13. 06 / 03

桶川へ

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sekimoto

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昨日は桶川の友人宅にて、流しそうめん&バーベキュー。桶川は私が育った土地であり友人は私の幼なじみ。車も人通りも少ないのどかな土地柄、駐車場で煙をあげ大騒ぎしていても文句を言われない。子供たちが外を駆け回っていても何の心配もいらない。思えば私もそういう環境で育った。

今住んでいる志木も都会というわけではないけれど、市街地だから周りには気を使う。車も危ないから一人で遊びに出すのにも不安がある。よく親が子供を自分の生まれ育った環境で育てたいとよく言うけれど、今日はリアルにそれを思った。この子にもきっとこういう環境が合っているのかもしれない。

いろいろと準備&セッティングありがとう!親子共々楽しませて頂きました。


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sekimoto

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今日はフィンランド時代からの友人で,現在来日中の森下圭子さんが遊びに来てくれました.森下さんといえば,映画かもめ食堂での現地コーディネーターや絵本の翻訳,”ほぼ日”での連載,最近では小林聡美さんのエッセイ本にたびたび登場する”パワフルな森下さん”として,最近ではすっかり有名人になってしまいました.

我々がフィンランドで暮らしていたのはもう10年以上も昔.その時につながっていた友人達は皆我々と同じように歳をとり,人生経験を重ねて,今ではそれぞれの分野の一線で活躍しています.そんな我々共通の友人知人たちの話をしながら,あの楽しかった日々を振り返り,「みんな偉くなったよねー」とついしみじみしてしまうのでした.

これまで出会った人たちも,縁がなかったらそれまで.逆にご縁があった方とはその後もいろんな形で関係がつながってゆきます.国境を越えて共通の知人同志がなぜかつながっていて,どうしてその人を知っているの!?と驚かされることもしばしば.森下さんもそんな私にとって切れそうで切れない,大切な友人の一人とも言えそうです.

短い時間でしたが,小林聡美さんのエッセイに出てくるまんまの弾丸トークで,嵐のように帰って行きました.また逢いましょう.次は是非フィンランドで!

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高速を走らせていると,前ぶれもなくいきなりスピードメーターが死んだ.しゅん,て力なくゼロまで落ちてぴくりとも動かない.おいおい頼むよ!今何キロだよ.

エンジンは問題なく動いて走行しているのに,メーターはゼロって結構怖い.ゾンビみたい.原因には思い当たる節がある.あれだ.行きに奥さんと次に車を買い換えるならという話をしていたからだ.ごめんよ,機嫌直して!

実はうちの車は2009年にも瀕死の故障を経験している.その際の顛末は当時のブログに書いた.
VOICE(旧ブログ)2009年10月の記事
http://riotavoice.exblog.jp/12099375/

この時に意地になって修理したこともあり,愛着があってなかなか買い換えられない.現在12万キロくらいなので,まだ軽く2~3年は乗るつもりなんだけど,実際には満身創痍….

そんな折り,当時修理してくれた玉野自動車さんからつい最近電話がかかってきた.近くHPをリニューアルするので,その際に私の当時のブログにリンクを張らせて欲しい(あるいは原文を掲載)とのことだった.当時僕が書いた文章に相当共感して下さっていたようだ.

こういうのは本当に嬉しいこと.もちろん快諾したのだけれど,私がまだ当時のオペルを大切に乗っていることを知って,それにもまた喜んでくれていた.
う~ん,やっぱりまだ買い換えられない!?

12. 12 / 19

フレンチ!

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sekimoto

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昨晩はクリスマス会と銘打って,荻窪にある某隠れ家レストランを貸し切りにし,とびきりのフレンチに舌鼓を打ったのでした.う~ん,満足!

訊かれても,隠れ家ゆえになかなか場所はお教えできないのですが,開店時からのおつきあいもあり,年に何回かはこのようなお招きを頂きます.そして毎回夜が更けるまで,オーナーシェフご夫妻との”オトナの会話”に花が咲くのでした.

このレストラン,フランス料理専門店かと言われるとさにあらず,時に中華,時に和とその時々の趣向にていつも私の胃袋をがっちり捉えて放さないのでした.

この日の会話も盛りあがりました!ここに来ると根っこがはえてしまってなかなか帰りたくなくなるのです.なにより空間がとってもいいんですよね!どなたが設計したんだろ.

百日紅の家のお施主様,昨日はごちそうさまでした!!

12. 10 / 26

警鐘

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sekimoto

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なにか事件が起こると,当事者達を世間は責める.どうしてそんな愚かなことを,と私も思う.けれども一方ではこうも思う.それは自分にも十分起こりうることだと.

私もけして長くはない人生の中で少なからずの経験をしてきた.大学時代の体育会の規律.下積み時代の不安感や駆け出し時代の惨め感.理屈の通用しない子育て.人間は追い詰められると,平和な状態では思いもつかないような行動に出ることもある.

それは自宅のソファでワイドショーを眺めているのとはわけが違う.事件と日常の違いは,その時に一線を越えるか越えないかの違い.ほんのわずかな紙一重の世界がそこには存在するのだろうと思う.

だからいつも事件の報道を見ると,私は「これは自分だったかもしれない」と思う.こいつは馬鹿だなとはとても思えない.そして,自分がその場にいたらどうだっただろうと想像してみる.その時に一線を踏み越えないよう,未来の自分に向かって警鐘を鳴らしたい.