近著「すごい建築士になる!」の中で、「仕事はある時にはあって、ないときにはない」と書きました。
これは本当にその通りで、うちの事務所の場合は去年から今年の前半辺りまでは、閑古鳥が鳴きまくりの状態。事務所のキャッシュもどんどんなくなるし、この時間があったらどんどんプレゼンをして仕事を取りたいのに、こういう時に限って誰も頼んでくれないんですよね。
そんな時は、この仕事は取りたい!と思ってアプローチしてもことごとくスベったり、建て主さんの土地もなかなか決まらなかったり。本当に仕事というのは思い通りにならないものです。
ところが何かの拍子にそんな周期が底を打つと、今度はお断りしなくてはならないほどの仕事の波がやってきたりします。うちの事務所の場合は、今がそんな時期と言えそうです。もちろん調子に乗ると一寸先は闇ですので、謙虚に謙虚にいかないといけませんが…。
ただこういうことを書くと風評被害も発生したりもします。過去にも何度か痛い経験があって、「リオタデザインは忙しいらしい」「○年待ちらしい」という噂が立ちはじめると、相談にも至らずにスルーされてしまうことも何度かありました。そういうときに限って事務所は閑古鳥が鳴いていたりするんですよね。皮肉なものです。
今現在の状況は、今ご依頼頂くとお引渡しが約2年後くらいになるイメージです。設計の着手までには少しお待ち頂くかもしれません。ただうちの場合、順調に進めても1年半くらいはかかるので、長く住む家ですし、もうちょっとだけでもお待ち頂けたら、、ともおこがましくも思っちゃうのですが。
ここのところご相談の方にも、ご予算のこと以上にこのスケジュール感を確認することが多くなってきているので、この場でもそんなことに触れてみました。
ただうちはどんなに忙しくても一軒あたりにかける設計の時間は変えませんし、図面密度も仕事の流れも変わりません。設計品質は我々の生命線だと思っているからです。(だからお待たせしちゃうのですが、、すみません)
そんな我々の状況にもお付き合い頂ける寛大な方は、どうか引続きご相談下さいませ!よろしくお願いします。
これは本当にその通りで、うちの事務所の場合は去年から今年の前半辺りまでは、閑古鳥が鳴きまくりの状態。事務所のキャッシュもどんどんなくなるし、この時間があったらどんどんプレゼンをして仕事を取りたいのに、こういう時に限って誰も頼んでくれないんですよね。
そんな時は、この仕事は取りたい!と思ってアプローチしてもことごとくスベったり、建て主さんの土地もなかなか決まらなかったり。本当に仕事というのは思い通りにならないものです。
ところが何かの拍子にそんな周期が底を打つと、今度はお断りしなくてはならないほどの仕事の波がやってきたりします。うちの事務所の場合は、今がそんな時期と言えそうです。もちろん調子に乗ると一寸先は闇ですので、謙虚に謙虚にいかないといけませんが…。
ただこういうことを書くと風評被害も発生したりもします。過去にも何度か痛い経験があって、「リオタデザインは忙しいらしい」「○年待ちらしい」という噂が立ちはじめると、相談にも至らずにスルーされてしまうことも何度かありました。そういうときに限って事務所は閑古鳥が鳴いていたりするんですよね。皮肉なものです。
今現在の状況は、今ご依頼頂くとお引渡しが約2年後くらいになるイメージです。設計の着手までには少しお待ち頂くかもしれません。ただうちの場合、順調に進めても1年半くらいはかかるので、長く住む家ですし、もうちょっとだけでもお待ち頂けたら、、ともおこがましくも思っちゃうのですが。
ここのところご相談の方にも、ご予算のこと以上にこのスケジュール感を確認することが多くなってきているので、この場でもそんなことに触れてみました。
ただうちはどんなに忙しくても一軒あたりにかける設計の時間は変えませんし、図面密度も仕事の流れも変わりません。設計品質は我々の生命線だと思っているからです。(だからお待たせしちゃうのですが、、すみません)
そんな我々の状況にもお付き合い頂ける寛大な方は、どうか引続きご相談下さいませ!よろしくお願いします。

一昨日、2005年に竣工した「HAKKO」という住宅が売りに出されたという件についてブログに書きました。
思いのほか反響も大きく驚いていますが、一方では私にとって初期の代表作であるにもかかわらず、サイトにも写真が少なく少し謎めいた住宅のようになっています。
私にとって約20年前の仕事…もうそんなになりますか。そんなことで、この機会に当時のことを振りかえってみたいと思います。
◇
HAKKOの設計依頼を頂いたのは、2004年の頃だったと思います。建て主のIさんは、もともと私が過去に設計したカフェmoi(荻窪にあった時代)の常連さんで、お店で紹介されてお話をしたことがあったという程度でした。
Iさんは北欧にも多くのつながりを持つ方で、美意識やデザインに対する感度が高く、ポストカードの制作や輸入雑貨なども扱ういわゆる”目利き”の方でした。
一方当時の私といえば、仕事は小さなカフェの設計やリフォーム仕事ばかりで、戸建てはようやくはじめての住宅(ILMA)を友人から依頼されて設計していたくらいで、実績を作品としてお見せできるようなものはほとんどないという状況。
そんな”どこの馬の骨かわからないヤツ”によくも設計を依頼してくださったものだと、今思ってもその勇気に敬意を表したくなります。思えばそういう建て主に支えられて今があるわけですが、このことについては、Iさんには今でもとても感謝しています。
ただご予算は厳しかった!
でも若いってすごいことですね。そして怖い。経験がないので、それがどれだけ厳しい予算かというのがわからないんです。やればできるのかな、みたいな。結果として出来ましたが、今思うと奇跡以外のなにものでもありませんでした。工務店さんのご協力や努力にも心から感謝です。
今でもこの住宅を下回るローコストはありません。金額は書きませんが、たぶんこれを読んでいる方が想像する額の、たぶん”半分”くらいじゃないでしょうか笑。今なら絶対できないし、やりません。

敷地は山中湖の管理別荘地の傾斜地。最初にこんな感じのシンプルなボリュームを提案しました。というか、これしか思い浮かびませんでした。
これしかないと思い込んでいたので、建て主に他にも案を出して欲しいと言われても全然浮かばなくて困りました。私は「コレッ」って思うとそれしか考えられないので、良くも悪くもオンリーワンプランなんですよね。これは今にもつながっているスタイルでもあります。
ここからの設計プロセスは、小さな家なのでプランが二転三転することこそありませんでしたが、建て主さん側も色のテイストや金物の選定、ちょっとしたディテールにも強いこだわりを示されたので、トントン拍子というわけでもありませんでした。
たとえば、内部について私は「もっと木質感を見せるべき」、建て主さんは「見せない方が良い」など、そのデザインを巡って意見が食い違って議論になったこともありました。化粧のヒノキの柱をペンキで塗りつぶすと言われたときは、必死に説得して、せめてオイルステイン塗装にさせて頂いたことも笑。
当時は経験不足から完成形がイメージできず不安もありましたが、出来上がってみると大いに納得!私の拙い感覚ではとても到達できなかった領域に、建て主さんに引き上げて頂いた感覚がありました。



この仕事ではじめてだったことがあります。それは「木造」です。
今では『木造住宅のできるまで』なんて本も出していますが、考えられません。独立前の前職ではRCの集合住宅や鉄骨造の医院などの担当がほとんどで、床伏図や軸組図はもちろん、プレカット打合せすらしたことはありませんでした。
そのため、いつも『建築知識』をひっくり返して「今さら聞けない木造」なんていう特集号を取り寄せて、隅々まで眺め回していました。人のディテールも片っ端から盗みまくって、自分らしく構成したりなど、この時期の仕事がのちの私の基礎をつくりあげたようにも思います。
今でも私は、構造は木造でも建築の発想はRCのように考えるクセがあります。最近は出しますけど、過去はあまり軒も出さなかったのはそういうキャリアの原点があったからかもしれません。



完成して、オープンハウスには友人知人など多くの方が駆けつけてくださいました。私も若いですね!当時33才です。
前職の事務所の所長(棚橋廣夫さん)も愛車のモーガンを飛ばしてやって来て下さいました。息子の写真もありました。ちっちゃい!時の流れを感じますね。


憧れの専門誌「新建築住宅特集」にも掲載して頂きました。私にとってはじめての掲載でした。これは嬉しかったですね!
結果的に、これがきっかけで母校の非常勤講師にも呼んで頂くことができました。だからこの仕事は文字通り、私にとっての出世作になったわけです。
にも関わらず、当時のデジカメ性能の問題や、あまり後先のことを考えていなかったので、まともな写真があまり残っていないんですよね。これが残念でなりません。
無理をしてでも、ちゃんとプロに竣工写真を撮って頂くべきだったと思います。でも当時の私は、本当にそれどころじゃないというか、、写真を頼むお金もなかったんですよね。思い出はすべて心の中にという感じです。初代スタッフ、二宮一平と高速を飛ばして通った現場も懐かしいです。
そんなHAKKOが竣工して18年、これが子どもなら大学に入学して独り立ちの時期ということですかね。どうか良い新しいオーナーさんが見つかりますように!そして更に手を入れながら末永く維持して頂けますことを願っております。
Iさま、あらためてこの度の出会いとご縁に心より感謝しております。
ありがとうございました!
住宅設計の仕事をしていると、建て主さんとの打合せはどうしても土日に集中することになる。かといって平日に代休を取るわけでもないので、結局何週間も休みを取っていない状態になることもあるけれど、まわりから思われるほど負担は感じていない。
週末の打合せも朝から晩までかかるわけではないし、わずか3~4時間ほどのことなので、朝はいつもよりはゆっくりできるし、打合せが終わったあとは解放感とともに外出することもある。
また私の場合は自宅と事務所が一緒になっているので、階こそ分かれてはいるけれど職住一体であることには変わらない。そのことについても、公私が一緒にならないのかと良く聞かれるけれど、私としては部屋が分かれている時点で気分は変えられるし、自宅のダイニングでもメールチェックやエスキースなどをすることもあるので、私の中ではたぶんどこでやっても同じなんだろうと思う。
前職に勤めていた頃は、公私の区別はもちろんあって、平日に働いたら週末に働くことはないし、仕事のことも考えることはなかった。けれど、独立して仕事をするようになったら、いつしか仕事とプライベートは分かちがたく同じものになった。
こういう話をすると、すぐ「働きすぎ」とかワーカホリックのように思われてしまうのだけれど、どうもそういう感覚とも当てはまらない。私の中ではすでに仕事とプライベートの区別がなくなっているので、「仕事=生活」になっているからかもしれない。(生活しすぎ!という言葉はありませんものね)
そういうライフスタイルを「ワークアズライフ」というのだと最近教えてもらった。夜寝るとき以外は、常に仕事であり生活であるという考え方。この言葉を知ってから、私はずいぶん気が楽になった。そうか好きなだけ仕事してもいいんだと思えるようになった。
要は仕事のしすぎは良くないというのは、緊張状態やストレスを抱える状態が長く続くと病気になってしまうということを差しているのだと思うけれど、仕事が好きな人は仕事をしているときが楽しいので、むしろ良い精神状態を保てるということもある。
もちろん仕事を離れて気分転換をすることもとても大事だと思うけれど、私はそんな時ですらも建築や設計のアイデアを探してしまうし、創造のための充電時間になっている。
私にとって仕事は自己実現であると同時に、人から求められたり感謝されたりすることで、自分の存在理由にもなっている行為だ。だから、歳を取ってもリタイアして第二の人生を歩むというイメージがまったく持てない。自分という存在が社会に求められる限りは、仕事のために尽くしていきたいと思う。
週末の打合せも朝から晩までかかるわけではないし、わずか3~4時間ほどのことなので、朝はいつもよりはゆっくりできるし、打合せが終わったあとは解放感とともに外出することもある。
また私の場合は自宅と事務所が一緒になっているので、階こそ分かれてはいるけれど職住一体であることには変わらない。そのことについても、公私が一緒にならないのかと良く聞かれるけれど、私としては部屋が分かれている時点で気分は変えられるし、自宅のダイニングでもメールチェックやエスキースなどをすることもあるので、私の中ではたぶんどこでやっても同じなんだろうと思う。
前職に勤めていた頃は、公私の区別はもちろんあって、平日に働いたら週末に働くことはないし、仕事のことも考えることはなかった。けれど、独立して仕事をするようになったら、いつしか仕事とプライベートは分かちがたく同じものになった。
こういう話をすると、すぐ「働きすぎ」とかワーカホリックのように思われてしまうのだけれど、どうもそういう感覚とも当てはまらない。私の中ではすでに仕事とプライベートの区別がなくなっているので、「仕事=生活」になっているからかもしれない。(生活しすぎ!という言葉はありませんものね)
そういうライフスタイルを「ワークアズライフ」というのだと最近教えてもらった。夜寝るとき以外は、常に仕事であり生活であるという考え方。この言葉を知ってから、私はずいぶん気が楽になった。そうか好きなだけ仕事してもいいんだと思えるようになった。
要は仕事のしすぎは良くないというのは、緊張状態やストレスを抱える状態が長く続くと病気になってしまうということを差しているのだと思うけれど、仕事が好きな人は仕事をしているときが楽しいので、むしろ良い精神状態を保てるということもある。
もちろん仕事を離れて気分転換をすることもとても大事だと思うけれど、私はそんな時ですらも建築や設計のアイデアを探してしまうし、創造のための充電時間になっている。
私にとって仕事は自己実現であると同時に、人から求められたり感謝されたりすることで、自分の存在理由にもなっている行為だ。だから、歳を取ってもリタイアして第二の人生を歩むというイメージがまったく持てない。自分という存在が社会に求められる限りは、仕事のために尽くしていきたいと思う。

拙著 『すごい建築士になる!』 が6月5日(月)に晴れて発刊となりました。
https://amzn.asia/d/bWhKwtx
私の手元には先週には届いていたので、すでにもう一度自分で読み直したり、献本をお送りしたりする作業もしていたので、自分の中ではとっくに発刊していたのですが、実は一般には今週からです(あたりまえか、、)。
過去何冊か上梓させて頂きましたが、今回の本は事務所のスタッフや建て主さん、私の身近にいる人しか知り得ないようなコアな情報を詰め込んだ一冊になっています。
すでにお読み下さった何人もの方から、「こんなに赤裸々に書いて大丈夫ですか?」と心配されていますが、人の悪口は書いていませんのでたぶん大丈夫です笑。事務所が借金背負った話とか、私がしくじった話などはいろいろ書いていますが。
過去の本も、「こんなに手の内を開かして大丈夫なの?」と良く言われていました。うちの図面全公開とか、秘伝の(とは私は思っていませんが)ディテールを包み隠さず公開してしまうので、料理人でいえば”隠し味(テレビだとモザイクかかるやつ)”まで教えてしまうようでもあり、パクられたらどうするの?と思われるのでしょう。でも大丈夫。
「安心して下さい。はいてますよ」 (by とにかく明るい安村)
安村ならパンツをはいてるわけですが、私の場合は何をはいているかというと、それは「自分」というアイデンティティかもしれません。
たとえば、モノマネ芸人が声音からしぐさまで本人ソックリに真似たとしても、その人本人にはなれませんよね。私も、私の仕事に関わるすべてを開示したとしても、誰も私にはなれません。私の考え方、感情や感覚。これには法則がありそうでないからです。
これってほんと、困りますよね。たぶんスタッフが一番困っているんじゃないでしょうか?このあいだはこう言っていたのに、また違うこと言い始めたみたいな。だから本に書いてあることも真に受けちゃダメですよ。こんなこと全部徹底できるわけないんですから。
だからいくらノウハウを開示したって、誰も私にはなれないんです。アレクサやChatGPTであっても太刀打ちできません。私の中の一番大事なアカウントには鍵がかかっていて、それは家族であっても開かないようになっています。もしかしたら、それは自分でも開けられないものかもしれません。
これからの時代、AIに勝てる方法はそれしかないんじゃないでしょうか?
◇
ところで、以下は発売当日(6月5日)のAmazonの売れ筋ランキングです。「建築」の総合ランキングで2位に入りました!

でも悔しい。折角なら1位になりたいですが、1位に鎮座している書籍はKindle版といって、Amazonプライムなどに登録している人なら無料で読める本なんです。登録していなくても数百円。こんな本に勝てるわけないですよね、、
自分でも恥ずかしいタイトルなので複雑な思いもありますが、折角なら多くの方に読まれてほしい!と思います。応援よろしくお願いします。

先日のオープンスタジオで、仙台から一人の若い女性がご参加下さいました。地元の工務店に勤めているという方でした。
その方は学生時代に私のセミナーを聞いて、住宅の道に進みたいと思ったとのこと。埼玉はおろか東京にも行ったことがなかったそうですが、遠路はるばるそれを私に伝えるために、そして私の仕事を見学するためにわざわざいらして下さいました。
そのセミナーは一昨年の2021年の暮れ、友人でもある東北工業大学の石井敏先生が企画されたオンラインセミナーでした。当時の石井先生のお話では「仙台の学生は住宅に興味を持っている子が多いのに、卒業後は大手に就職する子も多く、もう少し建築家のように個人と向き合って設計をすることの喜びや魅力についても知ってほしい」とのこと。
そこで私は、我々の仕事というのは「街に放った小石そのもの」だという話をしました。
「小さな住宅ひとつ建てたところで街は変わらない」
本当にそうだろうか?
小さな住宅ひとつで街が変わるということが実際にはある。放った小石の波紋はやがて静かに街に伝播してゆく。我々の仕事はそういうものだというそんな話です。私がそこで放った小石の波紋は、さざ波のように広がって、ひとりの学生の心を動かしたようです。
我々が街の中に小さな住宅を作り続けること。
セミナーに登壇すること。
原稿を書き本を出すこと。
諸団体の雑務を引き受け運営すること。
オープンデスクの学生を受け入れ渾身の指導をすること。
スタッフを何年もかけて育て上げること。
すべてやっていることは同じなんです。それが何の役に立つの?どんな意味があるの?忙しいのに、どうしてお金にもならないようなことをやっているの?
すべては社会に放る小石のようなものなんです。
私の投げた小さな小石が社会になんらかの波紋をつくることが出来るのなら、私がこの世に生きている意味も少しはあることでしょう。
先日のオープンスタジオでのささやかな出会いは、私にとって心から勇気をもらえる出来事でした。Oさん、ご来場下さりありがとうございました。
