以前プランがなかなか進まない話を書いた.その後はといえば,なんとか道筋をみつけて「ヨシ!」と心の中で小さくつぶやけるくらいの案にはなりつつある.
毎回プランを納得のいく形でまとめるというのは,プロとしては当然といえば当然のことなのだけれど,でもこれはプロだろうが学生であろうが結局は同じことで,そんな局面に出くわした時どうやったら乗り越えられるかということを日々意識していないと,その時にただあたふたと自信喪失する事態にもなりかねない.
よくそういうときは「手を動かせ」と我々は言う.ただ腕組みして天井を眺めているよりも,手を動かしていれば何かヒントが得られるはずだと.もちろんそれは正しい.正しいけれど常に正しいかと言われればそうでもない,と僕は思う.
だって頭に何にも浮かばないのに真っ白なスケッチブックにただ向き合うなんて,こんなに苦痛なことはないもの!これはきっと文筆業の方でも同じだろう.ちょっと気分転換…といっては,後ろめたく違うことをやりはじめてしまうパターンになりかねない.
今回実感したのは,こういうときの「話す」ことの有効性である.
自分の中で堂々巡りしている悩みも,親しい友人などに話すとおのずと結論が見えてくることがある.今回もあまりに糸口が見えないので,スタッフをつかまえ目の前に座らせては,何が問題なのか,どこに違和感を覚えているのかを訥々と語るという作業を繰り返した.
不思議なもので,毎回語り終える頃には「だからきっとこういうことなんだろうな」という結論じみたことが見え始めていたりするからおもしろい.あんなに行き詰まっていたというのに.またそこで素朴な一言をもらったりすると「やっぱりそうか」と,またひとつ外堀が埋められたりもする.
つまり「話す」ことは手を動かすのと同じくらい有効な”エスキース”であるということだ.さび付いて硬直していたギアに油を差す行為にも近いかもしれない.また自分以外の誰かを巻き込むことで,モチベーションを上げられるという効果もあるだろう.
そう考えると,よく大学などでは学生がまっさらなエスキース帳を持ってきては「なんとかしてください!」というパターンが多いのだけれど,それを怠慢とばかりに突き放すのは必ずしも得策ではないのだとも言える.手が動かない学生には,まずは口を動かさせるというのも指導のひとつだろう.
今回はいろいろスタッフにも”ご指導”頂いて少し着地点が見えてきた.実にありがたい.一人で事務所をやっている人も多いと思うけれど,仕事量の問題というよりクリエイションの問題において,僕は絶対に一人ではできないだろうなとつくづく思うのだった.
11. 08 / 28
エル・アナツイと都市と家
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sekimoto
category
> 建築・デザイン
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[caption id="attachment_1658" align="alignnone" width="560" caption="大地の皮膚|エル・アナツイ"]
[/caption]
仕事もなく,家族も出かけ,久しぶりにひとりまっさらな日曜日.
さてこんな日は何をして過ごすべきか.仕事だけはとりあえず選択肢から外しておこう.
というわけで,子どもがいたらオチオチ出かけられない美術館へとひとり出かけることにした.まずは以前から気になっていた埼玉県立近代美術館で開催中のアフリカのアーティスト,エル・アナツイ展へ.
アフリカの土着性を感じさせながらも,アナツイの作風は驚くほど洗練されている.
大量の缶詰や空き瓶のキャップを途方もなくつなぎ合わせ,一枚のテキスタイルのように紡ぎ上げる作品群にはただただ圧倒された.
ただそれがけして作家ひとりの制作物ではなく,町工場のように人々が黙々と作業を続けた先に到達しているという事実にもまた目から鱗だった.ある意味彼の手法は「民芸」的とも言えるのかもしれない.
たとえば建築へのアプローチにもふたつの道があると思う.フラッシュアイデアから瞬間を切り取る一発芸のようなアプローチと,素朴な素材を使い平凡ながらもコツコツと手数を重ねることによって圧倒的なマッスを形成してゆこうとするアプローチ.
アナツイのそれは明らかに後者によるもので,そして僕はそういうアプローチが嫌いじゃない.たとえば学生や一部の建築家などは,どうしても見栄えのする一発芸的なアプローチを好む傾向にあるように思う(僕もかつてそうだった).
けれど不器用ながらこういうアプローチもあるということ,そしてそれは時にすべてを凌駕するほどの効果を発揮することもあるのだ,ということを今回あらためて実感したような気がした.
次に向かったのは東京オペラシティで開催中の「家の外の都市の中の家」展.
これは思いのほか良かった.
我々は住宅設計と向き合いながらも,いつも「都市」について思いを巡らせている.
わずか30年の周期で新陳代謝を続ける住宅群と,その集積としての都市.
細分化し高騰化する土地と,その反動でローコスト化する住宅(土地>建物).
住宅と住宅のあいだに生まれる,使い途のない意味不明な隙間….
展示はベネチアビエンナーレ国際建築展の帰国展ということもあり,それら日本の住宅や都市を取り巻く特異性についてわかりやすく抽出し提示していた.(キーワードの「ヴォイド・メタボリズム」はまさに東京という都市を象徴した言葉だ)
ただそれらは問題点でもあるのだろうが,抽出の仕方によっては大いに建築の主題となりうることもわかった.実際に巨大模型として展示された「ハウス&アトリエワン」「森山邸」などには,それらに対する重要な回答や提案が含まれているようにも思えた.これからは少し都市と住宅との関係についても見方が変わってきそうだ.
ちなみに,前述のアナツイとの比較で言えば,こちらはあきらかに前者のアプローチ.
切れ味鋭い瞬間芸であろうが,ただそう見せておいて,その中のプロセスには膨大な思考の痕跡があったであろうことが容易に推察できるところが逆に魅力的でもあった.
ふたつの異なる対照的な作品群を目の当たりにし,手法について,また都市や住宅について,いろいろと考えさせられた一日だった.
[caption id="attachment_1662" align="alignnone" width="560" caption="第12回ヴェネチアビエンナーレ日本館展示風景"]
[/caption]
[/caption]
仕事もなく,家族も出かけ,久しぶりにひとりまっさらな日曜日.
さてこんな日は何をして過ごすべきか.仕事だけはとりあえず選択肢から外しておこう.
というわけで,子どもがいたらオチオチ出かけられない美術館へとひとり出かけることにした.まずは以前から気になっていた埼玉県立近代美術館で開催中のアフリカのアーティスト,エル・アナツイ展へ.
アフリカの土着性を感じさせながらも,アナツイの作風は驚くほど洗練されている.
大量の缶詰や空き瓶のキャップを途方もなくつなぎ合わせ,一枚のテキスタイルのように紡ぎ上げる作品群にはただただ圧倒された.
ただそれがけして作家ひとりの制作物ではなく,町工場のように人々が黙々と作業を続けた先に到達しているという事実にもまた目から鱗だった.ある意味彼の手法は「民芸」的とも言えるのかもしれない.
たとえば建築へのアプローチにもふたつの道があると思う.フラッシュアイデアから瞬間を切り取る一発芸のようなアプローチと,素朴な素材を使い平凡ながらもコツコツと手数を重ねることによって圧倒的なマッスを形成してゆこうとするアプローチ.
アナツイのそれは明らかに後者によるもので,そして僕はそういうアプローチが嫌いじゃない.たとえば学生や一部の建築家などは,どうしても見栄えのする一発芸的なアプローチを好む傾向にあるように思う(僕もかつてそうだった).
けれど不器用ながらこういうアプローチもあるということ,そしてそれは時にすべてを凌駕するほどの効果を発揮することもあるのだ,ということを今回あらためて実感したような気がした.
次に向かったのは東京オペラシティで開催中の「家の外の都市の中の家」展.
これは思いのほか良かった.
我々は住宅設計と向き合いながらも,いつも「都市」について思いを巡らせている.
わずか30年の周期で新陳代謝を続ける住宅群と,その集積としての都市.
細分化し高騰化する土地と,その反動でローコスト化する住宅(土地>建物).
住宅と住宅のあいだに生まれる,使い途のない意味不明な隙間….
展示はベネチアビエンナーレ国際建築展の帰国展ということもあり,それら日本の住宅や都市を取り巻く特異性についてわかりやすく抽出し提示していた.(キーワードの「ヴォイド・メタボリズム」はまさに東京という都市を象徴した言葉だ)
ただそれらは問題点でもあるのだろうが,抽出の仕方によっては大いに建築の主題となりうることもわかった.実際に巨大模型として展示された「ハウス&アトリエワン」「森山邸」などには,それらに対する重要な回答や提案が含まれているようにも思えた.これからは少し都市と住宅との関係についても見方が変わってきそうだ.
ちなみに,前述のアナツイとの比較で言えば,こちらはあきらかに前者のアプローチ.
切れ味鋭い瞬間芸であろうが,ただそう見せておいて,その中のプロセスには膨大な思考の痕跡があったであろうことが容易に推察できるところが逆に魅力的でもあった.
ふたつの異なる対照的な作品群を目の当たりにし,手法について,また都市や住宅について,いろいろと考えさせられた一日だった.
[caption id="attachment_1662" align="alignnone" width="560" caption="第12回ヴェネチアビエンナーレ日本館展示風景"]
[/caption] 11. 08 / 26
ゴーヤ,その後
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sekimoto
category
> はまりもの
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GWごろに種を植えるも,生育が思わしくなくて気をもんでいた事務所のゴーヤのグリーンカーテンも,秋風が吹き始めた今頃ようやく最盛期を迎えている.
もしゃもしゃとツタが窓を覆っている様子は傍目からもなかなか楽しく,また仕事中はいつもロールスクリーンを半分くらい下ろしているのだけれど,今はその必要もなく天然のカーテンとなってくれている.葉を透かして入ってくる光もなかなかに快適で,来年は今年の反省をもとにもっと早くから窓に茂らせたいところだ.
ところどころにぶら下がっているチビゴーヤがかわいい!
11. 08 / 25
スケジュール
author
sekimoto
category
> 仕事
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週明けから延々とスケジュール調整。すでに数ヶ月先までの週末がびっしり。そこは住宅設計を生業とする者の宿命。週末は進行中のプロジェクトの奪い合いとなる。施主との打ち合わせ、検査や引き渡し、そしてオープンハウス…。
またここのところ立て続けに頂いた設計依頼を整理して、設計スケジュールの組み立て。普通に勤めている方なら、数年先まで予定が入るというのは息が詰まることかもしれないけれども、根無し草のような我々のような職種の場合はとってもありがたいことだ。
貧乏ひまなし.スケジュールを埋めていくことに一種の快感を覚える.
またここのところ立て続けに頂いた設計依頼を整理して、設計スケジュールの組み立て。普通に勤めている方なら、数年先まで予定が入るというのは息が詰まることかもしれないけれども、根無し草のような我々のような職種の場合はとってもありがたいことだ。
貧乏ひまなし.スケジュールを埋めていくことに一種の快感を覚える.
またあらたなプランニング始動.
今回はうってかわって広い敷地.ひとつ前にやっていた敷地の10倍はあるかも.スケール感が追いつかない.配置がうまくいかず,迷いが消えない.そしてこうしてブログなど書いている.もちろん現実逃避である.
これまで,もう何十件の住宅をプランニングしてきただろう.結果から言えばプランニングがまとまらなかったことなんて一度もない.そしてどのプランニングでも自分なりに納得のゆく解決をしてきたつもりだ.けれども,そのどの住宅でも最初にはいつも同じことを思う.
ダメ!ムリ!!
ああ,こうして産みの苦しみがはじまる.おそらくどんなヒットメーカーだって,ひとつの曲をつくる時には頭をかきむしっているに違いない.そして心ではこう叫んでいる.
ダメ!ムリ!!
ああ,プレゼンまでにいつもの自信に満ちたプランができているとは到底思えない.
ああ,逃げ出したい!けれども数週間後にはきっとこう思っていることだろう.
オレって天才かも!?
これもいつものパターンである.
今回はうってかわって広い敷地.ひとつ前にやっていた敷地の10倍はあるかも.スケール感が追いつかない.配置がうまくいかず,迷いが消えない.そしてこうしてブログなど書いている.もちろん現実逃避である.
これまで,もう何十件の住宅をプランニングしてきただろう.結果から言えばプランニングがまとまらなかったことなんて一度もない.そしてどのプランニングでも自分なりに納得のゆく解決をしてきたつもりだ.けれども,そのどの住宅でも最初にはいつも同じことを思う.
ダメ!ムリ!!
ああ,こうして産みの苦しみがはじまる.おそらくどんなヒットメーカーだって,ひとつの曲をつくる時には頭をかきむしっているに違いない.そして心ではこう叫んでいる.
ダメ!ムリ!!
ああ,プレゼンまでにいつもの自信に満ちたプランができているとは到底思えない.
ああ,逃げ出したい!けれども数週間後にはきっとこう思っていることだろう.
オレって天才かも!?
これもいつものパターンである.
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