12. 06 / 04

つもり

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sekimoto

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> 思うこと


いつも頼んでいる酒屋から,上棟式のお酒が届きました.しかし見ると,いつもは社名を書いて張ってくれている”のし”がない.今回はちょっとイレギュラーな注文で「いつも通り”のし”付きのお酒」と,「何も書いていない”のし”をもう一枚」ということだったのですが,届いたのは「何も付いていないお酒」と,「何も書いていない”のし”が二枚」.

届けてくれた酒屋さん曰く,うちの担当者からは確かにそう言われたと.ノンノン.話はここから始まります.うちの担当は確かに私に言われたとおり伝えた「つもり」だったに違いありません.けれども先方は勘違いして受け止めている.これは誰が悪いか.もちろん勘違いした方にも責任はありますが,伝え方が悪かったのだと思います.

お酒ごときで目くじらを立てているのではありません.これは現場でも十分に起こりうることなのです.担当者は伝えた「つもり」.しかし現場は勘違いしている.こうなると話は平行線です.「言った」「言わない」.人間は間違える生き物だと口を酸っぱくしてスタッフに説いているのはこういうことなのです.きっとこういう勘違いをするだろう,というところをどこまで先読みして,どこまで言葉をかみ砕いて説明するか.これが仕事におけるコミュニケーション能力であると思うからです.

いや待てよ.ここまで書いてよぎった考えは,私もスタッフにそう伝えた「つもり」で,スタッフもこの時点で既に勘違いしていたとしたら・・・オソロシイ.いやはや,これは自分も肝に命じないといけないことですね.

12. 05 / 24

美大と日大

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> 思うこと


現在事務所で研修中の吉里くんは元多摩美生.いろいろ話をしていると,わが母校の日大とは気質がずいぶん違うようだ.

かつては学生として,今は非常勤として関わる日大(理工)の建築は,良くも悪くも「コンセプト教育」という気がする.つまり実際に建つ/建たないは別として,まずは建築への向き合い方や考え方をみっちりと教え込む(ように感じる).そして実際,私もそういう切り口で学生に接している.

建築のスタイルも,素材感や空間の”匂い”のような情緒的・感覚的なアプローチよりも,論理的で竹を割ったようにダイナミックな案がおしなべてウケが良い.内部というよりは,建築を都市との関わりなど外側から考える.学生に図面よりもまずは模型から作らせるという方針にも,そういう考え方は表れているかもしれない.まさに「構造の日大」である.

美大系の建築は,理屈よりも先に手を動かして考える.工房を持ち,竹を裂き,木を削ることから素材との向き合い方を学んでゆく.語弊があるかもしれないけれど,どちらかというと感覚的で直感的なアプローチとも言えるかもしれない.

学生の気質にもそれが色濃く反映されている.日大の学生はおしなべて堅実で安定志向だ.就職はこぞって大手に行く傾向にある.設計が優秀な学生ほどその傾向は強く,著名アトリエで武者始業を積もうという者はごく一握りだ.

美大生の場合は卒業してから就職活動をはじめるというケースも珍しくない.「建築」以外へ就職する者も多いようだ.そこまで焦りがないというのは,手に技術を身につけている者の自信や余裕なのか,単に世間知らずなだけなのかはわからないけれど.

最近の日大生を見ていると,私たちの時代以上に「建築好き」な学生が増えたような気がする.もちろんそれはとても良い傾向だと思うけれど,最近ではスポーツ系サークルに入る学生は少ない(理由は「課題が忙しいから」)こととも併せて考えると,学生には「おたく」になりすぎず,もう少しバランス良くいろんな経験を積んでもらいたいとも思う.

美大系の「奔放さ」と,理工系の「堅実さ」を兼ね備えた建築や建築家が,今社会では最も求められているのだから.

12. 04 / 11

佳境

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> 思うこと


‎2ヶ月で5件の住宅プレゼン.昨日で5件めのプランがようやく定まった.怒涛の2ヶ月.しんどかったが,ようやくここまで来た.

昨日は大学で設計指導.彼らは1件の住宅課題を2ヶ月かけてまとめ上げる.考えてみたら贅沢な話だ.1週間経っても変わりばえのしない彼らの図面を見ていると,甘えているとしか思えないことがある.

プロと学生の違いがあるとしたら,それはスキルではなく本気度の違いだと思う.

12. 03 / 15

あたりまえ

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> 仕事
> 思うこと


はじめてお付き合いする工務店さんに,毎回必ずと言っていいほど言われるのが,「図面をよく描かれていますね」ということだ.

うちは設計事務所だ.いわばプロの図面描きでもある.だからどこに出しても恥ずかしくない図面を描かなくてはいけない.だからスタッフにも僕は図面に関してはとにかくうるさいし,図面には確実に,施工に関わるすべての情報が網羅されていなくてはならないとも思う.

ところが機会があって他の事務所の図面を見たりすると,たまに愕然とすることがある.密度はスカスカだし,あちこち食い違っているところもあって,これを見て工事をする人達は大変だろうなと思わされることもある.

すべての線に責任を持つというのが我々の仕事だ.施工会社は図面通りに施工することに全力を尽くすとして,その礎となる図面は我々が描かなくては始まらないと思う.

我々が描いている図面は「あたりまえ」の図面だ.少なくとも我々はそう思っている.それがすごいと毎回言われることに,いつも違和感を覚える.

施工者にもたまにプロ意識の欠けた方にお会いすることもあるけれど,そういう時はかなり厳しい態度で我々も接することになる.我々は相手にも求めるものが大きい分だけ,こちらもそれなりの仕事をしなくてはいけない.少なくともそれを受け取る相手が,背筋がしゃきっと伸びる図面を描きたいと思う.

12. 03 / 07

カタチを与える

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> 思うこと


昨日一件のプレゼンがあった.その方は我々以外にも,ハウスメーカーなどからも提案を受けていたのだけれど,最終的には我々のプランを気に入ってくださり,無事設計のご依頼を頂くことができた.そのお施主さんから昨晩頂いたメールの内容がとても嬉しく,感じるものがあったのでその一部を抜粋してご紹介させて頂く.

『事務所で図面を見せていただいたときに,こういう風に暮らしたかったんだと気づきました.漠然としたイメージだったものを導き出してもらったというか,解は私たちの中にあって,それにうまくカタチを与えてもらったという気がしています.
コンセプトを聞いたときに目からウロコが落ちた気がしました.なぜハウスメーカーと話しをしていて全く楽しくないのか,すとんと腑に落ちました』

お施主さんによると,ハウスメーカーの建築士さんには繰り返し「どういう間取りにしますか?」と聞かれたそうだ.お施主さんにしてみたら「それを考えてくれるんじゃないの?」ということになるだろう.

例えばここの仕上げはどうしますか?と聞かれて答えたら,その通りになってしまうのだろうか.どんなにヘンテコな内装になったとしても,それは「お施主さんのお望み通り」なのだろうか.それは断じて違うと思う.

多少高い(と思われている)ハードルを乗り越えて我々建築家にご依頼くださるお施主さんのゴールは,「美しく機能的な家に住む」だ.我々はそこに向かって仕事をしている.

だからお施主さんがその道を踏み外しそうになったら,迷わず我々は指摘をしなくてはならない.例えお施主さんの意向であろうとも,それが誤ったゴールに進みそうになっていると感じた時には絶対に首をタテには振ってはいけない.それは俗に言う「建築家は言うことを聞いてくれない」ということとは本質的に異なる話なのだ.

僕は常に「答えはお施主さんの中にある」と思っている.でもそれをどう表現すれば良いのか,どうすればそれができるのかわからないから我々に設計を依頼している.だから我々に求められるのは,実はカタチを作るという意味でのデザイン力ではなく,それをどう引き出すかという意味においてのコミュニケーション能力なのだ.これ以外の何物でもないとも思う.

それゆえに,このお施主さんの「解は私たちの中にあって,それにうまくカタチを与えてもらった」という表現が,我が意を得たりということで何より嬉しかった.建築はコミュニケーションであり,デザインもやはりコミュニケーションなのだ.

詰まるところ,いつも結論は一つなのだな.