今日は午前のプレゼンを終えたあと、家族と某所に骨休みに来ています。
なんだか久しぶりに休みをもらった気がして、いつになく羽を伸ばしていますが、しかしやっぱりと言うべきか、どこに行ってもやっぱり建築のことばかり。ホテルの設えから照明計画、空間演出など、次の計画にどう活かそうかと常に考えている自分がいます。
旅先くらい仕事のことは忘れて、とお叱りを受けそうですが。でも同業の建築家ならわかると思いますが、建築というのは仕事ではないような気がします。建築とは生き方そのもの。私にとっては趣味の弓道でさえも建築のためなのだと思います。
なんだか久しぶりに休みをもらった気がして、いつになく羽を伸ばしていますが、しかしやっぱりと言うべきか、どこに行ってもやっぱり建築のことばかり。ホテルの設えから照明計画、空間演出など、次の計画にどう活かそうかと常に考えている自分がいます。
旅先くらい仕事のことは忘れて、とお叱りを受けそうですが。でも同業の建築家ならわかると思いますが、建築というのは仕事ではないような気がします。建築とは生き方そのもの。私にとっては趣味の弓道でさえも建築のためなのだと思います。
事務所からほど近い場所に、前からずっと気になっていた住宅があった。
ちょっとデザインを意識した、けれどもスタイルだけを真似したような建築家"風"の住宅はよくあるし、見ればその底の浅さがすぐわかるのだけれど、それは見るからにタダモノではないオーラがあって、正真正銘の建築家住宅という気がした。
誰が設計したのかずっと知りたいと思っていたのだけれど、灯台下暗し。今日大学で、非常勤仲間である塚田修大さんのレクチャーにいきなりその写真が登場して、思わず声をあげそうになってしまった。
塚田さんだったのかぁ!しかも構造も同じく非常勤仲間の大野博史さん。内部の写真が見れて、あの摩訶不思議な外観の意味が初めてわかった。すっきり!
ちょっとデザインを意識した、けれどもスタイルだけを真似したような建築家"風"の住宅はよくあるし、見ればその底の浅さがすぐわかるのだけれど、それは見るからにタダモノではないオーラがあって、正真正銘の建築家住宅という気がした。
誰が設計したのかずっと知りたいと思っていたのだけれど、灯台下暗し。今日大学で、非常勤仲間である塚田修大さんのレクチャーにいきなりその写真が登場して、思わず声をあげそうになってしまった。
塚田さんだったのかぁ!しかも構造も同じく非常勤仲間の大野博史さん。内部の写真が見れて、あの摩訶不思議な外観の意味が初めてわかった。すっきり!
[caption id="attachment_6277" align="alignnone" width="553" caption="新国立競技場|ザハ・ハディド案"][/caption]故スティーブ・ジョブズ氏の伝記を読んだ時,最も共感を覚えたのは,彼はすべてをコントロールしようとしていたということだ.大企業でモノを作る際には,どうしても個人の思惑や思い入れのようなものは経済や数の論理によって薄められてしまいがちだ.
そこを執拗に自分に引き寄せるようにしてモノを作っていたのがジョブズ氏だった.それが人には変人とかエゴイズムと取られることもあったかもしれないけれど,建築やデザインに携わる者にとってこれがどれだけ大切なことか痛いほどよくわかるはずだ.それがジョブズ氏の生き様だった.
2020年オリンピック招致に向けた,新国立競技場コンペの最優秀案が発表になった.当選案はロンドン在住の建築家ザハ・ハディド氏.難しい名前で一般の人には馴染みはないかもしれないけれど,建築を志す者なら知らぬ者はいない世界的な前衛建築家である.
このコンペに関しては言いたいことが山ほどある.なぜ今あるものを壊さなければいけないのか,その財源はどこから持ってくるのか,そのアンフェアな案の募り方など.けれどもそれらを全てここで封印したとして,案の好き嫌いは別にしたとしても,この手の競技場は常に大手事務所による卒ない設計でまとめられてきたことを考えれば,東京にザハの競技場が建つと考えただけでも,一建築家としてはわくわくする気持ちを抑えきれない部分は正直ある.
ところが,この結果を報じるネットの配信ニュースを見るとこうある.
『今後は、ハディドさんとデザイン監修に関する具体的条件を協議し契約を締結後、正式に新国立競技場の基本構想デザインに採用予定。設計チームは、あらためて基本設計、実施設計の設計者をプロポーザルで選定し組まれる』
ちょっと待て.なんだ基本構想デザインって.設計チームはあらためて基本設計,実施設計の設計者をプロポーザルで選定し組まれる,てことはザハは設計をしないのか.じゃあ一体彼女は何をするんだろう?
このくだりを読んでピンと来ない方がいたとしたら,それが今の日本における建築家の立ち位置であり認知度なのだろうと思う.建築家はけっして建築の表皮をデザインする人ではない.お絵描きをする人ではないのだ.景観はもちろんのこと,意匠と構造,予算,機能や設備や心地よさのようなものを総合的に”統合”する役割を担う人のことを差すのである.
その建築家からそれら全てを奪っておいて,数枚のCGパースだけでデザインを選ぶ.つまり「建築家は構造なんてわかってないし,お金の計算もできない.設備や機能のことなんて考えも及ばない人たちだから,体よく格好いいデザインパースだけを描いてもらって,国際オリンピック委員会にアピールしたい」という意図が見え見えなのである.
その後はおそらく”空気が読める”日本の事務所が設計をまとめるのだろう.そしてこのデザインパースによく似た建築ができあがる.でもそれは断じてザハの設計とは呼びたくない.建築家は全てをコントロールしなくてはならないのだ.
私は一建築家として,これ以上の建築家に対する侮辱はないと思っている.建築家を政治に利用しようとする主催者も主催者なら,それに乗っかる建築家も建築家である.そしてその審査委員長が安藤忠雄さんというのも,本当にがっかりさせられる.私は安藤さんに憧れて建築を目指していた部分もあったから,安藤さんにはこういうものに異を唱える人であり続けて欲しかった.
この案を募るタイトルには当初より「国際デザイン・コンクール」とあった.通常設計案を募る場合は「コンペ」と謳うのが通例だから,最初から違和感はあった.でもこれでその違和感がどこから来ていたのかがわかった.それは子供の「お絵かきコンクール」と同じ響きを持つものだったからだ.建築家も地に堕ちたものだと落胆を隠せないでいる.
そこを執拗に自分に引き寄せるようにしてモノを作っていたのがジョブズ氏だった.それが人には変人とかエゴイズムと取られることもあったかもしれないけれど,建築やデザインに携わる者にとってこれがどれだけ大切なことか痛いほどよくわかるはずだ.それがジョブズ氏の生き様だった.
2020年オリンピック招致に向けた,新国立競技場コンペの最優秀案が発表になった.当選案はロンドン在住の建築家ザハ・ハディド氏.難しい名前で一般の人には馴染みはないかもしれないけれど,建築を志す者なら知らぬ者はいない世界的な前衛建築家である.
このコンペに関しては言いたいことが山ほどある.なぜ今あるものを壊さなければいけないのか,その財源はどこから持ってくるのか,そのアンフェアな案の募り方など.けれどもそれらを全てここで封印したとして,案の好き嫌いは別にしたとしても,この手の競技場は常に大手事務所による卒ない設計でまとめられてきたことを考えれば,東京にザハの競技場が建つと考えただけでも,一建築家としてはわくわくする気持ちを抑えきれない部分は正直ある.
ところが,この結果を報じるネットの配信ニュースを見るとこうある.
『今後は、ハディドさんとデザイン監修に関する具体的条件を協議し契約を締結後、正式に新国立競技場の基本構想デザインに採用予定。設計チームは、あらためて基本設計、実施設計の設計者をプロポーザルで選定し組まれる』
ちょっと待て.なんだ基本構想デザインって.設計チームはあらためて基本設計,実施設計の設計者をプロポーザルで選定し組まれる,てことはザハは設計をしないのか.じゃあ一体彼女は何をするんだろう?
このくだりを読んでピンと来ない方がいたとしたら,それが今の日本における建築家の立ち位置であり認知度なのだろうと思う.建築家はけっして建築の表皮をデザインする人ではない.お絵描きをする人ではないのだ.景観はもちろんのこと,意匠と構造,予算,機能や設備や心地よさのようなものを総合的に”統合”する役割を担う人のことを差すのである.
その建築家からそれら全てを奪っておいて,数枚のCGパースだけでデザインを選ぶ.つまり「建築家は構造なんてわかってないし,お金の計算もできない.設備や機能のことなんて考えも及ばない人たちだから,体よく格好いいデザインパースだけを描いてもらって,国際オリンピック委員会にアピールしたい」という意図が見え見えなのである.
その後はおそらく”空気が読める”日本の事務所が設計をまとめるのだろう.そしてこのデザインパースによく似た建築ができあがる.でもそれは断じてザハの設計とは呼びたくない.建築家は全てをコントロールしなくてはならないのだ.
私は一建築家として,これ以上の建築家に対する侮辱はないと思っている.建築家を政治に利用しようとする主催者も主催者なら,それに乗っかる建築家も建築家である.そしてその審査委員長が安藤忠雄さんというのも,本当にがっかりさせられる.私は安藤さんに憧れて建築を目指していた部分もあったから,安藤さんにはこういうものに異を唱える人であり続けて欲しかった.
この案を募るタイトルには当初より「国際デザイン・コンクール」とあった.通常設計案を募る場合は「コンペ」と謳うのが通例だから,最初から違和感はあった.でもこれでその違和感がどこから来ていたのかがわかった.それは子供の「お絵かきコンクール」と同じ響きを持つものだったからだ.建築家も地に堕ちたものだと落胆を隠せないでいる.
昨日も非常勤講師を勤める日本大学船橋校舎へ赴き,昼食後天気が良かったのでおもむろにキャンパス内の図書館の方へ散歩していたら,そこには信じられない光景が.水盤の中に建つ図書館の外堀の水が抜かれ,全面デッキ張りとなっていたのでした.
え??いつから!?
思えば今から20ウン年前,日大に入学して初めて目にしたのがこの図書館でした.重厚でありながら美しく,水盤の中に建つ図書館という姿が,建築を志して入学した我々の心をわしづかみにしました.それが今ではこの有様.塞がれたウッドデッキも活用されているでもなく,その寒々しい姿は痛々しくもあります.
私と同じように志を抱いて入学してきた建築学生達は,この姿を見てどう思うのでしょうか.水盤の図書館は,今では板張りの図書館と呼ばれているのかもしれません.
もちろん防水や衛生,安全上の問題など維持管理上の問題があったことは想像に難くありませんが,一般の民間企業ならともかく,大学という文化を育む機関が下した措置としては”暴挙”と呼ぶほかありません.また同じキャンパス内に建築学科がありながら,このような暴挙を許してしまったこと,私も足を運ぶまで知らなかったという無知も含めて,今このキャンパスで学ぶ学生と,図書館を設計された小林美夫先生にも本当に申し訳ない気持ちになりました.
自分が設計者だったら…,と想像するだけで悲しくなります.
[caption id="attachment_6216" align="alignnone" width="540" caption="まだ池に水が張られていた古き良き時代の図書館"][/caption]
建物を引渡す時,取扱説明の際に私からは建物のメンテナンスについていつもご説明させて頂いている.その際よく受ける質問に,外部の木は何年おきに塗装すれば良いか?というのがある.うちでは外部の木にはレッドシダーなど高耐久性のものを使うのだけれど,それでもできれば最初は3年,その後は5年おきに塗装してくださいといつもお答えしている.
とはいえ,高所だったりすると足場も必要だし,なかなかお父さんが日曜日に塗るというわけにもいかないこともある.典型的なのはうちの自宅で,3階の外壁にも木をふんだんに使っているので,お施主さんからもたまにメンテナンスをどうしているのかと質問も受ける.確かに竣工5年も経つと外見上もだいぶ退色が進み,よく見ると細かい皺のようなクラックも無数に入ってきているのがわかる.
ただレッドシダーなのでこの状態からただちに腐食に進むことはないのだけれど,お施主さんの手前,あまり無頓着にしていると「メンテナンスをしてください」という言葉に説得力がなくなるため(?),まずはお手本としてわが自邸の外部木部を再塗装することにした.
全面に足場をかけて数日.足場が外れて姿を現したのは,まるで新築当時のようなきれいな建物の姿だった.時間が経って味の出た外壁も良いけれど,やっぱり久しぶりに風呂に入ってさっぱりしたような我が家を見るのも気持ちが良い.次もやっぱり5年後かな?こうして愛情をかけて,建物と一緒に美しく歳を取りたいものだ.
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