
正月も三が日を過ぎ、社会も少しづつ動き始めているようですね。昨年末に立て続けに引き渡した住宅の建て主さん達からも、この年末年始は家の片付けに明け暮れたという旨のメッセージとともに、ちょっとした相談や確認なども届き始めています。
そんな中、同じく暮れに引き渡した「巣の家」の建て主Fさんからはこんな素敵なメッセージを頂きました。許可を頂きましたので、こちらでもご紹介させて頂きます。
**************
引越作業が思いのほか長くかかり、その後の様子をきちんとご報告できておらず申し訳ありません。
仮住まいでは荷物の多くを開封していなかったため、入居時の引越作業は比較的簡単に済むと考えていたのですが、いざ荷ほどきしてみると小物一つとってもこの新しい住まいにふさわしいかどうか吟味してしまい、結果大半の荷物を捨ててしまいました。今の暮らしに本当に必要なものは何かを見極める良い機会になりました。
新しい家には、「もっとここはこうだったら良かったのに」と思うところがこれまでのところ一つもありません。いくつもの細かな私たちの希望を丁寧にすくい上げて頂いたということももちろんありますが、それ以上に私たちが気づかなかった部分にこそたくさんの驚きや発見があります。
たとえば、ダイニングテーブル背後の手を伸ばした先に小物を置けるスペースが用意されていたり、アトリエからラウンジ方向に視線を向けると、収納上部をくりぬいたスペースからテレビが見えたり(ちょうど良いシネマサイズになります 笑)、灯りのほしい場所にダウンライトがあったりと、挙げるときりがないのですが極めつけはやはり、リビングのどこにいてもいつでも東西南北の空が見えることです。そんな家はこれまで他に見たことがありません。
私たちは建て替える前までこの小さな土地に 15 年以上暮らしていたので、この空間の広さと開放感が驚異的なものであることを、身をもって感じています。素敵な家を造っていただき、本当にありがとうございました!
**************
新年早々、胸いっぱいに幸せな空気を吸い込んだようでした。
ご入居後に快適に暮らしているということを端的にお伝え頂けることは多いのですが、良くも悪くも「知らせがないのは良い知らせ」というのがこの業界の通例ですので、ここまで具体的にお住まいになっての感想を頂けると本当に嬉しく、また励みになります。
建主のFさんご夫婦のすごいところは「できるかできないかギリギリのところ」を攻めるのが上手いということです。もう少しムチャ振りが過ぎれば「それはできません」となるのですが、「できない、、とも言い切れない!」という、まさのペコパばりの返しをせざるを得ないところを突いてくるので、結果的にこちらの設計も絶妙に肯定ベースで進めることができました。
対応も常に紳士的で、こちらも大変気持ちよく設計を進めることができました。きっとFさんご夫婦は、お仕事でも抜群に仕事のできる方たちなのでしょうね。
一方では我々も、「くるっと振り向いたらここに新聞が置けるように」とか、「ラウンジ側からアトリエで仕事(勉強)している人の気配がわかるように」とか、「ここから視線が抜けるように」とか、頼まれてもいないのに妄想を勝手に膨らまして、あらゆる場所のスケールを検討してトラップを仕掛けていました。
これらはすべて我々の設計における”伏線”のようなものですので、「たまたまじゃないの?」と流されてしまうととても悲しいのですが、こうしてひとつひとつ拾い上げてもらえると、心の中でガッツポーズを決めたくなります!
また冒頭の「大半の荷物を捨ててしまった」というのも、建て主さんあるあるだと思いました。
最初は皆さん今の生活をそのまま持ち込もうとされるのですが、空間に合った暮らしを選択されることで、建て主さんもそこでもう一度生まれ変わることができるということなのだと思います。けして我々が「捨ててください」と言っているのではありません笑
書いておられるように、Fさんは建て替える前まで同じ場所でお住まいになっていました。建ペイ率や容積率が厳しく、建て替えても家を今以上に広くすることは出来ないという絶望的な(?)条件からのスタートでしたが、敷地は同じでもプランニング次第で空間は大きく化ける!ということを実証できて本当に良かったと思います。
Fさん、このたびは素敵なコメントをありがとうございました!

ふと思い立って本棚の整理をはじめた。
事務所の本棚はもはや仕舞いきれないほどの本で溢れかえり、本の上にも横向きになった本がどんどんたまる一方だ。本は自分で買ったものもあれば、出版社から(一方的に)送られてくるものもある。
なんでこの雑誌が送られてきたのだろう?と思ってパラパラめくっていると、取材協力した記事が出てきたり、私の顔写真の載った広告があったりする。昔は几帳面に掲載誌をスクラップしたりしていたけれど、今ではそのまま机の脇に横積みされてゆく一方だ。
自分とは関係ない本でも、SNSなどに良かったらコメントなど書いてもらえませんか?というレビュー依頼系も多い。はいはいわかりましたと心で呟き、やはり机の脇に積まれてゆく。
そんな本棚を改めて眺めていると、棚に納まったきり、おそらくはもう二度とその本を手に取ることもないだろうというものがほとんどであることに気づく。もう何年もその存在すら忘れていたものばかりだ。
年賀状を出すためにひらくアドレス帳もそうだ。何千人もの名前で埋め尽くされたデータも、ほとんどが人生のほんの一時期に自分の脇を通り過ぎていった方たちばかり。中には名前を見るだけで苦い思い出が蘇ってくる人もいる。
そんなデータなど消してしまえば良いのに、きっかけを掴めないまま、もはや消すにも消せない量になってしまった。その気になって選別すれば私の出すべき年賀状はきっと20枚くらいになるに違いない。
そんな本棚を眺め、ふと全部捨ててしまいたくなった。
スイッチの入ってしまった私は、あれもいらないこれもいらないと、どんどん床の上に放り出した。それを無心で紐でしばっていると頭の中でふいに「しがらみ」という言葉の無限リフレインがはじまった。しがらみ、しがらみ。あぁ自分は人生においてなんと無駄なしがらみに縛られていることだろう。
私はしがらみが大嫌いだ。予定調和を嫌い、自分が思うように自由に生きていきたいと思ってこの仕事を選んだ。一生フリーでいい。役職や肩書きなんてまっぴらゴメンだ。
それなのに気づいたら私は今やいろんな役職につき、無駄な肩書きがいっぱい出来てしまった。ずっとそういうものから距離を置いてきたというのに、なんてことだ。
私には過去はいらない。未来もいらない。今だけでいい。これまでの知識と経験はすべてこの心と体の中にあり、それは誰にも奪われることのないものだ。
そう思ったら、この事務所の備品もほとんど捨てていいんじゃないかと思えてきたけど、年明けにスタッフが困るのでそれは思いとどまった。
「しがらみ」と打ち込んで変換したら「柵」と出た。びっくりした。私にとって今年を象徴する漢字一文字が、今決まった。
.
事務所の本棚はもはや仕舞いきれないほどの本で溢れかえり、本の上にも横向きになった本がどんどんたまる一方だ。本は自分で買ったものもあれば、出版社から(一方的に)送られてくるものもある。
なんでこの雑誌が送られてきたのだろう?と思ってパラパラめくっていると、取材協力した記事が出てきたり、私の顔写真の載った広告があったりする。昔は几帳面に掲載誌をスクラップしたりしていたけれど、今ではそのまま机の脇に横積みされてゆく一方だ。
自分とは関係ない本でも、SNSなどに良かったらコメントなど書いてもらえませんか?というレビュー依頼系も多い。はいはいわかりましたと心で呟き、やはり机の脇に積まれてゆく。
そんな本棚を改めて眺めていると、棚に納まったきり、おそらくはもう二度とその本を手に取ることもないだろうというものがほとんどであることに気づく。もう何年もその存在すら忘れていたものばかりだ。
年賀状を出すためにひらくアドレス帳もそうだ。何千人もの名前で埋め尽くされたデータも、ほとんどが人生のほんの一時期に自分の脇を通り過ぎていった方たちばかり。中には名前を見るだけで苦い思い出が蘇ってくる人もいる。
そんなデータなど消してしまえば良いのに、きっかけを掴めないまま、もはや消すにも消せない量になってしまった。その気になって選別すれば私の出すべき年賀状はきっと20枚くらいになるに違いない。
そんな本棚を眺め、ふと全部捨ててしまいたくなった。
スイッチの入ってしまった私は、あれもいらないこれもいらないと、どんどん床の上に放り出した。それを無心で紐でしばっていると頭の中でふいに「しがらみ」という言葉の無限リフレインがはじまった。しがらみ、しがらみ。あぁ自分は人生においてなんと無駄なしがらみに縛られていることだろう。
私はしがらみが大嫌いだ。予定調和を嫌い、自分が思うように自由に生きていきたいと思ってこの仕事を選んだ。一生フリーでいい。役職や肩書きなんてまっぴらゴメンだ。
それなのに気づいたら私は今やいろんな役職につき、無駄な肩書きがいっぱい出来てしまった。ずっとそういうものから距離を置いてきたというのに、なんてことだ。
私には過去はいらない。未来もいらない。今だけでいい。これまでの知識と経験はすべてこの心と体の中にあり、それは誰にも奪われることのないものだ。
そう思ったら、この事務所の備品もほとんど捨てていいんじゃないかと思えてきたけど、年明けにスタッフが困るのでそれは思いとどまった。
「しがらみ」と打ち込んで変換したら「柵」と出た。びっくりした。私にとって今年を象徴する漢字一文字が、今決まった。
.


and fika(アンドフィーカ)さんのYouTubeチャンネル「フィーカの時間」に出演させて頂くことになりました。
■ フィーカの時間・北欧対談-30|関本竜太(建築家)
日時:2022年12月21日(水)15:00~
https://www.youtube.com/watch?v=0pNaPUiq-AE
※後日配信もあります
アンドフィーカさんは北欧デザインに特化したライセンス会社で、目黒通りにも素敵なお店を構えておられます。こちらのチャンネルには、過去多くの北欧分野で活躍されている方々が出演されていて、私が設計したカフェモイの岩間さんや、SADI会長の川上玲子さん、友人の森百合子さんといった名前も。こちらに混ぜて頂き光栄です。
当日はアンドフィーカ代表の今泉さんとフリートークベースで、北欧のおしゃべりを楽しませていただきます。フィンランドに渡ったきっかけや、アールトの建築の魅力などもお話しさせて頂きたいと思います。
こちらのチャンネルは、北欧の”お茶タイム”であるフィーカにちなんだチャンネルのため日中の配信になりますが、後日アーカイブ配信もありますので、お仕事でご覧頂けない方は後日の配信もどうかお楽しみください!
■ フィーカの時間|北欧対談 バックナンバー
https://www.youtube.com/@andfika_cafetalk
.

最近は週末になると事務所にこもって一日中原稿を書いています。詳細は明かせませんが、また来年に本を出す予定です。
原稿の内容はいつも書いているブログの延長のような内容なのですが、一日に長文のブログを7~8本書いている感覚なので、すでにブログを半年分くらい書いているような感覚、、。そのためこちらの更新が滞りがちで申し訳ありません。
さて以前も書きましたが、野地木材工業さんのYouTubeチャンネル「建築家たちの飲まずにいられない話」は、4月から始まり早半年。こちらには告知していませんが、毎回のように業界の著名人の方々がゲストに来て下さり、面白くも深イイトークが繰り広げられています。
■建築家たちの飲まずにいられない話(YouTube)
https://www.youtube.com/playlist?list=PL8U10lwp4E-Z57YEFcBIXMb0HLVqYZ1zT
まだ動画は上がっていませんが、先日のゲストは建築家の佐藤重徳さん。ひょんな流れから、建築家の自邸の話になったのですが、私も小谷さん、伊礼さんも住宅建築家というのは”リアクション芸人”的な性質があって、自分から「こういう家に住みたい」というのはないという話が、みんなそうなんだなぁと共感が持てておもしろかったです。
私も自分の自邸(OPENFLAT)を作る際に、「こうしたい!」というものがほとんどなく、とても困ったという経験がありました。ご依頼頂く他人様の住宅はとにかくがんばりますが、自分の家だとどうでも良くなってしまう、、。そんなユルさがかえって心地よい空間を生んだとも思っています。
まったくオチのない話ですみません。文章も原稿は「他人様」、ブログは自分事なので今私は脳みそをオフにして書いています笑
さてそろそろ原稿に戻ろう、、休憩おわり!
原稿の内容はいつも書いているブログの延長のような内容なのですが、一日に長文のブログを7~8本書いている感覚なので、すでにブログを半年分くらい書いているような感覚、、。そのためこちらの更新が滞りがちで申し訳ありません。
さて以前も書きましたが、野地木材工業さんのYouTubeチャンネル「建築家たちの飲まずにいられない話」は、4月から始まり早半年。こちらには告知していませんが、毎回のように業界の著名人の方々がゲストに来て下さり、面白くも深イイトークが繰り広げられています。
■建築家たちの飲まずにいられない話(YouTube)
https://www.youtube.com/playlist?list=PL8U10lwp4E-Z57YEFcBIXMb0HLVqYZ1zT
まだ動画は上がっていませんが、先日のゲストは建築家の佐藤重徳さん。ひょんな流れから、建築家の自邸の話になったのですが、私も小谷さん、伊礼さんも住宅建築家というのは”リアクション芸人”的な性質があって、自分から「こういう家に住みたい」というのはないという話が、みんなそうなんだなぁと共感が持てておもしろかったです。
私も自分の自邸(OPENFLAT)を作る際に、「こうしたい!」というものがほとんどなく、とても困ったという経験がありました。ご依頼頂く他人様の住宅はとにかくがんばりますが、自分の家だとどうでも良くなってしまう、、。そんなユルさがかえって心地よい空間を生んだとも思っています。
まったくオチのない話ですみません。文章も原稿は「他人様」、ブログは自分事なので今私は脳みそをオフにして書いています笑
さてそろそろ原稿に戻ろう、、休憩おわり!

昨日は代官山で開催中の写真家・髙橋恭司さんの個展「Ghost」へと足を延ばした。恭司さんとは20年も前にフィンランドで出会った。
エクスナレッジが社運をかけて創刊するという雑誌「エクスナレッジホーム」が、その創刊特集号に選んだのはアルヴァ・アアルトだった。そして編集部がその目玉であるアアルトの建築を撮影する写真家に選んだのは、建築写真家ではけしてない髙橋恭司さんだった。
当時私はフィンランドに留学中で、たまたまその創刊号の現地コーディネーターを引き受けることになった。ほかにも一線のクリエイター陣で固められた創刊号のキャスティングは錚々たるものだった。
恭司さんは不思議な写真家だった。私は最初の夜の食事をご一緒させて頂いた。インディアンのような風貌の大男だった。その傍には不釣り合いに華奢な女性のカメラアシスタントがいた。
次の日から取材は始まった。取材班は二つに分かれ、私は別の取材班をガイドしていたのだけれど、これはもう一つの取材班で恭司さんのガイド役をしていた友人から聞いた話だ。
*****
マイレア邸が近づき、小高い丘にハンドルを切ろうとしたら、恭司さんはおもむろに「真っ直ぐ進んで欲しい」と言った。そっちはマイレア邸ではないのに、と思いながら言われた通りに車を走らせると、川のほとりに辿り着いた。恭司さんはおもむろにそこで写真を切り始めた。
同行した編集者は撮ってほしいのはその景色ではないのにと困惑していたそうだが、のちにマイレア邸に着いてその話を管理人に話すと「どうしてその川がわかったのか?」と言われたそうだ。その川のほとりは、アアルトが最初にマイレア邸の敷地として選んだ場所だったという。マイレ夫人の反対にあって翻意したものの、そこには何か念のようなものが残っていたのかもしれない。
*****
マイレア邸では、その川の写真を含めて、恭司さんが切った写真はわずか6枚ほど。海外ロケである。普通の写真家なら内外観含めて何十枚も切ったかもしれない。創刊号には、そんな川の写真もなんのキャプションもなく挿入されているので、ページをひらいた人には一体なんの写真だかわからなかっただろう。
恭司さんの個展にはまさかアアルトの写真はないだろうと思って行ったら、あった。マイレア邸のグリーンルームでの一枚だった。見た瞬間に、あっと声をあげてしまった。
作品集にはもう一枚フィンランドでの写真が収録されていた。苔むした岩の写真。これはアアルト夏の家の近くで撮られた一枚だ。ここでも切られたのはわずか数枚。岩の写真は雑誌にも収録されていた。相変わらず、アアルトの建築写真ではないのだけれど。
恭司さんはスピリチャルな写真家だ。目の前の被写体ではなく、その向こう側の、あるいは手前の霊的な何かを切り取る。それはある意味、広義の心霊写真とも言えるのかもしれない。今回の個展のタイトル「Ghost」もまた示唆深いタイトルだ。
今回限られた展示の中に、あの時の写真が2枚もあるとは思わなかった。20年ぶりに私が恭司さんのことを思い出し、会場に足を運ぶことを予期していたのかもしれない、というのは考えすぎだろうか。


写真は左側は髙橋恭司さんの作品集から。右側はエクスナレッジホームの誌面より。
