
取材協力をさせて頂いた『建築知識』(エクスナレッジ)の最新号が届きました.
『日本の住宅を変えた50人+α』
感慨深いですね.私もついに日本の住宅を変えた建築家の一人として仲間入りです.
あれおかしいな,載ってない.「+α」のほうでもない?
大変失礼しました.掲載させて頂いたのは,もうひとつの特集「既製品使いこなし大百科」の方でした.
編集者さんに,リオタデザインの定番で日頃スペックしている”既製品”を教えて下さいと問われて,最初は「ん~うちは既製品は使わないからなぁ」などと答えていたのですが,よく考えたら出てくる出てくる.日頃ずいぶん設計でも既製品に助けられていることを実感したのでした.
ただその既製品の数々は,我々というよりもほとんどお施主さんや職人さんに教えて頂いたものばかり.つまり前述のように我々は「既製品なんて」と日頃は思っているのですが,お施主さんは街角やネット上で,日頃我々の何倍もの労力を使って「気になる一品」を探し続けているわけです.我々はその恩恵にあやかり,採用後は引き出しにしまい,以後”定番”として日々設計に活かさせて頂いている次第です.
一例を挙げると,
・埋込インターホンカバー→「オープンテラスの家」のお施主さん情報
・ポストBOBI→「HausKA」のお施主さん情報
・1200 kabe color→「RIVERHOUSE」の塗装屋さん情報
他にも記事にはなりませんでしたが,今では定番の室内物干しロープ「pid」や,神保のスイッチプレート「NKシリーズ」などもすべてお施主さんに教えて頂いたものです.お施主さんの情報網,おそるべし.
編集者さんのご厚意なのか,ツボに入ったのかは定かではありませんが,今号ではやたらと我々のスペックをフューチャーして頂いております.以下の写真で付箋を貼っているのは私が原稿を書いた頁です.
「建築知識」は建築実務者を中心に広く購読されている専門誌で,私も駆け出しの頃は,「現場監理入門」や「木造特集」などをなめるようにして知識を漁ったものです.我々のささやかな蓄積が同業実務者さん達の助けとなれば幸いです.
一方で,今頃私は「日本の既製品を使いこなした50人」として,全国にその名を轟かせている頃でしょう.いいんだか.


昨日は「池上の家」にて,辰巳琢郎さんのリフォーム番組の収録がありました.OA予定は4月6日(土)BS朝日にて.
「池上の家」はまもなく築80年に届こうかという昭和初期の洋館.30分番組ですが,事前の取材からはじまって,当日も朝から晩までカメラは廻しっぱなし.その丁寧な制作ぶりに感心させられました.お施主さんはさぞやお疲れでしょう.
当日の辰巳さんは「はじめまして」とお施主さんにお会いするところからぶっつけ本番.つまり本当に「はじめまして」なんです.中に入るのもはじめて.事前に下見とかして,リハーサルをするのかなと思っていたのですが,こういう臨場感は演出では出せませんものね.辰巳さんのアドリブ力にも脱帽です.
ちなみに最後に私も出演していますが,緊張して挙動不審になっているかもしれません汗.OAはまだ先なので,今告知しておいたらほとんどの人は忘れてるでしょう.それが狙いです.

現在発売の「住まいの設計(扶桑社)」3月/4月号の巻末,「地元建築家がガイドする名建築」のシリーズに,地元愛媛に戻って事務所を開いた,うちの元スタッフ二宮一平が登場です.実はこの「地元建築家がガイドする」シリーズ,埼玉編は過去私が担当しました.リオタデザイン,ついに埼玉と愛媛を完全制覇です笑.
二宮はうちの記念すべきスタッフ第一号.住宅の処女作「ILMA」を設計中に転がり込んできました.「お金は払えないよ」の言葉通り,最初の数ヶ月は本当に無給だったと記憶しています.二宮と過ごした中目黒時代には泣ける話もいくつもあります.本当の意味で苦楽を共にしたスタッフの一人です.
当時まったくの無名だった私の事務所に飛び込んだ彼の勇気や無謀さにも敬服しますが,今では地元で少しずつ根っこを広げつつあるとの近況に,少しほっとしてもいます.彼は事務所を去るときにこう言いました.「自分はリオタデザインの経歴で今後も食っていきますので,関本さん,どうかもっと活躍して僕を食わして下さい!」
半分冗談交じりながらも,これは結構切実な問題.建築家にとっては,どこで下積みを経験したかというのは一生ついて回る問題なのです.そんな誌面に載った彼の経歴にちょっと感慨深いものを感じました.なんと愛媛編は2号に渡って特集だそうです.次は本業の建築作品で,堂々と誌面を飾って下さい!
ちなみに同じ号の,東芝の太陽光発電のPRページにさりげなく登場しているのは,”練馬の栗原はるみ(私が勝手に命名)”こと,FILTERのUさん.その超絶的住みこなしっぷりで,OB施主に半端ないプレッシャーをかけ続けているとかいないとか.
今後とも”模範的クライアント”の一人として,抜き打ちの訪問にも耐えるような住みこなしぶりに期待するばかりです.Uさん,今後ともよろしくお願いします!
(地味に私もUさんに,プレッシャーをかけ続けているとかいないとか)


昨年竣工した「くじらハウス/T邸」の掲載誌が届きました.
くじらハウスは,そのマンサード型屋根の架構をあらわしとした開放的なリビングと,小住宅ながらもリビングからフル開口でつながるバルコニーや,随所に設えた採光窓,個室の将来対応や随所の収納スペースなど,ローコストながらもリオタデザインのスタンダードとも言える住宅かもしれません.
北欧雑貨が好きなお施主さんらしく,至る所に北欧デザインやテキスタイルなどが散りばめられています.でも実は設計中はお施主さんが実はこんなに北欧雑貨が好きな方だったとは知らなかったのです.
取材の切口としても「北欧の」「北欧的な」などと紹介されていますが,でも今回も,また過去においても,設計において北欧を意識したことは一切なく,すべて敷地条件やお施主さんに向き合って導き出された結果としての空間になっています(北欧スタイルって何?て未だによくわかりません).編集者さんにもそんな話をしたら困っていましたが.いつも取材泣かせですみません.
でも結果的にできあがった空間は,お施主さんの嗜好ともぴったり合っていたようです.以前お邪魔させて頂いた際にも,「口には出さなかったけれどこういうキッチンにしたいと思っていて,それが最初の提案で出てきてびっくりした」とおっしゃっていました.
こういう話を聞くと,我々が悩んで辿り着いた着地点もあながち間違っていなかったのだなと思うことができてとても嬉しくなります.住宅設計の醍醐味はこういう,あとで”答え合わせ”をする楽しみだったりもするのですね.
〇&home(アンドホーム)Vol.35/双葉社
http://www.futabasha.co.jp/magazine/and-home.html
〇こちらはお施主さんの北欧雑貨&旅行のブログ
my own style

先日竣工写真を撮って頂いたカメラマンさんに,「この間読んでいた本に,カフェmoiらしきお店のことが書かれていましたよ」と教えて頂いた.カフェmoiは2002年にオープンしたカフェで,私の独立後の初仕事でもある.
本というのはガンに侵されたとある編集者さんの闘病日記で,早速購入して読んでみると,近所にいいカフェ(荻窪時代のカフェmoiのことらしい)を見つけたという記述があった.以下抜粋すると,
『まあとにかく,寝転んでネット上をうろついていたら,なんと見つけたんですよ,荻窪にカフェを!この街自体の住み心地はそう悪くないと思うのだが,近所というか最寄り駅にカフェがないのが不満の一つだった.それが解消できる.早速,場所をチェックして行ってみることにした.(中略)青梅街道から少し入ったところにあるそのカフェは10席ほどの小さな店.フィンランド系のインテリアを使った,茶室をイメージした店だという.コーヒーとクロワッサンを注文.どちらも美味.客は近所の病院の看護婦と思しきニキビ面とブサイクの2人組.かかっている音楽やコーヒー,食器(カップ&ソーサーはアラビアの特注,冷タンはもちろんイッテラ製!)は文句ないのだが,イスが硬くてオレには長居できない感じ.白木のイスで見栄えはいいけれども,クッションが付いていないとキツいッス(別にダジャレじゃないけれど).隠れ家的に使いたいので店情報は秘密』
(本文P81より)
記述はちょいちょい間違っている(アラビアの特注→梅田弘樹さんのオリジナルデザイン,イッテラ→イッタラ)のですが,きっとこうして当時マイナーな存在だったカフェmoiを,ちょっぴりニヤリとしながら”発見”して下さった方はきっとたくさんいらっしゃるのだろう.当時闘病されていた著者の方の”隠れ家”にもなっていたようで,それはそれで嬉しく思った.
残念ながら著者の奥山貴宏さんは,闘病の甲斐なくすでにお亡くなりになっておられるらしい.ご冥福をお祈りすると共に,荻窪にあったカフェmoiを気に入って下さったことに,この場をお借りして御礼申し上げます.
『32歳ガン漂流エヴォリューション』 奥山貴宏(牧野出版)
[荻窪時代のカフェmoi] (写真:根津修平)
本というのはガンに侵されたとある編集者さんの闘病日記で,早速購入して読んでみると,近所にいいカフェ(荻窪時代のカフェmoiのことらしい)を見つけたという記述があった.以下抜粋すると,
『まあとにかく,寝転んでネット上をうろついていたら,なんと見つけたんですよ,荻窪にカフェを!この街自体の住み心地はそう悪くないと思うのだが,近所というか最寄り駅にカフェがないのが不満の一つだった.それが解消できる.早速,場所をチェックして行ってみることにした.(中略)青梅街道から少し入ったところにあるそのカフェは10席ほどの小さな店.フィンランド系のインテリアを使った,茶室をイメージした店だという.コーヒーとクロワッサンを注文.どちらも美味.客は近所の病院の看護婦と思しきニキビ面とブサイクの2人組.かかっている音楽やコーヒー,食器(カップ&ソーサーはアラビアの特注,冷タンはもちろんイッテラ製!)は文句ないのだが,イスが硬くてオレには長居できない感じ.白木のイスで見栄えはいいけれども,クッションが付いていないとキツいッス(別にダジャレじゃないけれど).隠れ家的に使いたいので店情報は秘密』
(本文P81より)
記述はちょいちょい間違っている(アラビアの特注→梅田弘樹さんのオリジナルデザイン,イッテラ→イッタラ)のですが,きっとこうして当時マイナーな存在だったカフェmoiを,ちょっぴりニヤリとしながら”発見”して下さった方はきっとたくさんいらっしゃるのだろう.当時闘病されていた著者の方の”隠れ家”にもなっていたようで,それはそれで嬉しく思った.
残念ながら著者の奥山貴宏さんは,闘病の甲斐なくすでにお亡くなりになっておられるらしい.ご冥福をお祈りすると共に,荻窪にあったカフェmoiを気に入って下さったことに,この場をお借りして御礼申し上げます.
『32歳ガン漂流エヴォリューション』 奥山貴宏(牧野出版)

[荻窪時代のカフェmoi] (写真:根津修平)


