11. 07 / 04

RIVER HOUSE

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sekimoto

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> 建築・デザイン



昨年9月に竣工したRIVER HOUSEを先日ようやく撮影させて頂きました.
(撮影:後関勝也|バウハウスネオ)

川沿いに建つこの住宅は,敷地わずか18坪,延床面積でも25坪ほどの狭小住宅ですが,二層の吹抜けと変形した土地形状により奥行きと高さ,そして外へとつながる開放感を獲得しています.

場所は浦安ですが,幸い先の震災でもほとんど被害を受けませんでした.
前面に公園がありまだ工事中なのですが,こちらが整備されると広い”庭”もできる予定.狭くてもすべてを逆手にとって,広々した生活空間を獲得した好例だと思います.特に夜景がきれいで,最近では近所の”名所”になっているとか.

また近々作品集にもアップの予定です.お楽しみに!



 

11. 06 / 21

建築とは…?

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sekimoto

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> 建築・デザイン


以前とあるクライアントとの面談が終わり,席を立とうとした時唐突に質問を受けた.
「関本さんにとって,建築とはなんですか?」

うっ,いきなりのど直球.しかも気を抜いた瞬間にやってきたストライクに一瞬ひるんで,とりあえず浮かしかけた腰をもう一度落ち着かせた.その時は少し動転して,なんと答えたかよく覚えていないのだけれど,一瞬しどろもどろになってしまった自分が情けなくて,それ以来その問いを考え続けている.

実のところ学生のときから「建築ってなんだろう?」と漠然と考え続けてきた.今の学生にも同じような問いをしたことがあるし,自分なりにぼんやりとイメージするものがあるのは確かだけれど,いざそれを言葉として取り出そうとすると違和感だけが残るような気がして,なかなか口に出せずにいた.

今あえて言葉にするとすれば,建築は「コミュニケーション」そのものだと思う.

クライアントとの打合わせはもちろんだけれど,図面を描くのも,模型をつくるのも,現場に行くのも,すべてはコミュニケーションだ.また言葉もそうだし,メディアもそう.僕がこうしてブログをせっせと書いているのも,建築の一部とも言えるかもしれない.すべては自分の考えを相手に伝えたい,相手のことを理解したい.それに尽きる.それこそが建築のはじまりなのだと思う.

さらに言えば,我々は直接依頼してくださったクライアントのみならず,その地域の人々や通りすがりの人たちも巻き込んでゆきたい.その家の前を偶然通りかかった人たちが一瞬なごんだり,足を止めて見上げてくれるようなことがあれば,そこには立派なコミュニケーションが成立していると思う.

ひとりの人間が周りを巻き込んでゆくように,一件の小さな住宅が街並みや通りすらも変えてしまうことがある.我々が目指すゴールは常にそこにあるのだと思う.

先日あった建築家同士の飲み会での話.

同世代の知人の建築家は,できあがった自分の建築に対していわゆるコンセプトを語るのが苦痛だと言っていた.コンセプトなんて書かなくてもいい.彼は建築メディアはなぜコンセプトを語らせたがるのか,と辛辣なメディア批判に息を巻いていた.

この問題にはらむ矛盾や,もっともらしい意見があることも承知の上で言うならば,僕は彼の考えに同意する.コンセプトを歯切れ良く語れる建築なんて,僕も”うすっぺらい”と思う.

ただ誤解のないように言うと,コンセプトは必要ないのではない.建築の方向性を決定づける考え方は絶対的に必要だ.それがなかったら,それは建築ですらないからだ.

けれども建築のプロセスは一本の太い道からはじまり,そこから枝分かれしたり,回り道をしながら最終的なゴールへと行き着く.一本の道でまっすぐ作られた建築は排他的ともいえる.そうではないものをすべて排除する.そこには迷いがないのか,あるいは隠しているのか.そこには嘘がある.そんな建築は身を置いてみればすぐにわかる.

しかし建築メディアは自己完結した一本道を示した方がわかりやすいから,結局そういう建築ばかりが誌面に並ぶことになる.それは罪深いことなのだ,そう彼は言いたかったのだと思う(でも彼は酔っていて,皆の集中砲火を浴びて少し気の毒だった).

僕の好きなアールトや内藤廣さんの建築に共通しているのは,常に普遍的な空間と迷いが同時にそこにあるということだ.その迷いの”ひだ”が我々を包みこむ.そんな空間に僕は救いを感じる.

昨日は尊敬する建築家の益子義弘先生にも,お酒を呑みながらそんな話をしてみた.
先生はコンセプトの話には触れず「よい建築とはまた帰って来たくなる建築だと思う」とおっしゃった.その一言ですべてが腑に落ちた気がした.

11. 06 / 09

LCCM住宅見学

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sekimoto

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> 建築・デザイン



今日はスタッフとクライアントのSさんもお連れして,つくばの建築研究所内にあるLCCM住宅(設計:小泉雅生氏)を見学してきました.LCCM住宅というのは,ライフサイクルカーボンマイナス住宅の略で,なんだか難しそうな名前ですが,早い話が”究極のエコハウス”ということになります.

住宅は建設時にCO2を排出し,その後も排出を続けます.バイオマスエネルギーの利用や,省エネルギー,高断熱仕様などによって生活によるCO2排出量を限りなく削減してゆく(カーボンニュートラル)こともできますが,このLCCM住宅ではそうした工夫と併せて,通常の住宅の2軒分にもあたる8KWの太陽光発電システムを組み込むことで自発的にエネルギーを作り出し,建設時と生活によるCO2(ライフサイクルカーボン)を最終的にマイナスにしてしまおうという意欲的な取り組みです.

いわゆるエコハウスというと,ハードとしての設備機器に依存したものや,昔の生活に回帰したようなノルタルジー型に別れることが多いのですが,この住宅は現代的な生活スタイルと昔ながらの縁側的生活をうまく組み合わせていて,実験住宅とはいえ現実的で十分に住める家であるように感じました.

なかでも通風と日射調整機能をあわせ持つ,可動式の縁側ルーバーはなかなか秀逸.パッシブによる蓄熱床や通風の仕掛け,空間の緩やかな仕切り方などもいろいろと参考になりました.



解体の現場に立ち会うと,仕上げの下から現れた生々しい素材感や構造にゾクゾクすることがある.天井をはがしたときに現れる小屋組み,外壁をはがしたときに現れる柱.そしてそれをそのまま残したい!という衝動にかられる.

けれども一方ではそんな感覚的な話とは別に空間には機能が必要で,美観やメンテナンス,音や温熱環境や設備などいろんなことを考えると,リフォーム計画ではやはり天井は張るべきとの結論に至ることが多いのが現実だ.

お施主さんからしたら生活にそこまでの冒険は求めていないわけで,我々としても納まるべきものが納まって少しほっとしたような,でも少し残念なような複雑な気持ちになる.

写真はとある現場の既存タイルをはがしたブロック塀.この後下地を整え,再び吹付け塗装を施す.ただこの塀を見たとき,思わずスタッフと共に「おー!」と唸った.この迫力は石張りでもきっと敵わないだろう.

ただやはりそこは,このママというわけにはいかないので,この状態は工事中で見納めになることだろう.できることなら,このまま持ち帰って事務所の壁に張り付けたいくらいの存在感である.