今日は某企画の打合せのため、原宿のArtek Japanのショールームにお邪魔してきました。水面下では色々わくわくするようなプロジェクトが進行中です。
といっても、建築のプロジェクトではありません。私は本業の設計以外にもいくつもの顔を持っていていつも大忙しなんです。
建築もそうですが、どんなに長く地道な準備期間を経たとしても、世間の目に触れるのは最後のほんの一瞬のことです。ですが、私はやっぱりこのプロセスが一番楽しい!関われることが嬉しい。
計画屋の本質は裏方屋なんだと思います。
昨晩のSADIイベントに来て下さった偕成社の編集者さんに、とあるノルウェーの絵本を頂きました。中身を読みとっても共感するというか、くすっと笑ってしまう楽しい本だったのでご紹介したいと思います。
うちって やっぱり なんかへん?(偕成社)
トーリル・コーヴェ作 青木順子訳
http://amzn.asia/acteVJG
この本にはとある娘さん(作者の幼少時代)の、ちょっとした悩みについて書かれています。その悩みというのが、親が建築家であるということ。おしゃれすぎる家、マリメッコのワンピース、へんてこな自転車…。
そう、ご両親はただ優れたデザインのものを、良かれと思って揃えているだけなのです。でも娘さんの受け止め方は違います。ふつうの家にふつうのお父さん、ふつうのワンピースがただ着たいだけなのです。自転車だって、近所のお店で売ってるふつうの自転車が欲しいのです。
けれどもお父さんは、自転車がほしいという娘さんのリクエストに、受注生産のモールトン社の自転車をわざわざ英国に発注します。やっと届いた自転車に、テンションの上がったお父さんのウンチクが止まらない…。
娘さんは心の中の失望を懸命に隠そうとします。けれどもそれを次第にポジティブに受け入れてゆく、、とまぁそんなお話しです。
私のブログを読んでくださる方には、もうかなり刺さっていることと思います。あ、これ自分のことだ!と。
そうなんです。別に”ふつう”を否定しているわけじゃないんです。むしろふつうであろうとしているのに、自分の気持ちに素直に行動したり、惹かれるものを手に入れていくと、結果として人とはズレてしまうんです。建築家あるある、そして建築家住宅に住んでる人あるあるかもしれませんね。
この話を息子にしたら衝撃的な言葉が返ってきました。
「これ俺の話だ」
小さい頃、「おまえんちすごいな」と言われるのがとても嫌だったそうです。そうだったんだ…初耳でした。今はそんなことないそうですが。
実は私も小さい頃はそうでした。自分の住んでいる家が友達の住んでいる”ふつうの家”ではないことが嫌で仕方がありませんでした。親が”ふつう”ではないこともコンプレックスでした。
それを反面教師にして、今ではふつうの家に住み…ではないというのはなんなんでしょう?そういう家を作る張本人になってすらいる。ある意味突き抜けてしまったのかもしれませんね。
人に合わせるのではなく、自分らしく生きるというのは本当に幸せなことだと思います。この絵本のほんとうに伝えたかったことは、そういうことなんでしょうね。ある意味、北欧らしい考え方のような気がします。
フィンランド留学時代の友人アンティとの久しぶりの再開。日本帰国以来なので15年ぶりでしょうか?
フィンランド人とのつながりは多いですが、本当に親しい人は一握りしかいません。ましてや家に招くことなど日本人の友人でもごくわずかのことです。
フィンランド人は一度友達になると一生の友達になると言います。それが今ではよくわかります。それまで会わなかった時間が嘘のように、つい昨日も会っていたかのような親密で楽しい夜でした。アンティありがとう!また会おう。
圧倒的に女子率の高い展覧会。あちらこちらであがる「かわいい~」「かわいい~」の歓声に、もっと他に表現はないのかと違和感を持ちつつも、私も他に浮かばない。やはりマリメッコを一番的確に表現する日本語は「かわいい」なのだろう。
マリメッコのかわいいは、ゆるキャラのかわいいに近い。突き放すようなかわいさではなく、そこにあるのは親しみだ。
しかし私が生まれるより以前に、こんなビビッドなデザインで勝負していることに、今さらながらに衝撃を受ける。ふた周りくらいして新しい。こういうタイムレスなところがやっぱりフィンランドだ。
新年あけましておめでとうございます。
米の人類学者エドワード・ホールによると、アメリカやイギリスのように、多くの人種や宗教が入り乱れる低文脈(ローコンテクスト)の文化においては、自分の考えを人に分かってもらうために、言葉を駆使してコミュニケーションを図る必要性がはるかに高くなるのだそうです。
一方、高文脈(ハイコンテクスト)な文化においては、人々が同じような期待や経験、背景を持ち、遺伝子まで似ている。このような人々は言葉によるコミュニケーションの必要性が低くなります。日本もそんな国の一つと言えますが、北欧の国々の本質もまた、この高文脈と同質性にあるような気がしています。
昨年は11年ぶりに家族でフィンランドに訪れ、自分の根の所在をあらためて確認しました。私は20代後半で北欧と出会い、以来北欧とその文化に深く関わり現在に至ります。単なる北欧好きという枠を越えて、私は自分の生き方が本質的に北欧と同じ文脈にあることを感じています。
私は家族の中にいると無口になります。究極の高文脈(ハイコンテクスト)の中にいるからかもしれません。居心地とは高文脈の中にこそ宿る。あるいは、居心地の良い空間には高文脈があるとでも言いましょうか。あたたかな部屋で年始に思うのはそんなことです。
遠い北のかの国に憧憬を抱きながら、今年も空間の居心地に思いを馳せてゆきたい。言葉の要らない空間をつくりたい。「ハイコンテクスト」が今年のテーマです。
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