21. 11 / 22
越屋根の家
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sekimoto
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> 仕事
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川越市のさつまいも農家さんの住宅。ようやく芋掘りシーズンが終わって落ち着いたところで本日のプレゼン。
前回お持ちしたラフプランは、今日お伺いすると部屋の隅に額装して掛かっていました。とても嬉しい。今日お持ちした模型にもとても喜んで頂きました。
農家として周囲から浮き立たない慎ましさと、地域の原風景につながるような佇まいを併せ持つ家であって欲しい。
観光農園を営むクライアントの、人に対してオープンで誰でも受け入れる大らかさを持ちながら、しかしそれは牧歌的な農家の暮らしではなく、都会的でどこかモダンなそれであって欲しい。農家の暮らしって、こんなに豊かなんだって思って欲しい。
着工は来年の芋掘りシーズンが落ち着いた頃から。1年間じっくりと設計に向き合います。




21. 11 / 14
しずおか木造塾
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sekimoto
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> 仕事
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昨日は2年ぶりにしずおか木造塾。もしかしたら、2年前のこのセミナーを最後にリアルセミナーを(講師として)やっていなかったかもしれない。
登壇して、参加者の顔がリアルに見えるというこの感覚、懐かしい!そしてやっぱりセミナーはライブに限るとも思いました。今回ご一緒したのは飯塚豊さん。工務店設計塾でも半年間ご一緒したので、こちらもリラックスして臨めました。
リアル懇親会も楽しかった!小田原と鎌倉の現場に構造材を提供して下さっている永田木材さんとも木材激アツトークで盛り上がりました。


「分相応」という言葉を聞くたびに、いつも考えさせられる。
「分相応」の意味を引くと「その人の能力・地位にちょうどふさわしいこと」とある。しかし、その人の能力や地位にふさわしいものって一体何だろう?
家づくりの際にもこの言葉はよく使われる。たとえば収入の安定しない若い建て主さんにとっては、時に我々のような設計事務所に頼むことは、「分不相応(=贅沢)」であるとも考えられがちだ。
けれど、その人がこの先も出世することも所得も上がることもなく、現状維持のまま一生を終えるのであればその通りかもしれないけれど、多くの場合はそうではないだろう。(と信じたい)
人生は常に希望に向かって進むものだ。私はその人にとって今が「分相応」であるかよりも、この先その人がなりたい自分になったとき、それが自分と釣り合っているものであるかどうかのほうがもっと大事なことだと思う。もう少し言えば、その器を先に作ることで、その人はなりたい自分になってゆくのではないだろうか。
子育てにおいても、子供に贅沢をさせるべきではないという意見がある。それは正論だし、ある意味正しいとも思う。苦労もなく簡単に良いものが手に入ったとしたら、その子はそれを手に入れるための努力やプロセスの尊さを学ぶことができないからだ。
しかしこうも言える。それなりに値が張るものには、相応の機能やしっかりと手間をかけた工程があって、作り手の創意工夫やデザインがそこに込められていたりするものだ。
世の中には、そうした本物に触れることでしか得られない学びというものもあると思う。それを贅沢だからといって与えないよりも、時にはそこに下駄を履かせることも教育なのではないだろうか。
人生とは未来への投資そのものだ。身の丈に合った生き方と言えば聞こえは良いけれど、少し背伸びをして、指の先がぎりぎり触れることが出来る選択肢を選び続けることにもまた意味があるように思う。
「分相応」という言葉のもとに、きっと辿り着けたであろう未来を簡単に放棄して欲しくない。余計なお世話だろうけれど、この言葉を聞くたびにいつもそんなことが頭をよぎる。
「分相応」の意味を引くと「その人の能力・地位にちょうどふさわしいこと」とある。しかし、その人の能力や地位にふさわしいものって一体何だろう?
家づくりの際にもこの言葉はよく使われる。たとえば収入の安定しない若い建て主さんにとっては、時に我々のような設計事務所に頼むことは、「分不相応(=贅沢)」であるとも考えられがちだ。
けれど、その人がこの先も出世することも所得も上がることもなく、現状維持のまま一生を終えるのであればその通りかもしれないけれど、多くの場合はそうではないだろう。(と信じたい)
人生は常に希望に向かって進むものだ。私はその人にとって今が「分相応」であるかよりも、この先その人がなりたい自分になったとき、それが自分と釣り合っているものであるかどうかのほうがもっと大事なことだと思う。もう少し言えば、その器を先に作ることで、その人はなりたい自分になってゆくのではないだろうか。
子育てにおいても、子供に贅沢をさせるべきではないという意見がある。それは正論だし、ある意味正しいとも思う。苦労もなく簡単に良いものが手に入ったとしたら、その子はそれを手に入れるための努力やプロセスの尊さを学ぶことができないからだ。
しかしこうも言える。それなりに値が張るものには、相応の機能やしっかりと手間をかけた工程があって、作り手の創意工夫やデザインがそこに込められていたりするものだ。
世の中には、そうした本物に触れることでしか得られない学びというものもあると思う。それを贅沢だからといって与えないよりも、時にはそこに下駄を履かせることも教育なのではないだろうか。
人生とは未来への投資そのものだ。身の丈に合った生き方と言えば聞こえは良いけれど、少し背伸びをして、指の先がぎりぎり触れることが出来る選択肢を選び続けることにもまた意味があるように思う。
「分相応」という言葉のもとに、きっと辿り着けたであろう未来を簡単に放棄して欲しくない。余計なお世話だろうけれど、この言葉を聞くたびにいつもそんなことが頭をよぎる。
少しまえに面談で言われたことがあって、一般のクライアントさんから見るとうちはとてもデザイン性の高い住宅を作る設計事務所で、性能(断熱など)のことはあまり聞いてはいけない印象があったという。
へぇそうなんだ。とても意外。
うちは断熱のこともちゃんと考えているし、そしてもちろん耐震のことも。進行中のクライアントさんなら皆さんお分かりのことでしょう。
もちろん、我々もデザイン性の高い美しい空間にしたいと思っているけれど、雑誌の表紙を飾るような突き抜けたデザインはあまりやらないので、自分の中ではうちはデザイン的には「ちょっと弱い」とすら思っていたりする。
外から見た印象はずいぶん違うのだとあらためて思った。
また私のブログをよく読み込んで、気に入ってご依頼くださる方も多い。もしかしたら、外から見たら自分はずいぶん「いい人」に見られているのだろうか…。
それを言われると、いつもとてもプレッシャーで、いつ自分の「素性」がバレるかとはらはらする。いつも近くにいるスタッフは、優しくない私をたくさん知っている。「いい人」だけではこの仕事はやっていけないのだ。
いい人だと思っている人には、あとでガッカリされるのが怖くて、わざと意地悪なこと言ってしまうことも。自然体でいようと心がけているけれど、どれが自分の素性なのか、正直自分でもよくわからない。
あなたから見えている私の印象、たぶんそれすべて正解です。
へぇそうなんだ。とても意外。
うちは断熱のこともちゃんと考えているし、そしてもちろん耐震のことも。進行中のクライアントさんなら皆さんお分かりのことでしょう。
もちろん、我々もデザイン性の高い美しい空間にしたいと思っているけれど、雑誌の表紙を飾るような突き抜けたデザインはあまりやらないので、自分の中ではうちはデザイン的には「ちょっと弱い」とすら思っていたりする。
外から見た印象はずいぶん違うのだとあらためて思った。
また私のブログをよく読み込んで、気に入ってご依頼くださる方も多い。もしかしたら、外から見たら自分はずいぶん「いい人」に見られているのだろうか…。
それを言われると、いつもとてもプレッシャーで、いつ自分の「素性」がバレるかとはらはらする。いつも近くにいるスタッフは、優しくない私をたくさん知っている。「いい人」だけではこの仕事はやっていけないのだ。
いい人だと思っている人には、あとでガッカリされるのが怖くて、わざと意地悪なこと言ってしまうことも。自然体でいようと心がけているけれど、どれが自分の素性なのか、正直自分でもよくわからない。
あなたから見えている私の印象、たぶんそれすべて正解です。

今年2月に竣工しました横浜市「壇の家」につき、先日ようやく竣工撮影を終えましたので写真をアップしました。以下よりご覧下さい。
[壇の家]
https://www.riotadesign.com/works/21_dan/
写真:新澤一平
今年は秋も梅雨のような長雨で、撮影日程も延び延びになってしまいました。そのうち木が落葉してしまうのではないかとハラハラしていましたが、ぎりぎりセーフでした。
、、と思いきや、撮影当日は快晴の予報のはずがまさかの雨!うそでしょ、と心が折れかけましたが、そこは新澤さんの撮影マジックでなんとかカバーして頂きました。シャープな光の差す写真というわけにはいきませんでしたが、こんな優しいソフトな光で包まれた空間もなかなか良いものです。
南側に隣家が建つため、建物を北向きに配置し、ハイサイドから北側奥のリビングまで光を取り込んだ住宅です。設計上はそのように言うのが一番わかりやすいので、対外的にはそのような説明をしていますが、この空間で最も大切にしたのは空間の奥行き感、空間のひだのようなようなものとでも言いましょうか。
あまりに抽象的で理解してもらえないと思うので、へぇそうなんだと流してもらって大丈夫です。

