
毎年秋になると家族で旅行に出かける.一般的に旅のテーマといえば,海,山,グルメに温泉といろいろあるけれど,我が家の場合は必ずアートか建築が軸になる.素晴らしい作品や空間に触れると,おいしいものを食べた時と同じくらい心が満たされる.
もっとも,毎回それにつき合わされる子どもはどう思ってるかはわからないけれど.ただ物心ついた時からそういうところにばかり連れて行かれるし,最近では自分から美術館や博物館に行きたいと言い出すこともあるので,既に家族旅行とはそういうものだと思っているかもしれない.
今回は静岡の三島にあるクレマチスの丘まで足を延ばした.クレマチスの丘には,ヴァンジ彫刻庭園美術館やIZU PHOTO MUSEUMなどの美術館がクレマチスの咲く庭園と共に敷地内に点在している.
中でもイタリアの彫刻家,ジュリアーノ・ヴァンジの彫刻がならぶ庭園は美しく,また天気も良くて最高に気持ちが良かった.人も少なかったし,こうして屋外で彫刻を楽しめる場所というのは開放的で,やはり美術館の中よりずっと楽しめる.ヴァンジの表現力と,彫刻の表情が実に良くて,ついつい引き込まれてしまった.
ほかにも御殿場で立ち寄った,内藤廣さん設計による「とらやカフェ」や「とらや工房」も素晴らしかった.全体の構成は素っ気ないくらいシンプルに,でも寄って見ていくとため息が出るくらい細やかな配慮が行き届いていて,内藤さんらしい建築だった.
内藤さんの建築には一言でいえば品がある.人としての品性は建築ににじみ出るものだとあらためて感じた.
最近思うことは,建築単体ではなく,建築と環境がいかに引き立てあえる関係をつくれるかということ.特にとらや工房は,そういう意味において”反則”と思うくらいその佇まいや環境が素晴らしかった.逆に言うと,その環境づくりをするのが建築家の仕事なのかもしれない.内藤さんの仕事と,クレマチスの丘で見た建築群と庭園との関係にもそれを感じ取ることができた.
番外編では,とらや工房の敷地内に建つ旧岸邸(設計・吉田五十八)も見学できたり,退屈気味だった子どもとは東山湖で釣りをしたりと盛りだくさんの旅だった.ちなみに冒頭の写真はヴァンジ庭園で叱られ,ふてくされて佇む息子.その表情と手前の彫刻との対比がなかなかいい.
[caption id="attachment_2819" align="alignnone" width="418" caption="ヴァンジ彫刻庭園美術館|クレマチスの丘"]

[caption id="attachment_2813" align="alignnone" width="418" caption="壁をよじ登る男|ジュリアーノ・ヴァンジ"]

[caption id="attachment_2806" align="alignnone" width="418" caption="とらや工房|設計:内藤廣"]

[caption id="attachment_2814" align="alignnone" width="560" caption="IZU PHOTO MUSEUM|内装・庭:杉本博司"]

[caption id="attachment_2815" align="alignnone" width="560" caption="旧岸信介別邸|設計:吉田五十八"]

一流のサッカー選手は、他人のプレーを一目見て盗むという。
人聞きは悪いけれど、「盗む」という行為はかなり高度な行為だと言える。実際我々はサッカーのすごいプレーを見たところでそれを真似することはできないのだから。それを見て自分のプレーにできる人というのは、それなりのスキルとセンスを併せ持つ人だとも言える。
大学では、学生は人と"かぶる"ことを極端に嫌う傾向がある。過去に同様の作品があったり、建築家の作品があったりすると、その時点でそのアイデアを捨て去ってしまう。僕に言わせれば、それを見たところでそれを自分のものにできるわけではないし、結局は違うものになるのだから構わず進めてしまえばいいのに、と思う。
誤解を恐れずに言えば、我々は建築を見に行くのに少なからず何かを盗みに行っている。盗むものがなければ窃盗未遂で終る。そのかわり我々は「つまらない建築だ」などとと毒づくことになるわけだけど。
目で見た、体験した空間を消化して自分の空間のエッセンスにできる人のことを、我々は「建築家」と呼んでいるのかもしれない。
人聞きは悪いけれど、「盗む」という行為はかなり高度な行為だと言える。実際我々はサッカーのすごいプレーを見たところでそれを真似することはできないのだから。それを見て自分のプレーにできる人というのは、それなりのスキルとセンスを併せ持つ人だとも言える。
大学では、学生は人と"かぶる"ことを極端に嫌う傾向がある。過去に同様の作品があったり、建築家の作品があったりすると、その時点でそのアイデアを捨て去ってしまう。僕に言わせれば、それを見たところでそれを自分のものにできるわけではないし、結局は違うものになるのだから構わず進めてしまえばいいのに、と思う。
誤解を恐れずに言えば、我々は建築を見に行くのに少なからず何かを盗みに行っている。盗むものがなければ窃盗未遂で終る。そのかわり我々は「つまらない建築だ」などとと毒づくことになるわけだけど。
目で見た、体験した空間を消化して自分の空間のエッセンスにできる人のことを、我々は「建築家」と呼んでいるのかもしれない。
大学の講師室には最新の建築雑誌が平積みされていて,授業前にペラペラとナナメ読みする.ささやかながら,貴重な情報収集の時間でもある.
しかし国内外で高い評価を集める著名建築家の作品を眺めていると,対岸の火事というか,とても同じ建築設計という職業を生業としているとは思えないほど,異次元の作品もたびたびある.僕に言わせると「宇宙人」の所行である.
中には学生がスチレンボードで作った模型がそのまま建ってしまったようなものまで.学生にはリアリティがないから,薄いボードを組み合わせていとも簡単に軽くて透明な浮遊空間を作り出す.我々はそれを賞賛しながらも,一方では覚めた目で「現実には無理だけどね」と言っていたものが,今やリアルにできるようになってきている.
それをイノベーションと呼ぶ人もいるだろう.断熱塗料やLow-Eガラスの普及などによって,本来必要な配慮をしなくても手軽にその建物の性能を担保することも可能になってきた.それを技術革新と位置づけ,デザイン実現への助けとするのも時代を生きる建築家のスタンスかもしれない.
けれども僕はそこに大きな危険性を感じる.物には道理がある.技術の力で道理を無理矢理押さえ込むことで,一方で破綻する現象が起こることはないだろうか.
アルヴァ・アールトは建築にけして新しい素材を使わなかった.少なくとも30年以上市場にあるものだけを使い,古来より使われてきた建築技法を少しだけ応用して,現代に普遍的価値を持つ新しい建築を作ろうとしてきた.
ここ数年の建築技術や素材の革新は,もしかしたら向こう数年で市場から姿を消すものかもしれない.最新の建築デザインは十年後には「なつかしい」と言われているかもしれない.一方で人間が営んできた基本的な生活行為は,数百年,数千年前から基本的にあまり変わっていない.人間の体のつくりもまた数万年の単位でその変化はわずかでしかない.我々はこの時間軸の違いに,もっと正面から向き合うべきではないか.
建築には普遍的な価値が必要だと思う.たとえそれが退屈だと批判されようとも.
その上で「対岸の火事」を野次馬として,ひとりの建築好きとして,楽しく見物するとしよう.
しかし国内外で高い評価を集める著名建築家の作品を眺めていると,対岸の火事というか,とても同じ建築設計という職業を生業としているとは思えないほど,異次元の作品もたびたびある.僕に言わせると「宇宙人」の所行である.
中には学生がスチレンボードで作った模型がそのまま建ってしまったようなものまで.学生にはリアリティがないから,薄いボードを組み合わせていとも簡単に軽くて透明な浮遊空間を作り出す.我々はそれを賞賛しながらも,一方では覚めた目で「現実には無理だけどね」と言っていたものが,今やリアルにできるようになってきている.
それをイノベーションと呼ぶ人もいるだろう.断熱塗料やLow-Eガラスの普及などによって,本来必要な配慮をしなくても手軽にその建物の性能を担保することも可能になってきた.それを技術革新と位置づけ,デザイン実現への助けとするのも時代を生きる建築家のスタンスかもしれない.
けれども僕はそこに大きな危険性を感じる.物には道理がある.技術の力で道理を無理矢理押さえ込むことで,一方で破綻する現象が起こることはないだろうか.
アルヴァ・アールトは建築にけして新しい素材を使わなかった.少なくとも30年以上市場にあるものだけを使い,古来より使われてきた建築技法を少しだけ応用して,現代に普遍的価値を持つ新しい建築を作ろうとしてきた.
ここ数年の建築技術や素材の革新は,もしかしたら向こう数年で市場から姿を消すものかもしれない.最新の建築デザインは十年後には「なつかしい」と言われているかもしれない.一方で人間が営んできた基本的な生活行為は,数百年,数千年前から基本的にあまり変わっていない.人間の体のつくりもまた数万年の単位でその変化はわずかでしかない.我々はこの時間軸の違いに,もっと正面から向き合うべきではないか.
建築には普遍的な価値が必要だと思う.たとえそれが退屈だと批判されようとも.
その上で「対岸の火事」を野次馬として,ひとりの建築好きとして,楽しく見物するとしよう.
11. 10 / 31
IRONHOUSE
author
sekimoto
category
> 建築・デザイン
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構造家・梅沢良三さんのご自宅であり,建築家・椎名英三さんが設計された住宅,IRONHOUSEを見学させて頂く機会を得た.
IRONHOUSEは2007年に竣工し,2011年の建築学会賞を受賞した住宅である.今回は受賞を期に,まだ実物を見ていない建築関係者を対象に,すでに生活されている住宅の内部を特別公開して頂いた.
実際に見るIRONHOUSEは,一言で言えば「異次元空間」だった.
構造,そして内外装のほとんどは4.5mmの赤錆の浮いたコールテン鋼とコンクリートだけでできている.それまで見たこともないその空間は,住宅というより建築の根源的な空間のあり方を示しているようでもあり,ゾクゾクと鳥肌が立つような体験だった.
椎名英三さんの住宅には友人がアトリエに勤めていたこともあり,昔から何度か見学させて頂く機会はあった.そしてその都度,その完成度の高い空間とディテールには,教わるというよりただため息をついて帰ってくることも多かった.
今回の住宅には椎名さんの建築家としてのすべてが詰まっているようだった.
現地では椎名さんとも少しお話しができたのだけれど,言っていることが昔から一貫して変わっておらず,この一点に向けて一直線に建築家として生きてきたのだろう.尊敬の念とともに,そのことにむしろ学ぶべきところがあるような気がした.
ちなみにこの住宅の植栽を施工されているのは,自邸をはじめ,私の設計した住宅のほとんどの植栽を手がけて下さっている”ストライカー”こと,耕水の湊さんである.
今回の湊さんの仕事も,建築に少しも引けを取ることなく素晴らしかった!
今回の受賞は椎名さんや梅沢さんのものであると同時に,その一部は湊さんのものでもあると思うと自分のことのように嬉しく,また誇らしくもあった.
我々も湊さんの植栽に負けない建築を作らなくては!
そんな思いをあらたにして家をあとにしたのでした.






昨年末竣工したFILTER/U邸の取材があり,約半年ぶりにお邪魔してきました.
建物に近づいていくと駐車場の前に一枚の立て看板.ん,カフェ?
よく見たら住宅で余った棚板.そこにはお子さんの絵でかわいらしい絵が描かれていました.「パンのおみせ」…ハテ.
聞くとUさんがプロデュースして,ご友人の焼いたパンや食材などを住宅の軒先で売ることにしたのだそう.この日はたまたま取材日と重なってしまったようです.
この住宅,FILTERというコンセプトを設けたのも,まわりの雑然とした風景や街並みへの開き方や閉じ方が重要な意味を持っていたためで,そのくらいこのUさん方のおしゃれで洗練されたライフスタイルは,この地域になじむのか当初不安だったところもありました.
でも結局Uさんはその安全に巡らされた殻の中に閉じこもることなく,フィルターの目に自ら風穴をあけて地域へと飛び出していったようです.住宅の軒先にいきなりオープンした「パンやさん」.ところがこれが近所の方に大変好評で,不定期に開催されるこのお店にどこからともなく人が集まり,あっという間に売り切れてしまうのでした.
何かをはじめるのに期を熟すのを待ってはいられない.体裁は気にせずどんどん前に進むべき!これは僕の人生のモットーでもあり,Uさんともそんな話で盛り上がりました.
お店がなかったらお店はできない?
資格がなかったら独立はできない?
いやそんなことは全然ありません.すべては本人のやる気次第!どんどん体当たりしていくしかないのです.そうすれば自ずと道は開ける.僕もそうやってフィンランドに渡りました.そんなエネルギッシュなUさんに,この日もパワーをもらって帰ったのでした.
あ,僕も買い占めて帰ったパン,とってもおいしかったですよ!!
次回の開催も楽しみです.


