
自宅のトイレにある日「点検」ランプが灯った。ん、故障か?そう思ってマニュアルを読むと、設置してから10年経つと自動的に点灯するものだという。ランプを消すためには、メーカーに連絡をして点検をしなくてはいけないらしい。
点検といったって、トイレは普通に使えているし、ほんとに点検なんているのかいな。ちょうど工務店の設備屋さんが別件で来ることになっていたので、ついでに見てもらうと別におかしいところはないという。けれどランプを消すためにはメーカーを呼ぶ必要があり、それにはお金がかかるという。なにそれ?だ。
そこでメーカーを呼ぶとする。すると「異常はありませんが、最近ご不便はありませんか?」そんなサービスマンの問いかけに、「そういえば最近… 」はいそこのあなたロックオン!
最近ではこんな機能がついていまして、しかも節電、今ならオトク!のたたみかけに、「じゃあ、お一つ頂こうかしら」「まいどあり!」の流れになるに違いない。
点検は呼ぶつもりはない。ないけれど、このランプ気になる。お金を払うから消してほしい(じゃあ呼べよ)

直近でうちの事務所にいらっしゃった方はギョッとされたかもしれませんが、現在自宅には前面道路側も足場がかかり、改修工事を行っています。
我が家も今年で築18年になります。RC造でありながら外部周りにも木をたくさん使っていて、それが自邸で気に入っている部分でもあるのですが、木は定期的な手入れをしないと傷みが早まります。
人間のお肌と同じで、一度劣化が進んでしまったものはあとからオイルを塗っても元には戻りません。とにかく経年変化を遅くするしかないんですね。
先だって、建築家の隈研吾さんが設計したとある美術館の外装の木部が腐ってきたと大騒ぎになりましたが、劣化を抑える特殊な処理をしたとしても時間の流れは完全には止められません。
メンテナンスフリーという言葉は過信せず、やはり管理者による定期的なメンテナンスは心がけなくてはいけないと思います。


一般的に外装の木部は、最初は3年後、そのあとは5年周期で塗り替えて下さいと建て主さんには説明していますが、なかなかそんなにこまめにお手入れをして下さる方は少数派です。私としては、少なくとも5~8年周期くらいでは再塗装を行うと良いように感じています。
我が家のケースでは、道路側の木製ガラススクリーンの木部は、すでに過去2回ほどは足場を架けて塗り替えをしています。今回は3回目の再塗装で、前回が2018年だったので今回は7年ぶりの再塗装ということになります。
中庭側は植物が被い繁っているのと、あまり直射日光が当たらないこともあってもう少し頻度が低いです。前回が2015年で今回は実に10年ぶり!ずっとサボっていましたが、ついに重い腰を上げました。そのために愛着のあったツタをばっさり切った話は以前も書きましたね。


今回はそれに加えて、竣工以来打ち替えていないコーキングの打ち替え工事、庇の防水のやり替え、手の届かないガラスのクリーニング、また個室のエアコンや便器の交換など、これを機にいろいろお願いしてまとめて施工頂いています。
気になるお値段ですが、我が家の場合3階建てで足場範囲も広いのですが、外部の塗装工事だけでしたら100万円もかかりません。その他の付帯工事の方が高く付きました。意外と安いと思ったでしょうか?
一般家庭の一部の木部再塗装でしたら2~30万くらいでできるんじゃないでしょうか。これを放置して腐らせてしまうと100万円じゃ済まないでしょうね。だからメンテナンスをこまめにした方が、トータルで安上がりだし美観も維持できるということになります。
、、ということを、私が実践しないと説得力なくなっちゃうんで笑
来週には足場が外れそうです。またきれいになった我が家を見るのが楽しみです!
25. 01 / 26
モシャモシャ
author
sekimoto
category
> 生活
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48

アールトの自邸のように、ツタに覆われた住宅というのは憧れで、自邸ではテイカカズラを外壁に這わし、1階の事務所の壁はとうに越えて、2階そして3階へとどんどん伸び続けていった。このモシャモシャがとても気に入っていた。
ところが家族にはいたく不評で、いい加減切ってくれと何度言われたことか。それでも聞き流してきたのだけれど、来週から外壁塗装の工事が始まることになり、そこに家族からのさらなる陳情も届き、とうとう観念して木部にかかるツタをバッサリ切り落とすことにした。

落としてみるとサッパリした。サッパリはしたのだけれど、どうも落ち着かない。まじめか!やっぱりモシャモシャの方が良かった。
ロックミュージシャンを目指していた長髪の若者が、田舎の親に言われてバッサリ髪を切り、就活を始めたみたいでとても寂しい。
塗装工事が終わったら、また伸ばすぞ!
25. 01 / 10
発見!
author
sekimoto
category
> 生活
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48

今年はうちの事務所からは年賀状を出さなかった。一応その旨は昨年の年賀状で宣言済みだったものの、いざ出さないとなるとこれまで頂いていた方に失礼にならないだろうか?といろいろと心配になった。
ただ実際には、昨年末は特に忙しかったこともあるけど、暮れが近づくにつれて「そろそろ年賀状発注しなくちゃ」「切手買わなくちゃ」からはじまって、出す人のリストの精査、宛名ラベルや切手貼り、一言コメント書きとやらなくちゃいけないことがいっぱい!昨年末はそれらすべてを放棄できたことで、これがどんなに楽だったことか。
そうしたら、年が明けて届いた年賀状のまぁ少なかったこと!なんだか逆にホッとしてしまった。やっぱりみんな同じだったんだ。写真の左側は昨年の年賀状、右側は今年の年賀状(たぶん100枚くらい)。その量は約半分!年々減り続けていたけど、今年は一気にガクンと少なくなった。
それでもご丁寧に頂いた方には本当に頭が下がる思い。それなのに、お返事も出せなくて本当にごめんなさい!
◇
そんななか思うことがいくつかあった。
例年通り届いた年賀状は、可愛らしいイラストや凝ったデザインのもの、丁寧に手書きのコメントを入れて下さっている親しい方からのものもあって、こちらはほっこりしながら嬉しく読ませて頂いた一方、画像ひとつない紋切り型の挨拶のみが印刷された企業からのものも少なからずあった。
頂けるのはありがたいと言いたいところなのだけれど、もう何年もお付き合いが途絶えていたり、そもそもこんな業者知らない、、というものも結構あって、こんなに一通の年賀状の重みが上がっている昨今でも、こんな無駄な経費の使い方をしている企業があるんだという点に驚く。
無駄なんて言っては失礼かもしれないけれど、「送る」という行為だけにとらわれて全く心のこもっていないハガキは、営業になるどころか不要なDMに近いとすら思う。
一方では、昨年の私のように「来年からはもう出しません」ということを宣言したものも。これについては、こちらもすでに実行しているので「おぉ、あなたも。もちろん大丈夫ですよ!」と心で思うのだけれど、その理由として「地球環境に配慮して」「SDGsの達成のために」など壮大な環境意識を謳っているものも結構多かった。
あの、そんなに大げさなことなんでしょうか、、?
地球のために年賀状出さないとか本気で言ってる?ってへそまがりの私はつい思ってしまう。いっそ正直に「経費削減のため」「忙しくて無理」「ぶっちゃけ、めんどくさい」と書いてくれた方がまだ好感が持てる(めんどくさいは言い過ぎか)。
私は年賀状出すことが環境破壊だとは思わない。それを言うならもっと削減できることあるでしょうって思う。
最近では絶滅危惧種になりつつあるけど、年末にカレンダー置いてく問題もなんとかしてほしい。新手のいやがらせですか?とすら思う。いまどきカレンダー壁に掛けないでしょう。掛ける場合は相当吟味するし、なんなら自分で買う。あと社名入りの手帳とか!まじでいらない。使ってる人見たことない。
昔は年末に受け取りを拒めなかったカレンダーや手帳類を大量に捨てていた。これが、心が痛むこと傷むこと!いらないものをお得意様に捨てさせておきながら、自分はやるべきことやったみたいに思う悪しき慣習だ(しかも昭和の)。そんなときこそ「SDGs」と書かれたレッドカードを颯爽と突きつけたい。
でもただでさえやらなくちゃいけないことが増え続けているこのご時世に、仕事を納めてもなお年賀状の呪縛に囚われるとしたら、そんなものは潔くやめてしまえば良いとシンプルに思う。
大事なのは心や気持ち。それを表現できるなら、新年の挨拶はメールでもLINEでもブログでも良いんじゃなだろうか。そんなことを思ったこの年始め。
