21. 05 / 28
小田原の家 プレカット打合せ
author
sekimoto
category
> 仕事
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48

小田原の家が着工し、昨日は雨の中の配筋検査。景色の抜けのある良敷地、上棟が楽しみです!施工はデライトフル。
その後は藤沢の社屋に移動して、同計画のプレカット打合せ。ウッドショック只中の計画のため、現場のリアルな状況を知る好機会。
本現場の取組みは、もはやプレカット会社ではなく、製材会社(永田木材)との直接打合せ。製材会社側が頭になって、複数の適切なプレカット会社に刻みを依頼します。プレカットの図面は外注のアトリエ設計事務所とタッグを組んでいるのですが、この設計者も若いのになかなか優秀な方でした。
我々にとっても、プレカット打合せを製材企業と進めるのははじめての試み。大手プレカット会社が頭になって材を手配するのではなく、より木材の川上にいる企業が、零細の専門会社を束ねて、アメーバのようにチームを作って柔軟に対応する。これは木材流通の新しい協働のかたちだと思います。


「紬の家」と名付けた住宅を昨日無事引き渡しました。法延べ床面積で100坪超、計画から竣工まで二年半の時間を要したプロジェクトでした。
計画の詳細はここでは語りませんが、かつてない規模、そしてこれまで経験のない素材や仕様も多く、特殊条件に戸惑いながらもなんとか着地させたというプロジェクトでした。
この案件で得た学びは数多くありましたが、この仕事において強く意識をさせられたのは、設計者が担うべき責任と判断についてです。


一般的に我々設計者は依頼者のご要望をお聞きし、それを設計によって具体的な形にしてゆきます。その過程ではプランニングや仕上げなど、建て主さんのご意見を聞きながら進めてゆくことになります。
今回の計画も原則としては先のような手順を踏んでいますが、今回のような規模の計画になると、些末な細部にまで建て主さんのご意見を聞いているわけにはいかなくなります。そうしたときに問われるのが、先の設計者としての責任と判断です。
建築行為には大変な費用がかかりますので、いざ出来上がってみたら「思っていたのと違う」と言われてもやり直しはききません。そのために我々に必要になるのは建て主さんへの確認ということになるわけですが、時にそれがエスカレートすると、その仕様の可否そのものの判断をも、建て主さん側に委ねてしまうことにもなりかねません。
それは建て主さんのご意見をお聞きしたといえば聞こえは良いのですが、単なるクレームを避けたいがあまりの設計者の責任放棄になっているケースはないでしょうか?「だって、建て主さんがそうおっしゃったので」そう言えば許されるという甘えが、少なからずそこには含まれているような気がするのです。

我々がこれまでに手がけてきた住宅は、この20年でおよそ100件あまりになります。我々は住宅設計のプロフェッショナルであり、美意識や技術力、情報量すべてにおいて、一般の人よりは上でなくてはいけないとも思っています。
ところが多くの建て主さんが建てる家は、一生に一度きりです。そして我々の事務所にご相談に来た段階では、まだ一度も建てたことのない状態でいらっしゃることがほとんどなのです。
そんな一度も家を建てたことのない建て主さんに対し、「間取りはどうしたらいいですか?」「仕上げは?」「色は?」とプロがこと細かくお伺いを立てるというのは、実はおかしいことなのではないかと私は思います。
かといって建て主さん側も、はなから「お任せします」と我々に投げられてしまうのも困ります。これは逆に建て主さん側の責任放棄です。
「建築士が勝手にやったこと」と言う人が世間にいますが、一度も図面を見ていない、もしくは関心を持っていなかったとしたら、やはりこれも先の優柔不断な設計者と同罪ということにならないでしょうか。

私は建て主さんとの理想的な関係は、必ず我々がイニシアチブを取り、常に提案ベースで一歩先を行く”道先案内人”であることだと思っています。
「どうしますか?」ではなく「○○が良いと思いますが、どうですか?」もしくは「こういう理由で、○○がベストだと考えたのでそのようにしました」という我々なりの結論ありきの対話です。
もちろん、建て主さんはそれに対して違和感や反論があれば、相手がプロであろうとも躊躇なく口にすべきです。これはお互いが最後に言い訳をせず、フェアに家づくりをするための最低限のルールだと思うからです。

この「紬の家」は、建て主さんと言い尽くせぬほどの膨大な対話を積み上げていったプロジェクトでした。ですが一貫していたのは、我々が建て主に成り代わって「判断する」というスタンスです。たとえ、建て主さんが要望を出したとしても、我々がそこに違和感を感じたときは首を縦に振りませんでしたし、建て主さん側も同様にそうでした。
物事がスムーズに決まってゆかないジレンマはありましたが、長い長いトンネルを抜けた先に待っていたのは、それらがすべて結晶化し、役割を全うしたという爽快感だった気がします。
「思ったことはすべて伝えたけれど、結論に後悔はありません。最後まで投げ出さずに向き合ってくれたことに感謝します」とおっしゃって頂けたその一言に、この二年半の苦労がすべて報われた気がしました。

新建新聞社主催の、建築家・飯塚豊さんの工務店設計塾。今期全6回の特別講師をお引き受けすることになり、今日は第一回目の設計講評。大学の非常勤を昨年から離れ、オンラインによる設計指導を経験せずに済んだと喜んでいたのに、そういうわけにはいかないみたい。
30人の受講者に1人12分、計7時間!正直疲れました。これがあと5回続くのか…千本ノックですね。ただ学生エスキースと違うのは、相手もプロだから、たまに自分でも思いつかないような良案がちょいちょい混じること。こっち(講師側)にいていいのかなとつい思ってしまう。
来月も引続き飯塚塾の第2課題に加え、とうとう伊礼智さんの住宅デザイン学校の講師も。こわい。こっちは、ガチでこわい!
30人の受講者に1人12分、計7時間!正直疲れました。これがあと5回続くのか…千本ノックですね。ただ学生エスキースと違うのは、相手もプロだから、たまに自分でも思いつかないような良案がちょいちょい混じること。こっち(講師側)にいていいのかなとつい思ってしまう。
来月も引続き飯塚塾の第2課題に加え、とうとう伊礼智さんの住宅デザイン学校の講師も。こわい。こっちは、ガチでこわい!


今日は都内ではじまった家づくりの打合せ。このご家族は、ご主人が英国に単身赴任中ということで、この日は奥様は事務所に、ご主人は海外からZOOM参加というリアル×リモート併用打合せとなりました。
思えば1年前はZOOMをなんとか使いこなそうと試行錯誤の日々でした。当時ぎこちなくオンライン面談や打合せをした建て主さんの案件も続々と着工。その後あらゆるオンラインの経験を経て、今では普通に電話をかけるくらいの気軽さで、日々いろんな人たちとつながっています。
もはやコロナ禍だからということとは関係なく、オンラインツールは普通に日常生活や業務の中に浸透しました。交通機関や往復の移動時間も使うことなく、一瞬で遠隔地の人たちと資料を共有し、顔を見ながらつながることができる時代。
コロナ前には本当に考えられなかったなと思います。
歳を取るとどんどん楽になる、という話を最近よくする。
自分史上、たぶん一番楽じゃなかったのは20代。大変さでは、たぶんあれがピークだったんじゃなかろうか。といっても、徹夜が続いていたとか休みがなかったとか、そういう大変さではなかった。日々、悩みと不安しかなかった。あれはきっと、「受け身」がうまく取れなかったからなのだろうと今になって思う。
柔道などでは、投げられた際に怪我をしない体勢というものがある。それが「受け身」だ。これは頭で考えるものではなく、投げられた際に反射的に体が動くものでなくては意味がない。野球で言うところの「素振り」みたいなものかもしれない。
相手に投げられるという前提で心構えが出来ていると、一瞬の衝撃はあっても怪我はしなくなる。そのうちに頭で考えなくても、反射的にどうすれば良いかわかるようになる。体が自然に動くようになる。
今の私は、たぶん20代のあの頃よりも10倍くらい忙しい。抱えている案件も多いし責任も背負う立場だ。それなのに私はどんどん楽になってゆく。優秀なスタッフのおかげもあるけれど、私が「受け身」を取れるようになったことも大きいと思う。
今私は、自分にとって一番違和感のない選択肢を、瞬間的に、そして直感的に選ぶことができる。そしてそれを決定できる権限もある。ぶれない、悩まないという人生はなんと楽であることか。将来こんな境地が待っていようなんて夢にも思わなかった。
40を不惑の歳という。昔の人はすごいな。40の頃なんてまだまだだった。私は50にして、ようやく不惑の歳を迎えようとしている。
自分史上、たぶん一番楽じゃなかったのは20代。大変さでは、たぶんあれがピークだったんじゃなかろうか。といっても、徹夜が続いていたとか休みがなかったとか、そういう大変さではなかった。日々、悩みと不安しかなかった。あれはきっと、「受け身」がうまく取れなかったからなのだろうと今になって思う。
柔道などでは、投げられた際に怪我をしない体勢というものがある。それが「受け身」だ。これは頭で考えるものではなく、投げられた際に反射的に体が動くものでなくては意味がない。野球で言うところの「素振り」みたいなものかもしれない。
相手に投げられるという前提で心構えが出来ていると、一瞬の衝撃はあっても怪我はしなくなる。そのうちに頭で考えなくても、反射的にどうすれば良いかわかるようになる。体が自然に動くようになる。
今の私は、たぶん20代のあの頃よりも10倍くらい忙しい。抱えている案件も多いし責任も背負う立場だ。それなのに私はどんどん楽になってゆく。優秀なスタッフのおかげもあるけれど、私が「受け身」を取れるようになったことも大きいと思う。
今私は、自分にとって一番違和感のない選択肢を、瞬間的に、そして直感的に選ぶことができる。そしてそれを決定できる権限もある。ぶれない、悩まないという人生はなんと楽であることか。将来こんな境地が待っていようなんて夢にも思わなかった。
40を不惑の歳という。昔の人はすごいな。40の頃なんてまだまだだった。私は50にして、ようやく不惑の歳を迎えようとしている。
