昨日は仕事納め,焼肉をつつきながらの打上げでした.この年末は進行中の住宅に加えて,店舗など短期勝負の仕事が入ったこともあり,いつになく慌ただしい怒濤の年末となりました.
今年はなんといっても3月の大地震の記憶が生々しかったです.被災地の被害はもちろんですが,我々の仕事に及ぼした影響も甚大でした.
震災後はしばらく”真冬”のような状況でしたが,GW明けにはウェブサイトをリニューアルし,それが功を奏したか夏までにかけて多くのお問合わせやお仕事を頂けたことで,事務所としてもなんとか息を吹き返すことができました.サイトデザインを担当して下さった石曽根さんには,この場をお借りしてあらためて感謝したいと思います.
また一方では長く事務所を支えてくれていた中堅スタッフがこの秋に退職し,戦力的には大きなダメージとなりましたが,それを補うように残ったスタッフが奮起してくれたことは嬉しかったことです.新スタッフの加入によっても事務所の雰囲気が変わり,新しい個性の組み合わせによる新組織としてスタートを切った年でもありました.
今年もいろいろな出会いがありました.クライアントの皆様,同業の建築家たち,学生さんらとの出会いや交流も,我々の一年を豊かで楽しいものにしてくれました.
愛情あふれるクライアントご家族,ご夫婦との関わりからは身につまされることも多く,反省とともに学ばせてもらうことも多々ありました.建築家の友人らからは,震災で困っていたときなど貴重な情報を共有させてもらったりもしました.
また学生やスタッフに対しては,思いが先行してつい感情的になってしまったり,一方でそれに彼らが応えてくれたりと,自分への反省と得た喜びも同じくらいありました.
今年我々と関わってくださったすべての皆様,ありがとうございました!
スタッフの三浦さん,牛島くん,いつも感謝しています.また秋に退職した柴くん,あらためてこれまで支えてくれてありがとう.献身的な仕事をして下さる工務店さん,そして家族….いろんな人に感謝したくなるそんな一年でした.
今年はなんといっても3月の大地震の記憶が生々しかったです.被災地の被害はもちろんですが,我々の仕事に及ぼした影響も甚大でした.
震災後はしばらく”真冬”のような状況でしたが,GW明けにはウェブサイトをリニューアルし,それが功を奏したか夏までにかけて多くのお問合わせやお仕事を頂けたことで,事務所としてもなんとか息を吹き返すことができました.サイトデザインを担当して下さった石曽根さんには,この場をお借りしてあらためて感謝したいと思います.
また一方では長く事務所を支えてくれていた中堅スタッフがこの秋に退職し,戦力的には大きなダメージとなりましたが,それを補うように残ったスタッフが奮起してくれたことは嬉しかったことです.新スタッフの加入によっても事務所の雰囲気が変わり,新しい個性の組み合わせによる新組織としてスタートを切った年でもありました.
今年もいろいろな出会いがありました.クライアントの皆様,同業の建築家たち,学生さんらとの出会いや交流も,我々の一年を豊かで楽しいものにしてくれました.
愛情あふれるクライアントご家族,ご夫婦との関わりからは身につまされることも多く,反省とともに学ばせてもらうことも多々ありました.建築家の友人らからは,震災で困っていたときなど貴重な情報を共有させてもらったりもしました.
また学生やスタッフに対しては,思いが先行してつい感情的になってしまったり,一方でそれに彼らが応えてくれたりと,自分への反省と得た喜びも同じくらいありました.
今年我々と関わってくださったすべての皆様,ありがとうございました!
スタッフの三浦さん,牛島くん,いつも感謝しています.また秋に退職した柴くん,あらためてこれまで支えてくれてありがとう.献身的な仕事をして下さる工務店さん,そして家族….いろんな人に感謝したくなるそんな一年でした.
11. 12 / 27
やめませんか?
author
sekimoto
category
> 思うこと
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48
こういうことを言うのはとても気が引けるのですが,この時期営業の方などに会社のロゴ入りの手帳やカレンダーの類をいっぱい頂くのですが,あれを活用されている方ってどのくらいいるのでしょう?
やっぱり手帳くらいは自分の気に入ったものを使いたいし,カレンダーも同様です.使わなければ処分するしかないのですが,中には素敵なものもあるのでとても心が痛みます.
一応皆さん配慮を下さっているようで,昔のようにベタに社名やロゴマークがついているものは少なくなってきたし,中をめくってみるとシンプルで使いやすそうなものもあるのですが,手帳は普通一人一冊しか使いません.カレンダーだって,これ見よがしに何枚も掛けている家など今時少ないのではと思ったりもします.
人とは違うものを持ってくれば,身の回りに置いてもらえる可能性はずっと高まるし,もらった人だって喜ぶと思います.もういいかげん手帳やカレンダーはやめようよという声が,なぜ企業の中で上がらないのでしょうか.とても不思議です.
他によく頂くものの中にはロゴ入りボールペンというものがあります.ただ,余っているのかオニのように置いていかれて困ることもあります.ボールペンは1本でいい!個人的には,ロゴ入りチョコレートをもらったほうがずっと嬉しいです.
手帳の裏表紙に印刷された「この紙は再生紙を利用し,地球環境保全に努めています」の一文を見るたびに,「だったらさあ!」と思わずツっこみたくなるのです.
やっぱり手帳くらいは自分の気に入ったものを使いたいし,カレンダーも同様です.使わなければ処分するしかないのですが,中には素敵なものもあるのでとても心が痛みます.
一応皆さん配慮を下さっているようで,昔のようにベタに社名やロゴマークがついているものは少なくなってきたし,中をめくってみるとシンプルで使いやすそうなものもあるのですが,手帳は普通一人一冊しか使いません.カレンダーだって,これ見よがしに何枚も掛けている家など今時少ないのではと思ったりもします.
人とは違うものを持ってくれば,身の回りに置いてもらえる可能性はずっと高まるし,もらった人だって喜ぶと思います.もういいかげん手帳やカレンダーはやめようよという声が,なぜ企業の中で上がらないのでしょうか.とても不思議です.
他によく頂くものの中にはロゴ入りボールペンというものがあります.ただ,余っているのかオニのように置いていかれて困ることもあります.ボールペンは1本でいい!個人的には,ロゴ入りチョコレートをもらったほうがずっと嬉しいです.
手帳の裏表紙に印刷された「この紙は再生紙を利用し,地球環境保全に努めています」の一文を見るたびに,「だったらさあ!」と思わずツっこみたくなるのです.
11. 12 / 14
裏切らない人
author
sekimoto
category
> 思うこと
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48
人には世間の期待を裏切りたくない気持ちと,裏切りたくなる気持ちがある.いつも人から見られるイメージがあると,なんとなく窮屈でそれと相反することをやりたくなってしまう.
でも人には社会的に与えられた立ち位置というのがある.この人にはこうあって欲しいという思いがあって,中途半端にそのイメージを裏切ってもらいたくないという気持ちがある.それはその人の「社会的な立ち位置」だからだろう。
例えば芸能人は、自分の立ち位置を自覚し,カメラの前ではそのイメージを1ミリもぶらさずそこに立つ.おバカタレントはおバカであり続け,二枚目俳優は二枚目であり続ける.我々はそれをお茶の間から呑気に眺めているけれど,考えてみればこれはすごいプロ意識だと思う.
自分もこの仕事を10年くらいやっていると,なんとなく自分個人や作風のイメージも固まってくる.それは見方を変えれば,時間をかけて構築されたブランドイメージであるとも言えるけれども,時にはそれを思い切り裏切ってやりたい衝動に駆られることもある.
でも結局,依頼者はそこを入口に入ってきているのだとすれば,それを裏切るべきではないのかもしれない.「嬉しい裏切り」という言葉もあるけれど,そこにはすでに「裏切ってもらいたい」という含みがある場合にのみ成立する.本当の意味で裏切られたら大抵の人は怒り出す.これは自分の経験上の話だ.
詰まるところ,プロフェッショナルとは「裏切らない人」ということかなと最近思う.
でも人には社会的に与えられた立ち位置というのがある.この人にはこうあって欲しいという思いがあって,中途半端にそのイメージを裏切ってもらいたくないという気持ちがある.それはその人の「社会的な立ち位置」だからだろう。
例えば芸能人は、自分の立ち位置を自覚し,カメラの前ではそのイメージを1ミリもぶらさずそこに立つ.おバカタレントはおバカであり続け,二枚目俳優は二枚目であり続ける.我々はそれをお茶の間から呑気に眺めているけれど,考えてみればこれはすごいプロ意識だと思う.
自分もこの仕事を10年くらいやっていると,なんとなく自分個人や作風のイメージも固まってくる.それは見方を変えれば,時間をかけて構築されたブランドイメージであるとも言えるけれども,時にはそれを思い切り裏切ってやりたい衝動に駆られることもある.
でも結局,依頼者はそこを入口に入ってきているのだとすれば,それを裏切るべきではないのかもしれない.「嬉しい裏切り」という言葉もあるけれど,そこにはすでに「裏切ってもらいたい」という含みがある場合にのみ成立する.本当の意味で裏切られたら大抵の人は怒り出す.これは自分の経験上の話だ.
詰まるところ,プロフェッショナルとは「裏切らない人」ということかなと最近思う.
一流のサッカー選手は、他人のプレーを一目見て盗むという。
人聞きは悪いけれど、「盗む」という行為はかなり高度な行為だと言える。実際我々はサッカーのすごいプレーを見たところでそれを真似することはできないのだから。それを見て自分のプレーにできる人というのは、それなりのスキルとセンスを併せ持つ人だとも言える。
大学では、学生は人と"かぶる"ことを極端に嫌う傾向がある。過去に同様の作品があったり、建築家の作品があったりすると、その時点でそのアイデアを捨て去ってしまう。僕に言わせれば、それを見たところでそれを自分のものにできるわけではないし、結局は違うものになるのだから構わず進めてしまえばいいのに、と思う。
誤解を恐れずに言えば、我々は建築を見に行くのに少なからず何かを盗みに行っている。盗むものがなければ窃盗未遂で終る。そのかわり我々は「つまらない建築だ」などとと毒づくことになるわけだけど。
目で見た、体験した空間を消化して自分の空間のエッセンスにできる人のことを、我々は「建築家」と呼んでいるのかもしれない。
人聞きは悪いけれど、「盗む」という行為はかなり高度な行為だと言える。実際我々はサッカーのすごいプレーを見たところでそれを真似することはできないのだから。それを見て自分のプレーにできる人というのは、それなりのスキルとセンスを併せ持つ人だとも言える。
大学では、学生は人と"かぶる"ことを極端に嫌う傾向がある。過去に同様の作品があったり、建築家の作品があったりすると、その時点でそのアイデアを捨て去ってしまう。僕に言わせれば、それを見たところでそれを自分のものにできるわけではないし、結局は違うものになるのだから構わず進めてしまえばいいのに、と思う。
誤解を恐れずに言えば、我々は建築を見に行くのに少なからず何かを盗みに行っている。盗むものがなければ窃盗未遂で終る。そのかわり我々は「つまらない建築だ」などとと毒づくことになるわけだけど。
目で見た、体験した空間を消化して自分の空間のエッセンスにできる人のことを、我々は「建築家」と呼んでいるのかもしれない。
大学の講師室には最新の建築雑誌が平積みされていて,授業前にペラペラとナナメ読みする.ささやかながら,貴重な情報収集の時間でもある.
しかし国内外で高い評価を集める著名建築家の作品を眺めていると,対岸の火事というか,とても同じ建築設計という職業を生業としているとは思えないほど,異次元の作品もたびたびある.僕に言わせると「宇宙人」の所行である.
中には学生がスチレンボードで作った模型がそのまま建ってしまったようなものまで.学生にはリアリティがないから,薄いボードを組み合わせていとも簡単に軽くて透明な浮遊空間を作り出す.我々はそれを賞賛しながらも,一方では覚めた目で「現実には無理だけどね」と言っていたものが,今やリアルにできるようになってきている.
それをイノベーションと呼ぶ人もいるだろう.断熱塗料やLow-Eガラスの普及などによって,本来必要な配慮をしなくても手軽にその建物の性能を担保することも可能になってきた.それを技術革新と位置づけ,デザイン実現への助けとするのも時代を生きる建築家のスタンスかもしれない.
けれども僕はそこに大きな危険性を感じる.物には道理がある.技術の力で道理を無理矢理押さえ込むことで,一方で破綻する現象が起こることはないだろうか.
アルヴァ・アールトは建築にけして新しい素材を使わなかった.少なくとも30年以上市場にあるものだけを使い,古来より使われてきた建築技法を少しだけ応用して,現代に普遍的価値を持つ新しい建築を作ろうとしてきた.
ここ数年の建築技術や素材の革新は,もしかしたら向こう数年で市場から姿を消すものかもしれない.最新の建築デザインは十年後には「なつかしい」と言われているかもしれない.一方で人間が営んできた基本的な生活行為は,数百年,数千年前から基本的にあまり変わっていない.人間の体のつくりもまた数万年の単位でその変化はわずかでしかない.我々はこの時間軸の違いに,もっと正面から向き合うべきではないか.
建築には普遍的な価値が必要だと思う.たとえそれが退屈だと批判されようとも.
その上で「対岸の火事」を野次馬として,ひとりの建築好きとして,楽しく見物するとしよう.
しかし国内外で高い評価を集める著名建築家の作品を眺めていると,対岸の火事というか,とても同じ建築設計という職業を生業としているとは思えないほど,異次元の作品もたびたびある.僕に言わせると「宇宙人」の所行である.
中には学生がスチレンボードで作った模型がそのまま建ってしまったようなものまで.学生にはリアリティがないから,薄いボードを組み合わせていとも簡単に軽くて透明な浮遊空間を作り出す.我々はそれを賞賛しながらも,一方では覚めた目で「現実には無理だけどね」と言っていたものが,今やリアルにできるようになってきている.
それをイノベーションと呼ぶ人もいるだろう.断熱塗料やLow-Eガラスの普及などによって,本来必要な配慮をしなくても手軽にその建物の性能を担保することも可能になってきた.それを技術革新と位置づけ,デザイン実現への助けとするのも時代を生きる建築家のスタンスかもしれない.
けれども僕はそこに大きな危険性を感じる.物には道理がある.技術の力で道理を無理矢理押さえ込むことで,一方で破綻する現象が起こることはないだろうか.
アルヴァ・アールトは建築にけして新しい素材を使わなかった.少なくとも30年以上市場にあるものだけを使い,古来より使われてきた建築技法を少しだけ応用して,現代に普遍的価値を持つ新しい建築を作ろうとしてきた.
ここ数年の建築技術や素材の革新は,もしかしたら向こう数年で市場から姿を消すものかもしれない.最新の建築デザインは十年後には「なつかしい」と言われているかもしれない.一方で人間が営んできた基本的な生活行為は,数百年,数千年前から基本的にあまり変わっていない.人間の体のつくりもまた数万年の単位でその変化はわずかでしかない.我々はこの時間軸の違いに,もっと正面から向き合うべきではないか.
建築には普遍的な価値が必要だと思う.たとえそれが退屈だと批判されようとも.
その上で「対岸の火事」を野次馬として,ひとりの建築好きとして,楽しく見物するとしよう.
category







