
「建築知識」(エクスナレッジ)にて,構造家の山田憲明さんが木構造についての連載を持たれているのですが,今月10月号では山田さんに構造をお願いした「隅切りの家」の構造解説をして頂きました.眼前の桜並木を取りこむ八角形の屋根をした住宅です.
自分が設計した住宅は,通常取材なども自分が窓口になりますし,その解説や構成のコンセプトも意匠設計者自らがスポークスマンとなるものですが,今回は構造家である山田憲明さんがご自身の仕事の解説として記事を書かれており,このような機会は滅多になく,大変興味深く読ませて頂きました.
実のところ,意匠設計者と構造設計者との間でも,もちろん十分なコミュニケーションはなされているのですが,それらはお互いの業務を補い合う関係であり,それぞれの職務の深い部分まで踏み込んで話すことはあまりありません.
それは「こんな風にできますか?」「できますよ」という関係であって,どういう理屈で,どのようにそれを可能にするかというのはそれぞれの職務になるので,それをわざわざわかりやすく解説しあうなどというのは野暮というもの.プロとプロの仕事というのはそういうものです.
でもそれをこんな風に解説されると,そうかぁと,根っこの部分では理解していたつもりでしたが,あらためてそんなことまで考えて下さっていたのだなぁと(当たり前なんですが)嬉しくなりました.
建築の設計では,より専門的な設計技術が必要になるときは,我々だけでは手に負えず,構造や設備などそれぞれの仕事のスペシャリストに仕事をお願いすることがあります.
その関係は,お互いを尊敬し合える関係でなくてはならず,そうした意味で,山田憲明さんは私が最も尊敬し信頼の置けるパートナーの一人です.今後も私の凡庸な頭ではどうにもならないムズカシイ案件の折には,どうかお知恵を貸して頂ければと思います.

ところで学生時代,私は構造が大の苦手でした.
ピンとか固定端とか,はたまた回転とか座屈とか,算数嫌いの子供のように,それらが出てきた瞬間にチンプンカンプン,いつも拒否反応を示していました.全然楽しくない!自分はデザインだけをやっていたいと何度願ったことか.
けれども自分で仕事をするようになってわかりました.机上の空論ではなく,実際にそこに立ち上がった躯体を見れば,この梁なら大丈夫そうだなとか,このはね出し厳しそうだなということが直感として理解できるようになりました.
やじろべえが良い例です.
両側に等しい重りをつければ,やじろべえはフラフラ揺れながらも倒れることはありません.この時の足元のあり方が「ピン」だということです.
でもやじろべえの足元を台座に突き刺して固定してしまえば,片側に少しばかり重い物を乗せても釣り合っているかのように見せることもできます.この時の足元は「固定端」で,いわゆる剛による構造だということです.
そうかあ,建築の構造はやじろべえなんだ!そう考えたら,なんであんなに単位を落としまくっていたのかわからないくらい構造が楽しく,身近なものになりました.
建築の構造は楽しい!今では心からそう思えます.
そして自分に手に負えないときは,山田さんみたいな優秀な構造家がいるのですから,信じてお願いすれば良いのです笑
山田さん,エクスナレッジさん,今回の執筆ならびに掲載ありがとうございました!
14. 09 / 19
この時期
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sekimoto
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> 仕事
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この時期の現場は酷ですね.
なにが酷って,一度出かけたら帰って来たくなくなる.現場に根っこが生えて,のんびり空でも眺めて,問題が起きたって「なんとかなるさー」とおおらかな対応もできるってもんです.
もっと酷なのはこの時期の事務所仕事.
窓からはそよそよといい風が入ってきて,なんでこんなところで仕事してなくちゃいけないんだろう?という疑問と闘い続けることになります.
もっとも厳しい冬と夏の日は,この上なくこの設計という職業を選んだことを神に感謝してしまうわけですが・・
14. 09 / 09
FP上棟
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sekimoto
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> 仕事
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「FP」(S邸)が本日上棟しました.
遠目から組み上がった躯体が見えてきました.「低っ」そのスケールにおもわずニヤッとしてしまいました.低く低く.今回クライアントとの合言葉はこれでした.
最高高さは5.6mしかありません.これは比較的プロポーションを低めにする我々の設計の中でも”最低”レベルとなります.下の写真で,隣の2階建て住宅と比べると,どれだけ低いかがよくわかると思います.

組み上がった躯体を見たクライアントさんも思わず,「低くてイイ感じですね!」
そうです,低くてイイ感じなのです.なかなかこの感覚を共有して頂ける方は少ないかもしれませんが.
道路に見える赤い車はクライアントの愛車フィアットパンダ.その愛車とまさに相似形を成しているような,そんな住宅です.パンダをデザインしたジウジアーロのデザイン哲学もまた,この住宅には濃厚に流れています.

ところが一方では,内部の構成は複雑に絡み合っています.床はスキップし,このスケールでありながら真ん中に中庭まで作っています.この中庭を通じて絡み合う視線やこぼし合う気配がこの住宅の肝となります.
施工は我々の仕事を最も理解してくださっている盟友・堀尾建設さんということで,こちらも今後の現場進捗が大変楽しみです.どうかよろしくお願いします!
14. 08 / 29
イワダレソウ
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sekimoto
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> 仕事
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今日は「隅切りの家」の1年点検に行ってきました.
もう1年・・早いものです.
着いていきなり目に飛び込んできたのはこの緑!すごい.
モリゾーとキッコロみたいな・・なんだか別の生命体のようです.
ほんの数ヶ月前に訪れたときは,まだこんな感じでした.
あれから緑が爆発したんですね!
これはイワダレソウ.いつもお願いする造園家の湊さんが植えてくださったものです.
正直ご予算が厳しいときなどは高木などはあまり植えられないので,こういった地被類を混ぜて植えてくださっています.竣工直後は少し寂しい感じですが,こうして1年経つと思いがけない姿に変貌してくれることもあります.
私の自宅の庭も湊さんにお願いしたのですが,気がつくと思いがけないものが育っていたりして,どこまで意図していたのかわかりませんが,湊さんに聞くと「もちろん,すべて最初から意図していた」と答えます.ほんとかなあ?
でも植栽に関しては,竣工直後よりも1年以上経った方が確実に良くなるのは事実ですね.「建築家は失敗を植栽で隠し,造園家は失敗を雪で隠す」のだと,以前造園家の中谷耿一郎さんに教えてもらいました.失敗はしてませんが(←ここ重要),植栽が入ると建物は素晴らしく引き立つことだけは確かです.
もう1年・・早いものです.

着いていきなり目に飛び込んできたのはこの緑!すごい.
モリゾーとキッコロみたいな・・なんだか別の生命体のようです.
ほんの数ヶ月前に訪れたときは,まだこんな感じでした.

あれから緑が爆発したんですね!
これはイワダレソウ.いつもお願いする造園家の湊さんが植えてくださったものです.
正直ご予算が厳しいときなどは高木などはあまり植えられないので,こういった地被類を混ぜて植えてくださっています.竣工直後は少し寂しい感じですが,こうして1年経つと思いがけない姿に変貌してくれることもあります.
私の自宅の庭も湊さんにお願いしたのですが,気がつくと思いがけないものが育っていたりして,どこまで意図していたのかわかりませんが,湊さんに聞くと「もちろん,すべて最初から意図していた」と答えます.ほんとかなあ?
でも植栽に関しては,竣工直後よりも1年以上経った方が確実に良くなるのは事実ですね.「建築家は失敗を植栽で隠し,造園家は失敗を雪で隠す」のだと,以前造園家の中谷耿一郎さんに教えてもらいました.失敗はしてませんが(←ここ重要),植栽が入ると建物は素晴らしく引き立つことだけは確かです.

14. 08 / 18
掘りごたつ
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sekimoto
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> 仕事
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渋谷区のビルの谷間にひっそりと佇む古いお米屋さんがあった.
引く手あまたの建設会社や設計事務所からの建替えの声を,頑なに拒み続けてお米屋さんを続けてこられたAさんのお店兼住居を,集合住宅に建て替えるという大任を任されて早1年半.とうとう今日からその解体工事が始まった.
歳は70に近いそのご夫婦は人情味に溢れ,足を運ぶたびにその気遣いと優しさに心を打たれた.仕事を離れて,このご家族のためならと私に思わせたのは,そのお人柄に加えて,その家が私にとっても実家のような温かさや,居心地の良さがあったからかもしれない.お店から上がった場所にある掘りごたつが,いつもの打合せの定位置だった.
これまでいくつの古家を解体し,更地にしてきただろう.壊される古家に感傷を覚えたことはない.けれどもこの日の私は胸が締めつけられるようだった.

都内には私の祖母の家がある.今は祖母はなく,叔父や叔母が住む家ではあるのだけれど,私は幼い頃から盆暮れに泊まりに行ったその家が大好きだった.木造平屋で縁側があり,和室には珍しい鉱物の置物があって異国の風景画が掛かっていた.
食卓は掘りごたつ.そう,掘りごたつがあったのだ.私は優しかった祖母をその施主に重ね,掘りごたつにあの家を思い出していたのかもしれない.
祖母の家はだいぶ前にハウスメーカーによって建て替えられた.祖母の習慣もあり,新しい家にも掘りごたつは設えられた.だからそこに家族の顔が揃えば,以前と変わらぬ光景があったはずなのに,私の中では何かが決定的に損なわれた気がする.
私はあの家が持っていた”匂い”が好きだったのだ.
ちょっとおどろおどろしくて,混沌としたあの家の闇が.
果たして我々が1年半もの歳月をかけて積み上げてきた対話と図面の束は,この家が持っていたもの以上の空間を,時間を,ここに作れるのだろうか.普段なるべく考えないようにしているその問いが,今日は頭から離れなかった.

