覧会は6月までですが、行かれた際はどうかイアホン解説を借りられることをお勧めします。絵に描かれたモチーフの何気ない仕草や表情、構図に至るまですべてに意味があり、予備知識もなく眺めてもさっぱりわからないかもしれません。単に眺めて「きれいだな」とかいう絵ではないんですね。でもそこに封印された謎の一端に触れると、キャンバスの向こう側に連れて行ってもらえるかもしれません。

しかし大変な混雑でした。チケットはコンビニなどで事前購入し、アサイチでの来場をお勧めします。先に行った奥さんの助言でそうしたので、スムーズに入れました。また後日、同美術館で開催中の草間彌生展にも足を運びたいと思います。

週末は心の充電です。

17. 03 / 14

ガチのやつ

author
sekimoto

category
> 生活
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48



今日はホワイトデー。
「ちょっと食べるの待って」

スタッフ
「インスタですか?」
「ちがうよ、関本さんのカメラ、ガチのやつ」
「え?アプリじゃなくてフォトショで修正しちゃうやつ?」
「そうそう」
「うそでしょ?」
「ほんとだって」

・・・ほっとけ!

17. 02 / 22

ストレッチ

author
sekimoto

category
> 思うこと
> 生活


私は体が硬い。私もという方もいるかもしれないけれど、比べないで欲しい。私の硬さは尋常ではなく、これまで私より硬いという人に会ったことがない。

たとえば脚を揃えて前屈をしたとする。その際の私の指先は膝上に届くのがやっとである。嘘でしょ?とか冗談でしょ?と言われるが、嘘でも冗談でもないのである。絶望的すぎて、体質改善など端からやる気も起きなかった。

そう、去年の末までは。

人の勧めもあって、年が明けてお正月からストレッチをはじめた。最初はまさに前述の通りである。ほぼ絶望的。そこから私は毎晩ストレッチを続けている。文字通り毎日、一日も休まずに。

今、私はもう少しでつま先に手が届く。はじめてまだ2ヶ月だ。

それは45年生きてきて初めての体験である。諦めていた自分の体がこんなにも劇的に変化するなんて思いもしなかった。本当に嬉しくて、今では毎晩のストレッチが楽しみにすらなっている。

ストレッチをすると体が悲鳴を上げる。それと同時に、あぁここがこんなに縮こまっていたんだなあと気付く。それを数日続ける。そうするともう痛くなくなる。もう少し負荷をかけてみる。また体が悲鳴を上げる。これを毎日続けると、少しずつ少しずつ伸びてゆく。


これはきっと仕事力にも言えることなんだろうと思う。

その仕事力は最初はみんなカッチカチだ。嘘でしょ?とか冗談でしょ?というくらい柔軟性にも注意力にも欠けている。ほら、こうやるんだよと手本を見せても、異生物を見るような目で見られてしまう。

そう、それが去年までの私。でも痛い痛いと思いながら少しずつ、少しずつ延ばしていると、いつしかつま先に指が届くようになる。そこが本当のスタートライン。

自分では毎日の自分の変化には気付かない。続けることが大事。続けることが大事なのだ。ルーティーンは確実に力になるのだから。

昨晩のSADIイベントに来て下さった偕成社の編集者さんに、とあるノルウェーの絵本を頂きました。中身を読みとっても共感するというか、くすっと笑ってしまう楽しい本だったのでご紹介したいと思います。

うちって やっぱり なんかへん?(偕成社)
トーリル・コーヴェ作 青木順子訳
http://amzn.asia/acteVJG

この本にはとある娘さん(作者の幼少時代)の、ちょっとした悩みについて書かれています。その悩みというのが、親が建築家であるということ。おしゃれすぎる家、マリメッコのワンピース、へんてこな自転車…。

そう、ご両親はただ優れたデザインのものを、良かれと思って揃えているだけなのです。でも娘さんの受け止め方は違います。ふつうの家にふつうのお父さん、ふつうのワンピースがただ着たいだけなのです。自転車だって、近所のお店で売ってるふつうの自転車が欲しいのです。

けれどもお父さんは、自転車がほしいという娘さんのリクエストに、受注生産のモールトン社の自転車をわざわざ英国に発注します。やっと届いた自転車に、テンションの上がったお父さんのウンチクが止まらない…。

娘さんは心の中の失望を懸命に隠そうとします。けれどもそれを次第にポジティブに受け入れてゆく、、とまぁそんなお話しです。


私のブログを読んでくださる方には、もうかなり刺さっていることと思います。あ、これ自分のことだ!と。

そうなんです。別に”ふつう”を否定しているわけじゃないんです。むしろふつうであろうとしているのに、自分の気持ちに素直に行動したり、惹かれるものを手に入れていくと、結果として人とはズレてしまうんです。建築家あるある、そして建築家住宅に住んでる人あるあるかもしれませんね。

この話を息子にしたら衝撃的な言葉が返ってきました。
「これ俺の話だ」

小さい頃、「おまえんちすごいな」と言われるのがとても嫌だったそうです。そうだったんだ…初耳でした。今はそんなことないそうですが。

実は私も小さい頃はそうでした。自分の住んでいる家が友達の住んでいる”ふつうの家”ではないことが嫌で仕方がありませんでした。親が”ふつう”ではないこともコンプレックスでした。

それを反面教師にして、今ではふつうの家に住み…ではないというのはなんなんでしょう?そういう家を作る張本人になってすらいる。ある意味突き抜けてしまったのかもしれませんね。

人に合わせるのではなく、自分らしく生きるというのは本当に幸せなことだと思います。この絵本のほんとうに伝えたかったことは、そういうことなんでしょうね。ある意味、北欧らしい考え方のような気がします。