年が明けて、滞っていたプロジェクトがひとつ動き始めた。幸先の良い年のはじまり。そんな打合せ終わりの雑談で、その方がうちに設計を依頼しようと思ったきっかけとしてこんなことをおっしゃった。
その方はハウスメーカーにも行ったが、画一的なつくりがテンプレートのようで住みたいと思えなかったそう。次に工務店にも話を聞きに行ったが、こだわりある工務店で、そこでは住宅の性能のことをとても丁寧に説明を受け、断熱性能や気密性能がいかに大切かを力説されたそうだ。
ここまではあり得る話。じゃあそこにしようかしら、と気持ちが傾くのが今どきの流れだろう。ところがその建て主さんは、その説明を聞いて「そんな小数点の性能にこだわるよりも、もっと自分たちらしい家に住みたい」と思って設計事務所で建てることを選んだそうだ。
そんなことあるんだ。これまでその真逆の話をずいぶん聞かされてきたので、この話には本当に涙が出るくらい嬉しかった。我が事務所はそうはいっても、性能をけしておろそかにはしていない。HEAT20でG2グレードの断熱性能は当たり前だし、気密測定をすればC値でもそこそこ良い数字は出せる。
性能重視の時代だからこそ、ホームページにも大きく性能のことをアピールすべきだろうかと迷う気持ちもあるけれど、それはしていない。なぜかというと、それはうちの”売り”ではないからだ。
それをした瞬間に性能値の戦いがはじまる。数字では他社に負けるかもしれない。でも我々の価値はそこではないのだ。そうではない土俵で戦っているのだということをずっと考えてきたけど、工務店勢力に押されてここのところ心が折れそうになっていた。
性能はけして諦めないし手は抜かない。けれども我々の本当の価値はそこではない。
それを理解して下さる方が、うちにご依頼を下さる。
なんと嬉しいことだろう!
その方はハウスメーカーにも行ったが、画一的なつくりがテンプレートのようで住みたいと思えなかったそう。次に工務店にも話を聞きに行ったが、こだわりある工務店で、そこでは住宅の性能のことをとても丁寧に説明を受け、断熱性能や気密性能がいかに大切かを力説されたそうだ。
ここまではあり得る話。じゃあそこにしようかしら、と気持ちが傾くのが今どきの流れだろう。ところがその建て主さんは、その説明を聞いて「そんな小数点の性能にこだわるよりも、もっと自分たちらしい家に住みたい」と思って設計事務所で建てることを選んだそうだ。
そんなことあるんだ。これまでその真逆の話をずいぶん聞かされてきたので、この話には本当に涙が出るくらい嬉しかった。我が事務所はそうはいっても、性能をけしておろそかにはしていない。HEAT20でG2グレードの断熱性能は当たり前だし、気密測定をすればC値でもそこそこ良い数字は出せる。
性能重視の時代だからこそ、ホームページにも大きく性能のことをアピールすべきだろうかと迷う気持ちもあるけれど、それはしていない。なぜかというと、それはうちの”売り”ではないからだ。
それをした瞬間に性能値の戦いがはじまる。数字では他社に負けるかもしれない。でも我々の価値はそこではないのだ。そうではない土俵で戦っているのだということをずっと考えてきたけど、工務店勢力に押されてここのところ心が折れそうになっていた。
性能はけして諦めないし手は抜かない。けれども我々の本当の価値はそこではない。
それを理解して下さる方が、うちにご依頼を下さる。
なんと嬉しいことだろう!
みなさま、あけましておめでとうございます。
新年というとSNSなどにはポジティブな、新年に相応しい言葉たちが並びます。私はそれを見るといつもいたたまれない気持ちになります。
自分も少しは何かポジティブなこと書いた方がいいのかな?「新しいことにチャレンジ」したほうがいいのかな?そんな迷いからはじまる。私にとって毎年お正月はそんな感じです。そんなキラキラしたことは言えませんが、自分自身の整理を兼ねて、心の中にあることを少しだけ書いてみたいと思います。
◇
今年に限らずですが、私が望んでいるのは一つだけです。
それは、我々を信じてくれるパートナー(クライアント)との出会いです。
暮れに色々考えてたどり着いたのは、自分が求めているのはどうやら単なる仕事じゃないんだということ。その人のために仕事をしたいと思えるような、そんな出会い。
どうも私は自分の自己実現のためには仕事を頑張れないみたいです。うちの事務所が過去のプロジェクトを「作品」ではなく、あくまで「仕事」としているのもこのためです。我々の価値観に共感してくださる方がいるのであれば、その人にために我々は全力で仕事をしたい。ちょっと職人さんみたいな感じかもしれませんね。
つい我々はこれまでの経験でものを語ってしまいがちです。
積み上げた経験ってとっても大切なもので、困った時に自分を助けてくれますし、困った状況にならないように我々を導いてくれるものでもあるんですが、リスク回避を徹底していくと、自分にとって不都合なものはだんだん受け入れなくなってしまうという危険性もあるんですよね。
これまで積み上げてきた仕事のノウハウみたいなことを一旦壊したいという衝動はいつも持っているんですが、結局クライアントの期待を裏切れないので、安定のクオリティが守れる「いつものやり方」に流れてしまうということもあります。そういうものを、できることなら一度封印してみたい、、。
これはなかなかできないんですが、コストのこととか、いろんな制約のこととか、いつも通りやっていたらできない!という時に、我々を信じてくれる人にはちょっと新しい刀を抜いてみようかな、と思ったりもします。
今や私も業界ではベテランの域に入りました。10年前ならできなかったことも、今ならできるかもしれない。そのためには、もう少しひらかれた仕事の仕方も考えなくてはとも思っています。これはずっと考え続けていることで、私自身まだ答えが見つけられていないのですが、、。
今年も良い出会いがありますように!
そして自分自身が抱えているいくつかの答えのない問いに、少しでも答えになるような、あるいはヒントになるようなものが掴めますように。
新年というとSNSなどにはポジティブな、新年に相応しい言葉たちが並びます。私はそれを見るといつもいたたまれない気持ちになります。
自分も少しは何かポジティブなこと書いた方がいいのかな?「新しいことにチャレンジ」したほうがいいのかな?そんな迷いからはじまる。私にとって毎年お正月はそんな感じです。そんなキラキラしたことは言えませんが、自分自身の整理を兼ねて、心の中にあることを少しだけ書いてみたいと思います。
◇
今年に限らずですが、私が望んでいるのは一つだけです。
それは、我々を信じてくれるパートナー(クライアント)との出会いです。
暮れに色々考えてたどり着いたのは、自分が求めているのはどうやら単なる仕事じゃないんだということ。その人のために仕事をしたいと思えるような、そんな出会い。
どうも私は自分の自己実現のためには仕事を頑張れないみたいです。うちの事務所が過去のプロジェクトを「作品」ではなく、あくまで「仕事」としているのもこのためです。我々の価値観に共感してくださる方がいるのであれば、その人にために我々は全力で仕事をしたい。ちょっと職人さんみたいな感じかもしれませんね。
つい我々はこれまでの経験でものを語ってしまいがちです。
積み上げた経験ってとっても大切なもので、困った時に自分を助けてくれますし、困った状況にならないように我々を導いてくれるものでもあるんですが、リスク回避を徹底していくと、自分にとって不都合なものはだんだん受け入れなくなってしまうという危険性もあるんですよね。
これまで積み上げてきた仕事のノウハウみたいなことを一旦壊したいという衝動はいつも持っているんですが、結局クライアントの期待を裏切れないので、安定のクオリティが守れる「いつものやり方」に流れてしまうということもあります。そういうものを、できることなら一度封印してみたい、、。
これはなかなかできないんですが、コストのこととか、いろんな制約のこととか、いつも通りやっていたらできない!という時に、我々を信じてくれる人にはちょっと新しい刀を抜いてみようかな、と思ったりもします。
今や私も業界ではベテランの域に入りました。10年前ならできなかったことも、今ならできるかもしれない。そのためには、もう少しひらかれた仕事の仕方も考えなくてはとも思っています。これはずっと考え続けていることで、私自身まだ答えが見つけられていないのですが、、。
今年も良い出会いがありますように!
そして自分自身が抱えているいくつかの答えのない問いに、少しでも答えになるような、あるいはヒントになるようなものが掴めますように。
ふと思い立って本棚の整理をはじめた。
事務所の本棚はもはや仕舞いきれないほどの本で溢れかえり、本の上にも横向きになった本がどんどんたまる一方だ。本は自分で買ったものもあれば、出版社から(一方的に)送られてくるものもある。
なんでこの雑誌が送られてきたのだろう?と思ってパラパラめくっていると、取材協力した記事が出てきたり、私の顔写真の載った広告があったりする。昔は几帳面に掲載誌をスクラップしたりしていたけれど、今ではそのまま机の脇に横積みされてゆく一方だ。
自分とは関係ない本でも、SNSなどに良かったらコメントなど書いてもらえませんか?というレビュー依頼系も多い。はいはいわかりましたと心で呟き、やはり机の脇に積まれてゆく。
そんな本棚を改めて眺めていると、棚に納まったきり、おそらくはもう二度とその本を手に取ることもないだろうというものがほとんどであることに気づく。もう何年もその存在すら忘れていたものばかりだ。
年賀状を出すためにひらくアドレス帳もそうだ。何千人もの名前で埋め尽くされたデータも、ほとんどが人生のほんの一時期に自分の脇を通り過ぎていった方たちばかり。中には名前を見るだけで苦い思い出が蘇ってくる人もいる。
そんなデータなど消してしまえば良いのに、きっかけを掴めないまま、もはや消すにも消せない量になってしまった。その気になって選別すれば私の出すべき年賀状はきっと20枚くらいになるに違いない。
そんな本棚を眺め、ふと全部捨ててしまいたくなった。
スイッチの入ってしまった私は、あれもいらないこれもいらないと、どんどん床の上に放り出した。それを無心で紐でしばっていると頭の中でふいに「しがらみ」という言葉の無限リフレインがはじまった。しがらみ、しがらみ。あぁ自分は人生においてなんと無駄なしがらみに縛られていることだろう。
私はしがらみが大嫌いだ。予定調和を嫌い、自分が思うように自由に生きていきたいと思ってこの仕事を選んだ。一生フリーでいい。役職や肩書きなんてまっぴらゴメンだ。
それなのに気づいたら私は今やいろんな役職につき、無駄な肩書きがいっぱい出来てしまった。ずっとそういうものから距離を置いてきたというのに、なんてことだ。
私には過去はいらない。未来もいらない。今だけでいい。これまでの知識と経験はすべてこの心と体の中にあり、それは誰にも奪われることのないものだ。
そう思ったら、この事務所の備品もほとんど捨てていいんじゃないかと思えてきたけど、年明けにスタッフが困るのでそれは思いとどまった。
「しがらみ」と打ち込んで変換したら「柵」と出た。びっくりした。私にとって今年を象徴する漢字一文字が、今決まった。
.
事務所の本棚はもはや仕舞いきれないほどの本で溢れかえり、本の上にも横向きになった本がどんどんたまる一方だ。本は自分で買ったものもあれば、出版社から(一方的に)送られてくるものもある。
なんでこの雑誌が送られてきたのだろう?と思ってパラパラめくっていると、取材協力した記事が出てきたり、私の顔写真の載った広告があったりする。昔は几帳面に掲載誌をスクラップしたりしていたけれど、今ではそのまま机の脇に横積みされてゆく一方だ。
自分とは関係ない本でも、SNSなどに良かったらコメントなど書いてもらえませんか?というレビュー依頼系も多い。はいはいわかりましたと心で呟き、やはり机の脇に積まれてゆく。
そんな本棚を改めて眺めていると、棚に納まったきり、おそらくはもう二度とその本を手に取ることもないだろうというものがほとんどであることに気づく。もう何年もその存在すら忘れていたものばかりだ。
年賀状を出すためにひらくアドレス帳もそうだ。何千人もの名前で埋め尽くされたデータも、ほとんどが人生のほんの一時期に自分の脇を通り過ぎていった方たちばかり。中には名前を見るだけで苦い思い出が蘇ってくる人もいる。
そんなデータなど消してしまえば良いのに、きっかけを掴めないまま、もはや消すにも消せない量になってしまった。その気になって選別すれば私の出すべき年賀状はきっと20枚くらいになるに違いない。
そんな本棚を眺め、ふと全部捨ててしまいたくなった。
スイッチの入ってしまった私は、あれもいらないこれもいらないと、どんどん床の上に放り出した。それを無心で紐でしばっていると頭の中でふいに「しがらみ」という言葉の無限リフレインがはじまった。しがらみ、しがらみ。あぁ自分は人生においてなんと無駄なしがらみに縛られていることだろう。
私はしがらみが大嫌いだ。予定調和を嫌い、自分が思うように自由に生きていきたいと思ってこの仕事を選んだ。一生フリーでいい。役職や肩書きなんてまっぴらゴメンだ。
それなのに気づいたら私は今やいろんな役職につき、無駄な肩書きがいっぱい出来てしまった。ずっとそういうものから距離を置いてきたというのに、なんてことだ。
私には過去はいらない。未来もいらない。今だけでいい。これまでの知識と経験はすべてこの心と体の中にあり、それは誰にも奪われることのないものだ。
そう思ったら、この事務所の備品もほとんど捨てていいんじゃないかと思えてきたけど、年明けにスタッフが困るのでそれは思いとどまった。
「しがらみ」と打ち込んで変換したら「柵」と出た。びっくりした。私にとって今年を象徴する漢字一文字が、今決まった。
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年末も押し迫ってきました。弊社も本日が仕事納めです。
年始は1月5日(水)から始動予定ですが、それはスタッフの話。私自身はきっとずっと仕事している…ということはさすがにありませんが、基本的に昔から公私の境界が曖昧な生活を送っていますので、メールチェックは毎日していますし、大晦日であってももしかしたら即レスで返信が返ってくるかもしれません笑
とはいっても、一応心のエンジンは安息モードにしてゆきますので、あまり心臓に悪い内容は緊急時以外はお控え頂けますようお願いします。(冗談です)
さて今年は暮れにかけて怒濤の竣工ラッシュがありましたが、均してみると今年は6件の住宅が竣工しました。弊社としては平均的な竣工数かと思いますが、どれも規模こそ大きくはありませんでしたが、一癖も二癖もある住宅ばかりで気の休まる暇がありませんでした。ただ、そもそも癖のない家はほとんど設計していないので、これも含めてどうやら”いつもどおり”の一年であったとも言えそうです。
来年は少しペースダウン。順調に行けば4件ほどが竣工しそうですが、こちらはどれも規模が大きく(60~90坪)普通の住宅の2~3件ぶんくらいの住宅ばかり。どれもこのコロナに入ってからのお仕事でしたが、設計だけで1年くらいかかったものもあり、それらもようやく来年には順次着地してゆきそうです。
◇
一方で最近では設計相談の数が減ってきているのが気になっています。
コロナ禍に入ってからは、巣ごもり需要から住み替えを検討される方が多く、今年~来年にかけて進んでいる住宅の多くはそうした流れを受けてのものです。
その後席巻したウッドショックや資材インフレ、土地の高騰などによって、もしかしたら家づくりを一時的に控えている方もいらっしゃるのかもしれませんね。そんな方も来年にはアクションの年に移行される方も多いのではないでしょうか。
先日いらした方に言われたのですが、うちの事務所は大きな家を得意としていて、庶民的な小さな家はやらない(やってくれない)と思っている方もいらっしゃるようです。こちらはまったくそんなことはありません!
我々にとって住まいとは日常の生活を受け止める器のようなものです。小さな敷地に建つ住まいでも、規模の大きなものでも分け隔てなく設計をお受けしています。年明け以降は設計スケジュールにも余裕がありますので、この年末年始に家族会議をされましたらどうか気兼ねなくご相談頂けたらと思います。
と、最後にそんな営業アピールをしたところで。笑
皆さま、今年も一年お世話になりました!年明け以降もどうか変わりなくお付き合いの程お願い致します。新しい年が皆さまにとって希望に溢れる年となりますように!!
年始は1月5日(水)から始動予定ですが、それはスタッフの話。私自身はきっとずっと仕事している…ということはさすがにありませんが、基本的に昔から公私の境界が曖昧な生活を送っていますので、メールチェックは毎日していますし、大晦日であってももしかしたら即レスで返信が返ってくるかもしれません笑
とはいっても、一応心のエンジンは安息モードにしてゆきますので、あまり心臓に悪い内容は緊急時以外はお控え頂けますようお願いします。(冗談です)
さて今年は暮れにかけて怒濤の竣工ラッシュがありましたが、均してみると今年は6件の住宅が竣工しました。弊社としては平均的な竣工数かと思いますが、どれも規模こそ大きくはありませんでしたが、一癖も二癖もある住宅ばかりで気の休まる暇がありませんでした。ただ、そもそも癖のない家はほとんど設計していないので、これも含めてどうやら”いつもどおり”の一年であったとも言えそうです。
来年は少しペースダウン。順調に行けば4件ほどが竣工しそうですが、こちらはどれも規模が大きく(60~90坪)普通の住宅の2~3件ぶんくらいの住宅ばかり。どれもこのコロナに入ってからのお仕事でしたが、設計だけで1年くらいかかったものもあり、それらもようやく来年には順次着地してゆきそうです。
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一方で最近では設計相談の数が減ってきているのが気になっています。
コロナ禍に入ってからは、巣ごもり需要から住み替えを検討される方が多く、今年~来年にかけて進んでいる住宅の多くはそうした流れを受けてのものです。
その後席巻したウッドショックや資材インフレ、土地の高騰などによって、もしかしたら家づくりを一時的に控えている方もいらっしゃるのかもしれませんね。そんな方も来年にはアクションの年に移行される方も多いのではないでしょうか。
先日いらした方に言われたのですが、うちの事務所は大きな家を得意としていて、庶民的な小さな家はやらない(やってくれない)と思っている方もいらっしゃるようです。こちらはまったくそんなことはありません!
我々にとって住まいとは日常の生活を受け止める器のようなものです。小さな敷地に建つ住まいでも、規模の大きなものでも分け隔てなく設計をお受けしています。年明け以降は設計スケジュールにも余裕がありますので、この年末年始に家族会議をされましたらどうか気兼ねなくご相談頂けたらと思います。
と、最後にそんな営業アピールをしたところで。笑
皆さま、今年も一年お世話になりました!年明け以降もどうか変わりなくお付き合いの程お願い致します。新しい年が皆さまにとって希望に溢れる年となりますように!!


昨日は代官山で開催中の写真家・髙橋恭司さんの個展「Ghost」へと足を延ばした。恭司さんとは20年も前にフィンランドで出会った。
エクスナレッジが社運をかけて創刊するという雑誌「エクスナレッジホーム」が、その創刊特集号に選んだのはアルヴァ・アアルトだった。そして編集部がその目玉であるアアルトの建築を撮影する写真家に選んだのは、建築写真家ではけしてない髙橋恭司さんだった。
当時私はフィンランドに留学中で、たまたまその創刊号の現地コーディネーターを引き受けることになった。ほかにも一線のクリエイター陣で固められた創刊号のキャスティングは錚々たるものだった。
恭司さんは不思議な写真家だった。私は最初の夜の食事をご一緒させて頂いた。インディアンのような風貌の大男だった。その傍には不釣り合いに華奢な女性のカメラアシスタントがいた。
次の日から取材は始まった。取材班は二つに分かれ、私は別の取材班をガイドしていたのだけれど、これはもう一つの取材班で恭司さんのガイド役をしていた友人から聞いた話だ。
*****
マイレア邸が近づき、小高い丘にハンドルを切ろうとしたら、恭司さんはおもむろに「真っ直ぐ進んで欲しい」と言った。そっちはマイレア邸ではないのに、と思いながら言われた通りに車を走らせると、川のほとりに辿り着いた。恭司さんはおもむろにそこで写真を切り始めた。
同行した編集者は撮ってほしいのはその景色ではないのにと困惑していたそうだが、のちにマイレア邸に着いてその話を管理人に話すと「どうしてその川がわかったのか?」と言われたそうだ。その川のほとりは、アアルトが最初にマイレア邸の敷地として選んだ場所だったという。マイレ夫人の反対にあって翻意したものの、そこには何か念のようなものが残っていたのかもしれない。
*****
マイレア邸では、その川の写真を含めて、恭司さんが切った写真はわずか6枚ほど。海外ロケである。普通の写真家なら内外観含めて何十枚も切ったかもしれない。創刊号には、そんな川の写真もなんのキャプションもなく挿入されているので、ページをひらいた人には一体なんの写真だかわからなかっただろう。
恭司さんの個展にはまさかアアルトの写真はないだろうと思って行ったら、あった。マイレア邸のグリーンルームでの一枚だった。見た瞬間に、あっと声をあげてしまった。
作品集にはもう一枚フィンランドでの写真が収録されていた。苔むした岩の写真。これはアアルト夏の家の近くで撮られた一枚だ。ここでも切られたのはわずか数枚。岩の写真は雑誌にも収録されていた。相変わらず、アアルトの建築写真ではないのだけれど。
恭司さんはスピリチャルな写真家だ。目の前の被写体ではなく、その向こう側の、あるいは手前の霊的な何かを切り取る。それはある意味、広義の心霊写真とも言えるのかもしれない。今回の個展のタイトル「Ghost」もまた示唆深いタイトルだ。
今回限られた展示の中に、あの時の写真が2枚もあるとは思わなかった。20年ぶりに私が恭司さんのことを思い出し、会場に足を運ぶことを予期していたのかもしれない、というのは考えすぎだろうか。


写真は左側は髙橋恭司さんの作品集から。右側はエクスナレッジホームの誌面より。
