昨日,去年竣工した住宅の撮影があり,撮影の合間にお施主さんといろいろお話しをさせて頂いたのだけれど,その際にこんなお話しを頂いた.

「敷地を見に来て頂いたのはそう何度もなかったのに,できあがった住宅はプライバシーに配慮されており,絶妙に敷地にはまっていてびっくりした.実際の生活も要望に適っていた.プロにこういうことを言うのは失礼かもしれないけれど,プロだなあと思った」

もちろんとても嬉しく,こそばゆい気持ちではあったけれど,言われてみると我々も意識してそうした部分もあったけれど,意識せずに”たまたま”そうなった部分もあったような気がする.

これは不思議な感覚で,言われると自分でもどうしてそうしたんだろうと設計に説明がつかない部分も多い.でももしかしたら意識してそうした部分よりも,”たまたま”そうなったという部分が,実は設計において最も肝要な部分なのだとも言えるかもしれない.

意識してそうした,という部分は左脳(論理)的思考でそうしたということだ.実際に目で見て,話を聞いて,図面上で確かめてそうしたという部分.言葉で説明できる部分だとも言える.これは基礎を身につければ誰でも出来るし,建築専門誌で建築家が試みている説明もこれにあたる.大学で学生に教えているのもそういうことだ.

でも”たまたま”そうなった部分というのは,自分ではコントロールできない部分だ.だからこれは教育もできないし,説明もできない.意識ではなく無意識で,左脳ではなく右脳(直感)で選択していた部分があったからなのだろう.

そして実は,それこそが建築の本質なのかもしれないとも思う.
限られた情報量をわかりやすく説明したり,それをさばくときには論理的思考は非常に有効だけれど,大量の相矛盾する要素を同時に成立させるためには論理なんてこれっぽっちも役に立たない.時には論理をすっとばして,ショートカットで本質を結びつけるという直感的思考が重要になる場面が出てくる.

言語化されない部分が大切,というのはお施主さんからのご要望もそうで,膨大な要望書を作って頂くよりも,むしろ一切考えないで無防備に向き合ってくれた方が,その方の本質をつかまえることができる.それも何度も会う必要はなく,最初に会ったときが一番大切で,第一印象にその方の全てが表れるといつも思う.

とはいえ,私の自分でもコントロールできない直感的思考を,頭をぱかっと開いて人にお見せするわけにもいかないので,自分なりにそれをわかりやすい言葉に置き換えて,目の前のお施主さんに語って聞かせているわけだけれど.でもやっぱり言葉は遠い.時に誤解を招くこともある.

とにかく伝えたいことはひとつで,
「大丈夫ですよ.結果的にすべてうまくいきます.安心してお任せ下さいね」
ということなんです.