
二十歳となった息子は、今日の地元の成人式には出席することなく旅立っていった。3ヶ月間、離島で働きながら暮らすことのできるプログラムに応募し、新学期が始まるまで帰ってこない。
大学生になった息子は、学校や友達の家を泊まり歩き、家には滅多に帰ってこない。最近では我が家ではもはや彼はいないものとしてカウントされていて、そのことにも何の違和感もなくなっている。
そんな彼も3ヶ月も家を空けるというのははじめてのこと。心配や寂しさのようなものはないと思っていたのだけれど、なんだか落ち着かず、当日はやっぱり夫婦で空港まで見送ることにした。
いつもは何度言っても直前まで準備をしない彼が、事前に準備リストまで作って前日の昼頃にはパッキングを済ませていたのには驚いた。早朝の出発には絶対に起きられないと思っていたのに、5時にはすでに起きていて身支度も始めていた。はじめて見る光景だった。
彼は美術大学という環境を得て大きく変わった。自分の世界観を持ち、手にはいつもヨレヨレの難しい本。それは私も読んだことのないものだ。
3ヶ月後には彼はまた帰ってくる。けれど、今日で我々の子育ては終わったような気がした。彼は我々の手をすり抜けて遠い世界へと旅立っていった。彼らしい成人式だった。

リオタデザインも5日より仕事始めとなりました。この日はスタッフを連れて地元の敷島神社に初詣ののちは水子貝塚公園へ。
ここは東上線沿線に点在する貝塚のひとつで、園内に竪穴式住居も復元されているスポット。
ここに来る目的の一つは、縄文時代の埼玉の陶板地図があること。これによると、東武東上線は昔の海岸線、浦和は岬の先端、そこから先はすべて海の底だったことがよくわかります。
海なし県の埼玉も、6000年前は見渡す限りの海があって、我が家の少し先にはビーチが広がっていたわけです。もうちょっと早く生まれていれば、志木は葉山だったのかも!
ようこそ葉山へ。今年もよろしくお願いします!


新年あけましておめでとうございます!
ここで新年の抱負でも書くかと思いきや、そんなことは書きません。抱負なんて意味がないからです。そのことはおいおい書くとして、まずは年賀状の話から。
子どもの頃、クラスの友達や担任の先生、親戚などからお正月に年賀状が届くのが楽しみでした。それでも自分宛に届いたのは10通くらい。一方の父親のもとには札束のような量の年賀状が毎年届き、大人になったらあんなにたくさん年賀状をもらえるんだとワクワクしながら、父の偉大さを子供心に感じたものでした。
私も今では、あの頃の父親の量には足元にも及びませんが、お正月にはちょっとした量の年賀状が届きます。ですが今年秋に郵便料金が大幅値上げされるのを潮に、私から出す年賀状は今年で最後にすることにしました。
毎年暮れに諸事に追われながら「そうだ、年賀状やらなくちゃ」とトラウマのように悩まされる日々もこれで最後。そう考えたら急に気が楽になり、これでスッキリ!と思っていたというのに、このお正月に頂いた年賀状を一通一通眺めていたら、そんな決意もグラつくことに。
年賀状の端に「快適に暮らしています」との一言を添えて下さる建て主さん。昨年の出来事を振りかえって温かい言葉を寄せて下さる仲間。もはや年賀状だけの付き合いになってしまった古い友人の家族写真。やっぱり年賀状って良い習慣だとしみじみと思います。ごく内輪の方にはひっそりと今後も送り続けようかな、、。
さて、年賀状にもいろんな種類があります。仕事上付き合いのある企業から届く定型文のものから、建て主さんや友人、親戚など個人の方から届くもの。そして同業の建築家仲間から届くものなど。
中でも同業から頂く年賀状は、昨年竣工したばかりの建築写真や、デザインやレイアウトも凝っているものも多く、ついため息をつきながら見入ってしまいます。
とここまでは良いのですが、そこにさらに昨年の活躍や意識高めの今年の抱負が書き連ねられていると、そのままそっと裏返したくなってしまいます。そこには悪意もないのですが、ただ私は思うのです。
この新年にイキって抱負を言う習慣って、もうやめません?
「挑戦」とか「飛躍」とかもういいです。仕事を一生懸命やっている人なら、皆日々挑戦していることでしょう。それ以上肩に力を入れてどうする。飛躍は結果論でしかないのですから。
仕事は自然体が一番です。目標は決めないほうが良いし、抱負もいりません。目標を決めなければ落胆することもありません。着地したところがゴールなのですから。
ただ目の前に来た仕事に全力投球!それだけで十分だと思うのです。
さぁ、今年も楽しく充実した一年になりますように。
ここで新年の抱負でも書くかと思いきや、そんなことは書きません。抱負なんて意味がないからです。そのことはおいおい書くとして、まずは年賀状の話から。
子どもの頃、クラスの友達や担任の先生、親戚などからお正月に年賀状が届くのが楽しみでした。それでも自分宛に届いたのは10通くらい。一方の父親のもとには札束のような量の年賀状が毎年届き、大人になったらあんなにたくさん年賀状をもらえるんだとワクワクしながら、父の偉大さを子供心に感じたものでした。
私も今では、あの頃の父親の量には足元にも及びませんが、お正月にはちょっとした量の年賀状が届きます。ですが今年秋に郵便料金が大幅値上げされるのを潮に、私から出す年賀状は今年で最後にすることにしました。
毎年暮れに諸事に追われながら「そうだ、年賀状やらなくちゃ」とトラウマのように悩まされる日々もこれで最後。そう考えたら急に気が楽になり、これでスッキリ!と思っていたというのに、このお正月に頂いた年賀状を一通一通眺めていたら、そんな決意もグラつくことに。
年賀状の端に「快適に暮らしています」との一言を添えて下さる建て主さん。昨年の出来事を振りかえって温かい言葉を寄せて下さる仲間。もはや年賀状だけの付き合いになってしまった古い友人の家族写真。やっぱり年賀状って良い習慣だとしみじみと思います。ごく内輪の方にはひっそりと今後も送り続けようかな、、。
さて、年賀状にもいろんな種類があります。仕事上付き合いのある企業から届く定型文のものから、建て主さんや友人、親戚など個人の方から届くもの。そして同業の建築家仲間から届くものなど。
中でも同業から頂く年賀状は、昨年竣工したばかりの建築写真や、デザインやレイアウトも凝っているものも多く、ついため息をつきながら見入ってしまいます。
とここまでは良いのですが、そこにさらに昨年の活躍や意識高めの今年の抱負が書き連ねられていると、そのままそっと裏返したくなってしまいます。そこには悪意もないのですが、ただ私は思うのです。
この新年にイキって抱負を言う習慣って、もうやめません?
「挑戦」とか「飛躍」とかもういいです。仕事を一生懸命やっている人なら、皆日々挑戦していることでしょう。それ以上肩に力を入れてどうする。飛躍は結果論でしかないのですから。
仕事は自然体が一番です。目標は決めないほうが良いし、抱負もいりません。目標を決めなければ落胆することもありません。着地したところがゴールなのですから。
ただ目の前に来た仕事に全力投球!それだけで十分だと思うのです。
さぁ、今年も楽しく充実した一年になりますように。
みなさま、仕事は無事納まりましたでしょうか?
私は仕事は26日にとっくに納めていまして、この忙しかった1年分ののんびりを取り戻すような日々を送っています。朝起きて、今日は何も予定がないという一日のなんと贅沢なことか。
我々の仕事は土日にも建主との打ち合わせが頻繁に入ります。丸一日取られることはあまりありませんが、朝起きて、今日は午後から打合せがあると思うと午前中はリラックスはできません。ずっとエンジンをアイドリングしているような状態が続きます。
また仕事以外にも、諸団体のお役目やその活動準備があって、メンバーも私と同じように平日は仕事があるので、結局土日も緊張感あるメッセージが飛んできて、やっぱりギアは入りっぱなしなのでした。
我々建築を仕事にする者にとって、現場や社会の動きが束の間ストップするお盆と年末年始は、そういう意味では心から休まる束の間の貴重な休日だといえそうです。
なかでも年末っていいなと思います。
私はお正月よりも、断然“年末派”です!(そんな派があるのか知りませんが)
しかし不思議なのは、どの月にも月末があって、わずか一日またげば次の月になりますよね。それなのに一年で12月の月末またぎだけは、まるで大気圏突入のようにすべての時が止まって、厳かに過ごす感じになります。けれどもそれが背筋が伸びるような緊張感もあって、なかなか良いなと思うのでした。
ところで、この時期の恒例行事といえば忘年会ですが、正直私は忘年会があまり好きではありません。もちろん、親しい者同士が集まって盃を交わし合う時間は、そこに居合わせれば私もとても楽しいですし、嫌だなとはけして思いません。
けれども、先の話のように「今日は忘年会がある」と思っただけで、妙なエンジンのアイドリングがはじまってしまって、なんだかその日は日中にあまり予定を入れられないような、また入れても時間が気になってしまって、その日一日の行動パターンをつい無理のないように考えてしまったりします。それが面倒くさい。
私自身もおそらくそういうオーラを出しているためか、正直あまり飲みの席に誘われることはありません。SNSをひらいて、知人が忘年会で楽しそうにしている写真を見ると、アレ?自分は誘われてないぞと思うこともありますが笑、先に書いた通り、朝起きて何も予定がない一日というのが贅沢すぎて、なかなかこの喜びに勝つことはありません。
何も予定がなく、仕事の緊急なメールも入らない年末、私は思いつきで掃除を始めたり、自分のためだけの仕事をしたりして過ごします。そして思いつきで家族と出かけたり、外食をしたりするというのもこの時期ならでは。私にはこれもとても贅沢で、自分を取り戻せる貴重な時間になっています。
今日はそんな流れで、思いつきで庭木の剪定をしていたのですが、作業しながらふと「料理男子」という言葉が唐突に頭に浮かんでぐるぐる回りはじめました。なんなんですかね、料理男子。なんか料理できる男は良いみたいなのが流行っているじゃないですか。
私は料理はしません。そのかわり、それ以外のことは大概のことはやります。例えば庭木の剪定もそのひとつですし、力仕事や家の中の「意匠」に関わることもやっぱり私の担当となります。朝はコーヒーを淹れ、旅行の計画は私がすべてを取り仕切ります。なぜなら、私はそれをやるのが妻より得意だからです。
家族や夫婦というのは、詰まるところ合理的に役割を分担しあうことに意味があるように思うんですよね。その人がやることに合理性や必然性があるからやる、みたいな。
年末の過ごし方の話から急に飛躍しているようですが、実はつながっていて、要は年末はそういう個人の素の部分が出るので、自分の立ち位置や家族の体幹みたいなことが見えやすくなるということなんだと思います。
対外的なことばかりについ目が向かいがちな一年のなかで、年末に鎖国政策のように社会とのつながりを一時的に断ち切り、自分自身に戻れる素の時間を持つことはやっぱり大事だよなとしみじみと思うのでした。
ということで、素に戻ったついでに、大した中身のない駄文をダラダラと書いてみました。これもまた自分自身のデトックスと言えそうです。
ちなみに、ここで「みなさま良いお年を!」で締めくくるかどうかも悩みどころでして、、。そうやって締めくくったメールの直後に、再び別件でメールをしてしまうことのバツの悪さを何度も経験しているので、年末のメールでその刀を抜くときはかなり慎重になってしまうのでした。
また思いつきで何か書くかもしれないので、ここはいつものようにしれっと筆を置くことにします!
私は仕事は26日にとっくに納めていまして、この忙しかった1年分ののんびりを取り戻すような日々を送っています。朝起きて、今日は何も予定がないという一日のなんと贅沢なことか。
我々の仕事は土日にも建主との打ち合わせが頻繁に入ります。丸一日取られることはあまりありませんが、朝起きて、今日は午後から打合せがあると思うと午前中はリラックスはできません。ずっとエンジンをアイドリングしているような状態が続きます。
また仕事以外にも、諸団体のお役目やその活動準備があって、メンバーも私と同じように平日は仕事があるので、結局土日も緊張感あるメッセージが飛んできて、やっぱりギアは入りっぱなしなのでした。
我々建築を仕事にする者にとって、現場や社会の動きが束の間ストップするお盆と年末年始は、そういう意味では心から休まる束の間の貴重な休日だといえそうです。
なかでも年末っていいなと思います。
私はお正月よりも、断然“年末派”です!(そんな派があるのか知りませんが)
しかし不思議なのは、どの月にも月末があって、わずか一日またげば次の月になりますよね。それなのに一年で12月の月末またぎだけは、まるで大気圏突入のようにすべての時が止まって、厳かに過ごす感じになります。けれどもそれが背筋が伸びるような緊張感もあって、なかなか良いなと思うのでした。
ところで、この時期の恒例行事といえば忘年会ですが、正直私は忘年会があまり好きではありません。もちろん、親しい者同士が集まって盃を交わし合う時間は、そこに居合わせれば私もとても楽しいですし、嫌だなとはけして思いません。
けれども、先の話のように「今日は忘年会がある」と思っただけで、妙なエンジンのアイドリングがはじまってしまって、なんだかその日は日中にあまり予定を入れられないような、また入れても時間が気になってしまって、その日一日の行動パターンをつい無理のないように考えてしまったりします。それが面倒くさい。
私自身もおそらくそういうオーラを出しているためか、正直あまり飲みの席に誘われることはありません。SNSをひらいて、知人が忘年会で楽しそうにしている写真を見ると、アレ?自分は誘われてないぞと思うこともありますが笑、先に書いた通り、朝起きて何も予定がない一日というのが贅沢すぎて、なかなかこの喜びに勝つことはありません。
何も予定がなく、仕事の緊急なメールも入らない年末、私は思いつきで掃除を始めたり、自分のためだけの仕事をしたりして過ごします。そして思いつきで家族と出かけたり、外食をしたりするというのもこの時期ならでは。私にはこれもとても贅沢で、自分を取り戻せる貴重な時間になっています。
今日はそんな流れで、思いつきで庭木の剪定をしていたのですが、作業しながらふと「料理男子」という言葉が唐突に頭に浮かんでぐるぐる回りはじめました。なんなんですかね、料理男子。なんか料理できる男は良いみたいなのが流行っているじゃないですか。
私は料理はしません。そのかわり、それ以外のことは大概のことはやります。例えば庭木の剪定もそのひとつですし、力仕事や家の中の「意匠」に関わることもやっぱり私の担当となります。朝はコーヒーを淹れ、旅行の計画は私がすべてを取り仕切ります。なぜなら、私はそれをやるのが妻より得意だからです。
家族や夫婦というのは、詰まるところ合理的に役割を分担しあうことに意味があるように思うんですよね。その人がやることに合理性や必然性があるからやる、みたいな。
年末の過ごし方の話から急に飛躍しているようですが、実はつながっていて、要は年末はそういう個人の素の部分が出るので、自分の立ち位置や家族の体幹みたいなことが見えやすくなるということなんだと思います。
対外的なことばかりについ目が向かいがちな一年のなかで、年末に鎖国政策のように社会とのつながりを一時的に断ち切り、自分自身に戻れる素の時間を持つことはやっぱり大事だよなとしみじみと思うのでした。
ということで、素に戻ったついでに、大した中身のない駄文をダラダラと書いてみました。これもまた自分自身のデトックスと言えそうです。
ちなみに、ここで「みなさま良いお年を!」で締めくくるかどうかも悩みどころでして、、。そうやって締めくくったメールの直後に、再び別件でメールをしてしまうことのバツの悪さを何度も経験しているので、年末のメールでその刀を抜くときはかなり慎重になってしまうのでした。
また思いつきで何か書くかもしれないので、ここはいつものようにしれっと筆を置くことにします!
久しぶりにアマゾンを覗いたら、拙著『伝わる図面の描きかた』が「ギフトとしてよく贈られている商品第3位」に入っていました。
『伝わる図面の描きかた 〜住宅の実施設計25の心構え』
https://amzn.asia/d/6FZP333
すでに2年半も前に出した本です。どんな状況で誰に贈られているのだろう、、とても不思議です。すごく売れている本ではないかもしれませんが、何のきっかけかわかりませんが、こうしてたまに思い出したようにランキングに顔を出すのは面白いものです。
この本は、我々が実施設計で描き上げている図面へのこだわりや、ノウハウについて書いた本になります。
実施設計の流儀は事務所ごとに大きく異なります。その密度もあっさりの事務所から、コッテリの事務所まで。たぶん我々は後者の方だと思いますが、「描きすぎ」と言われることもある我々の図面も現場ではとても評判が良いので、当事者には伝わっているのだと思います。
しかしながら、実施設計をコッテリやったら良いものができるかと言われると、実はそういうわけではないので、そこは分けて考える必要があると思います。要は最初に全部考えておくか、後から考えるかの違いなのでしょう。
私は何事においても、最初に考えておくタイプの人間です。すべて段取りを決めておいた上で、現場はアドリブで乗り切る。セミナーやファシリテーターを頼まれた時もいつもそうです。
我々の図面は各所の寸法や、素材や、仕上げ色までもすべて事前に決められているので、現場は段取りが組みやすい。最初の図面読み込みこそ時間がかかりますが、上棟した時には監督曰く「すでに竣工している(段取りが読めている)」ので職人手配にロスがなく、引渡し時期もずれないというのが、現場に喜ばれる点なのだろうと思います。
脚光を浴びることのない、地味な日々の取り組みをこうして書籍化して下さったことにも感謝。たまに思い出したように買って頂けていることにも感謝です!
『伝わる図面の描きかた 〜住宅の実施設計25の心構え』
https://amzn.asia/d/6FZP333
すでに2年半も前に出した本です。どんな状況で誰に贈られているのだろう、、とても不思議です。すごく売れている本ではないかもしれませんが、何のきっかけかわかりませんが、こうしてたまに思い出したようにランキングに顔を出すのは面白いものです。
この本は、我々が実施設計で描き上げている図面へのこだわりや、ノウハウについて書いた本になります。
実施設計の流儀は事務所ごとに大きく異なります。その密度もあっさりの事務所から、コッテリの事務所まで。たぶん我々は後者の方だと思いますが、「描きすぎ」と言われることもある我々の図面も現場ではとても評判が良いので、当事者には伝わっているのだと思います。
しかしながら、実施設計をコッテリやったら良いものができるかと言われると、実はそういうわけではないので、そこは分けて考える必要があると思います。要は最初に全部考えておくか、後から考えるかの違いなのでしょう。
私は何事においても、最初に考えておくタイプの人間です。すべて段取りを決めておいた上で、現場はアドリブで乗り切る。セミナーやファシリテーターを頼まれた時もいつもそうです。
我々の図面は各所の寸法や、素材や、仕上げ色までもすべて事前に決められているので、現場は段取りが組みやすい。最初の図面読み込みこそ時間がかかりますが、上棟した時には監督曰く「すでに竣工している(段取りが読めている)」ので職人手配にロスがなく、引渡し時期もずれないというのが、現場に喜ばれる点なのだろうと思います。
脚光を浴びることのない、地味な日々の取り組みをこうして書籍化して下さったことにも感謝。たまに思い出したように買って頂けていることにも感謝です!

