13. 06 / 29

きれいな図面

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sekimoto

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NHKのSWITCHインタビューで作曲家の千住明さんが,きれいに楽譜を書くときれいな音が出ると言っていたことに深く共感.スタッフから見たら,きっとどうでもいいと思うレベルまで僕は図面のきれいさにこだわるんだけど,きれいな図面を描くときれいな建築になる.これは本当にそう思う.

きれいな図面というのは,表現として美しいという意味だけではなく,いかに整理されているかということ.それは整合性のようなものだったり,全体が絡み合って一つの秩序を作り出せているかということもそうだし,誰が見ても解釈の幅が生まれない明快さがあるか,そこまで考え抜かれているか(見えているか)ということに最もこだわりたいと思っている.

きっと音楽であれば,何楽章にも連なる交響曲も,曲全体にいくつもの伏線となる旋律を忍ばせていることだろう.そこにはそのどの順番がひっくり返っても成立しない厳密さがあるように,建築にもまた一見して関連しない諸室の関係や別棟との関係においても,いくつもの伏線が張られて全体が構成されるようにしたいといつも考える.

だからその見えない線をどこまで描き込めるかが重要なのであって,見えている線にはそこまでの意味はない.見えない線が見えると建築はモノになる.見えない線が見えない建築は魂のない建築になる.

…とまぁそんなことを言っていても,まだまだ見えていないことばかり.いまだに100点が取れない.きれいな図面を描きたい,見えない線を描きたいといつも願って図面に向かう.
昨日,去年竣工した住宅の撮影があり,撮影の合間にお施主さんといろいろお話しをさせて頂いたのだけれど,その際にこんなお話しを頂いた.

「敷地を見に来て頂いたのはそう何度もなかったのに,できあがった住宅はプライバシーに配慮されており,絶妙に敷地にはまっていてびっくりした.実際の生活も要望に適っていた.プロにこういうことを言うのは失礼かもしれないけれど,プロだなあと思った」

もちろんとても嬉しく,こそばゆい気持ちではあったけれど,言われてみると我々も意識してそうした部分もあったけれど,意識せずに”たまたま”そうなった部分もあったような気がする.

これは不思議な感覚で,言われると自分でもどうしてそうしたんだろうと設計に説明がつかない部分も多い.でももしかしたら意識してそうした部分よりも,”たまたま”そうなったという部分が,実は設計において最も肝要な部分なのだとも言えるかもしれない.

意識してそうした,という部分は左脳(論理)的思考でそうしたということだ.実際に目で見て,話を聞いて,図面上で確かめてそうしたという部分.言葉で説明できる部分だとも言える.これは基礎を身につければ誰でも出来るし,建築専門誌で建築家が試みている説明もこれにあたる.大学で学生に教えているのもそういうことだ.

でも”たまたま”そうなった部分というのは,自分ではコントロールできない部分だ.だからこれは教育もできないし,説明もできない.意識ではなく無意識で,左脳ではなく右脳(直感)で選択していた部分があったからなのだろう.

そして実は,それこそが建築の本質なのかもしれないとも思う.
限られた情報量をわかりやすく説明したり,それをさばくときには論理的思考は非常に有効だけれど,大量の相矛盾する要素を同時に成立させるためには論理なんてこれっぽっちも役に立たない.時には論理をすっとばして,ショートカットで本質を結びつけるという直感的思考が重要になる場面が出てくる.

言語化されない部分が大切,というのはお施主さんからのご要望もそうで,膨大な要望書を作って頂くよりも,むしろ一切考えないで無防備に向き合ってくれた方が,その方の本質をつかまえることができる.それも何度も会う必要はなく,最初に会ったときが一番大切で,第一印象にその方の全てが表れるといつも思う.

とはいえ,私の自分でもコントロールできない直感的思考を,頭をぱかっと開いて人にお見せするわけにもいかないので,自分なりにそれをわかりやすい言葉に置き換えて,目の前のお施主さんに語って聞かせているわけだけれど.でもやっぱり言葉は遠い.時に誤解を招くこともある.

とにかく伝えたいことはひとつで,
「大丈夫ですよ.結果的にすべてうまくいきます.安心してお任せ下さいね」
ということなんです.

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sekimoto

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先日テレビをつけると,たまたまNHK教育(ETV)の「SWITCHインタビュー・達人達」という番組で,アートディレクターの佐藤可士和さんと放送作家の小山薫堂さんの対談をやっていた.番組も半ばくらいから見始めたのが悔やまれるくらい,とても刺激になる内容で,再放送しないかなとひそかに思っている.

その中で佐藤可士和さんが語っていた内容で,印象に残ったことが二つあった.

ひとつは「答えはすでに相手の中にある」ということ.
自分はそれを引き出すだけ.自分の中からひねり出すものではない.

もうひとつは「打合せではメモを取らない」ということ.
打合せには手ぶらで出かける.帰ってきて覚えていることだけが大切なこと.

これにはとても共感を覚える.
ひとつめの「すでにある」もいつもそう思う.私という存在は何なんだろうと思うくらい,いつも相手の中から引き出したいと思っている.それはクライアントであったり敷地であったり,頑固な役人相手のことだったりするかもしれない.私が全くオリジナルで考えたことなんて,もしかしたらないんじゃないかと思う.

もうひとつの「メモを取らない」ということ.これはなかなか真似ができないのだけれど,この感覚はよくわかる.私もクライアントと打合せをしているときはメモを一応取っているのだけれど,これを読み返すということをあまりしない.プランニングを考えているときも,要望書はあまり読まない.大体あんなこと言っていたな,という話の大枠だけで捉える.そうしないと大きな筋を読み違えてしまうような気がするからだ.

余談だけど,現場監理にもついうっかり何も持たないで行ってしまうことがある(それでスタッフに呆れられる).でも図面は現場にもあるし,スケールは監督が持っている.そもそも図面の内容はすべて頭に入っているので,私に必要なのは鉛筆一本だけでいい.あとはコピーの裏紙でもあればその場で納まりを走り書きできる.三角定規がなくても手が覚えている.だからもしかしたら現場も手ぶらで良いのかもしれない.

なかなか面白かった.次回は隈研吾さんx林真理子さん.
隈さんか.いやなんでもないです.

『SWITCHIインタビュー・達人達』
http://www4.nhk.or.jp/switch-int/

13. 04 / 17

エスキース帳

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sekimoto

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独立して以来使い続けているCROQUIS(エスキース帳),本棚にはすでに使い切ったバックナンバーが20冊.スケッチは切り取らないで一冊単位で残しておくとドキュメントになる.10年で20冊だから,平均すると半年に1冊を使い切る計算になる.使うのは計画初期のエスキースのみで,ある程度まとまったらCADに移行することになる.

ところが今月は1ヶ月で1冊を使い切ってしまった.それだけひとつのプロジェクトに悩んで,試行錯誤を繰り返している証拠でもあるのだけれど,パラパラと見返すとその時の苦悩や,出口が見えない絶望感などありありとその時の感情を思い返すことができる.

悩みは一時のもの,解決してしまえば笑い飛ばせる.でも悩みに悩み抜いて,最も鮮やかな解決を導くことができなければ,人って幸せになれないんじゃないだろうか.そんなことも考える.中途半端な解決じゃだめだ.だから何度も何度も考える.

月曜日は大学で学生の設計指導の初日があった.考えたけど思い浮かびませんでした,と言っている彼らのエスキース帳はスカスカだった.前の日の晩に,あるいは今日大学に来てから考えたことなんて,考えたうちには入らないだろう.寝る間も惜しんで考えるのだ.エスキース帳は一冊400円.これを埋め尽くすだけで絶対に元は取れるはずだ.

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sekimoto

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アイコンを裏切らない、ということについて考える。それはその人に求められている立ち位置に忠実であること。平たく言えば、期待を裏切らないということだ。

例えば歌手が往年のヒット曲を歌う時、人が期待しているのはすり切れるほど聴いた音源への忠実さであり、けして妙な節回しや安易なアレンジではない、ということはよくあることだ。

一方でテレビの世界はアイコンを裏切らない。アイドルはアイドルとして、芸人は芸人として、どんなに"おバカ"と罵られようともそのキャラを外さない。そういう姿を見るにつけ、私は彼らをプロだなあと思う。

私も建築家として一時期思うことがあった。我々の仕事にひとつとして同じ仕事はないけれど、なんだか同じことを繰り返しているような気がする。もっと違うことをしてみたい。相手から自分に期待されているイメージを裏切ってみたくなる。

けれども、やっぱりそれは違うのだ。我々はプロとして人の期待は裏切ってはいけない。みんなが思う「関本さん」を外してはいけないのだと思う。それはマンネリとも違う。いわば継続していこうとする”意志”のようなものだろうか。

しかし人がぱっと見ただけではわからないような小さな変化と改善を、我々は日々積み重ねている。前回よりは今回の、今回よりは次回の住宅の方が(建ててしまったお施主さんには申し訳ないけれど)よくできているというのは事実だ。

この微差を積み重ねること。これが仕事である。アイコンを裏切らないこと、それは安易な変化よりも根気や勇気がいることだ。けれども息の長いプロの仕事には、必ずそれがあるような気がする。