24. 01 / 01

謹賀新年2024

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sekimoto

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> 思うこと
> 生活


新年あけましておめでとうございます!

ここで新年の抱負でも書くかと思いきや、そんなことは書きません。抱負なんて意味がないからです。そのことはおいおい書くとして、まずは年賀状の話から。

子どもの頃、クラスの友達や担任の先生、親戚などからお正月に年賀状が届くのが楽しみでした。それでも自分宛に届いたのは10通くらい。一方の父親のもとには札束のような量の年賀状が毎年届き、大人になったらあんなにたくさん年賀状をもらえるんだとワクワクしながら、父の偉大さを子供心に感じたものでした。

私も今では、あの頃の父親の量には足元にも及びませんが、お正月にはちょっとした量の年賀状が届きます。ですが今年秋に郵便料金が大幅値上げされるのを潮に、私から出す年賀状は今年で最後にすることにしました。

毎年暮れに諸事に追われながら「そうだ、年賀状やらなくちゃ」とトラウマのように悩まされる日々もこれで最後。そう考えたら急に気が楽になり、これでスッキリ!と思っていたというのに、このお正月に頂いた年賀状を一通一通眺めていたら、そんな決意もグラつくことに。

年賀状の端に「快適に暮らしています」との一言を添えて下さる建て主さん。昨年の出来事を振りかえって温かい言葉を寄せて下さる仲間。もはや年賀状だけの付き合いになってしまった古い友人の家族写真。やっぱり年賀状って良い習慣だとしみじみと思います。ごく内輪の方にはひっそりと今後も送り続けようかな、、。

さて、年賀状にもいろんな種類があります。仕事上付き合いのある企業から届く定型文のものから、建て主さんや友人、親戚など個人の方から届くもの。そして同業の建築家仲間から届くものなど。

中でも同業から頂く年賀状は、昨年竣工したばかりの建築写真や、デザインやレイアウトも凝っているものも多く、ついため息をつきながら見入ってしまいます。

とここまでは良いのですが、そこにさらに昨年の活躍や意識高めの今年の抱負が書き連ねられていると、そのままそっと裏返したくなってしまいます。そこには悪意もないのですが、ただ私は思うのです。

この新年にイキって抱負を言う習慣って、もうやめません?

「挑戦」とか「飛躍」とかもういいです。仕事を一生懸命やっている人なら、皆日々挑戦していることでしょう。それ以上肩に力を入れてどうする。飛躍は結果論でしかないのですから。

仕事は自然体が一番です。目標は決めないほうが良いし、抱負もいりません。目標を決めなければ落胆することもありません。着地したところがゴールなのですから。

ただ目の前に来た仕事に全力投球!それだけで十分だと思うのです。
さぁ、今年も楽しく充実した一年になりますように。