15. 07 / 25
はねだしテラスの家・オープンハウス終了
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sekimoto
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> OPENHOUSE
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本日「はねだしテラスの家」オープンハウス、無事終了しました。大変な猛暑の中、また少々不便な立地ではありましたが、お越しくださいました皆さまに感謝申し上げます。
住宅はわずか18坪強の敷地に、計4つのフロアをスキップさせながら積層させた住宅です。高い吹き抜けと、将来子ども部屋となるロフトが空間を特徴づけています。
いつもこういうロフトを作ると、子供たちに大人気となります笑。子どもは猫に近いのでしょうか。少し高くて小さな空間があると、そこに自分の居場所を作ろうとします。
今回はそれに加えて、スキップした中間階にも小部屋を作り、来場者の方からは「ここは何の部屋なんですか?」と訊かれましたが、それは私にもわかりません笑。きっと住まい手の生活が定まった頃に、その部屋にも用途が与えられていることでしょう。
ダイニングから延びた先には、今回のタイトルにもなっている”はねだしテラス”があります。外壁から2mもはね出したテラスというのはあまり見ないかもしれません。しかも北側に。
北側のテラスって、結構いいんですよ。テラスは単に洗濯物干す空間だと思っていませんか?ここには洗濯物は干しません。植物を置いたり、ここでお茶を飲んだりします。小さな子どもを遊ばせるのもこんな場所が良いかもしれません。秋になると涼しい風が吹き抜けることでしょう。
ご来場下さった方は、この掟破りのテラスがどのように構造的に処理されていたかお分かりだったと思います。意外とシンプルにやっています。
こういう”庭”のような余剰空間があるだけで、住宅というのは一段と広がりのある表情を見せてくれるものです。
さて、そろそろこの住宅の核心に迫りましょうか。
この住宅はとてもローコストにできています。ご来場下さった人の目にはそう見えなかったと思いますが、実はそうです。いくらだったかは言いませんが。(工務店に口止めされています笑)
そんなにオトクならお願いしようかしら、と思われるかもしれません。ただ我々は安請負をしません。なんといっても完成させなくてはいけない責任がありますから。だから「それじゃ無理」と思えるときは、お仕事を安易にお引き受けしないようにしています。
実はこのクライアントさんがうちにいらした時、とてもご予算が厳しく、今だから言えますが、正直「それじゃ無理」って思いました。責任持てないと思ったんです。でもすごく純粋で、まじめな良いクライアントさんだったんですね。
それでも心を鬼にして、ずっとお断りしていたんです。はっきりとは言いませんでしたが、それじゃ無理です的なニュアンスをずっと含ませてお話ししていました。
すると、ある時ぷつりと連絡がなくなったんですね。あぁ諦められたのかなあと思っていたら、メールが届きました。そこにはこう書かれていました。
「関本さんにお願いできないんだったら、もう家は建てなくていいと思っています」
これは効きました。もうガツン!という感じです。
このクライアントはここまで覚悟を決めている。ここで受けなくてどうする?そう思いました。
そうなんです。家づくりは覚悟なんです。家を建てるという覚悟。その人にお願いするという覚悟。そしてその覚悟を決めた人に対して、我々も覚悟を決める。そういうものだと思います。私は腹をくくりました。そこからはトントン拍子で話は進みました。
このクライアントさんがすごいなと思ったのは、覚悟ともうひとつ、相手を信じる力です。我々の提案をすべて受け入れ、全幅の信頼でお任せ下さいました。
なにより、我々がご提案する度に目を輝かせて感激して下さるんですね。我々も気づけばずいぶん乗せられてしまいました笑。いつしかこのクライアントさんに喜んでもらいたいと、心から思うようになっていました。
私が思うに、家づくりで得をする人というのはこういう人だと思うんですね。人を信じることの出来る人。文字通り、得というのは徳なんでしょう。すべては人徳がなせる業なんですね。
今回の仕事では我々も勇気をもらいましたし、貴重な経験もさせて頂きました。
やればできるんだなあ、とも笑。
そんなクライアントさん、そして意気に感じて素晴らしい施工をして下さいました和光建設さんに、この場を借りてあらためて感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました!
15. 07 / 24
Will Cafe
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sekimoto
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> 生活
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姉が谷保で焼菓子のお店をやっています。Will Cafeというのですが、吉祥寺のカフェmoiなどにも卸しているので、知らぬ間に口にされている方も多いかもしれません。
もしかしたら身内の評価は当てにならないかもしれませんが、はっきり言います。かなり美味しいです(キッパリ)。いやほんと、いつもちょっと感動するくらいです。
事務所のお中元では、その年にお世話になった方にいつもWill Cafeのケーキを送ります。実際かなり喜ばれるのですが、今年はキャラメルジンジャーのケーキがかなり評判が良かったので、試しに自分でも頼んでみることにしました。
姉に連絡すると、私の息子の誕生日(昨日)だということでタダでいいと。しかも、特別にバースデーケーキ仕様で作ってくれました。(ありがとう!)
どうだったかって?
ちょっとありえない美味しさでしたよ。
気になる方は是非ご注文を!
[キャラメルジンジャーとナッツのケーキ]
http://www.will-cafe.com/?pid=78660350
15. 07 / 22
『北欧とコーヒー』
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sekimoto
category
> メディア
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ライター・萩原健太郎さんの新刊「北欧とコーヒー」の献本が送られてきました。こちらでは、「北欧・コーヒーを愛する人たち」というコーナーで健太郎さんにインタビュー取材を頂きました。
「北欧とコーヒー」 萩原健太郎・著 (青幻舎)
同著では、ほかにも私の設計したカフェmoiの店主岩間洋介さんや、moiのオリジナルカップEclipseをデザインして下さった梅田弘樹さんも登場します。
思えばmoiを荻窪(現在は吉祥寺に移転)に設計して、早13年が経とうとしています。岩間さんも、梅田さんもそれぞれのスタンスでこれまで自身の仕事を積み上げて来られたわけですが、同じ本に3人が集うというのはおそらく初めてではないでしょうか(紹介のパートは異なりますが)。私はちょっとした同窓会気分です笑。
ところで、いつから「北欧=コーヒー」になったのでしょうか。
私が留学中は、”北欧のコーヒーはまずい”が留学生の間では合言葉でした。ついでに言うなら、北欧の料理もまずい、と。ところが友人の森百合子さんも「北欧のおいしい話」という本を出していますし(これを読むと実際においしそう!どこにそんなものが?と思うくらい)、ノルウェーのコーヒーチェーン、フグレンの進出もあってか、今では北欧のコーヒーはおいしい、おしゃれ、がキーワードになりつつあるようです。
実際、世界一のバリスタを決める大会で上位を独占するのは北欧勢ばかりという時代です。しかし私が当時フィンランドで呑んでいたのは、すっぱくて煮詰まった、場末の喫茶店で出てくるような代物でした。牛乳で半分くらいうめないと飲めない。だから、カフェにはどこも牛乳がジャグに入ってドンと置いてあるのでした。
いや、きっとその文化(?)はまだ残っているに違いないと思うのですが、この本に出てくる”北欧通”たちはみなこぞって、この「煮詰まった酸っぱいコーヒー」の話をしていて、私にとっては「そうそう、北欧のコーヒーといえばやっぱそれだよね!」とばかり、懐かしくなりました。
ところでもう一つ面白かったのは、前述の”同窓会”のごとくmoiの関係者が一同に会した(クドいようですが別々のページでの紹介で、実際には我々は会っていません)この著書で、私も、岩間さんも、梅田さんも、語っているのはカイ・フランクのことなんですね。
フィンランドデザインの良心といわれた巨匠デザイナー、カイ・フランク。私は建築ですが、その発想の源にいつも規範のようにあるのはアールトではなく、むしろカイ・フランクの方かもしれません。梅田さんはカイ・フランクに惹かれてフィンランドに渡り、カフェオーナーの岩間さんは、コーヒーカップの理想型はカイ・フランクだと語ります。
それを読んで、我々が当時どうして惹かれあったのかわかるような気がしました。そしてあれから10年以上の時を経てなお、我々はカイ・フランクなんだなあと。このことが気恥ずかしくも、とても嬉しかったです。健太郎さん、ありがとうございました!
昨日はタニタガルバコンテストの授賞式があり、私は受賞者として、ではなくシンポジウムのモデレーター(司会)として呼んで頂きました。立ち位置は田原総一郎、もちろんこの役回りは初めてです。
テーマはずばり、建築と板金。どんだけコアなんだっていう。冷や汗かきながらも、なんとか乗り切りました。
受賞された山崎壮一さん、また成瀬・猪熊さん、おめでとうございます!どちらも素晴らしく、とても印象的な作品でした。
また、建築家の伊礼さんにもほぼ初めてお会いすることができました。もっとも、初めてという気はしませんでしたが笑
タニタさんらしい、アットホームで楽しい表彰式でした。今日はお呼びいただきありがとうございました!(来ていたOZONEスタッフさんからも司会業の打診を…。あまり知られてないかもしれませんが、私実は設計もやるんです)
友人の一人が新国立競技場のプロジェクトに関わっていた。私は一人の友人として、彼の仕事が無事成就し、オリンピックの開会式を誇らしい気持ちで眺めることを楽しみにしていた。
新国立競技場建設計画の白紙撤回は至極当然であろう。国民の一人として心からそう思う。人はこれまで費やしてきた時間や費用、熱量が大きければ大きいほど、それらとの決別は難しくなる。ギャンブルと同じだ。それを断ち切れたことは、たとえそれが安保絡みの国民の反感を逸らすためだったとしても、英断だと思うし評価に値すると思う。
しかし私は建築に生きる建築人だ。
このニュースに安堵したと同時に、この計画の実現に向けて関わってきた多くの建築設計関係者の努力と膨大な労力を思うと、いたたまれない気持ちになる。そして友人の顔が浮かぶ。
彼らは一様に、この苦しい局面を乗り越え、晴れがましいオリンピックの開会式をいつか家族とテレビで眺める瞬間を夢描いていたに違いない。「このスタジアムの屋根はね、お父さんが設計に関わったんだよ」と我が子に語りたかった人もたくさんいただろう。
オリンピックがアスリートにとっての祭典であるならば、そのメインスタジアムの建設は建築人にとってのオリンピックであろう。ザハではない、安藤さんでもない、そんな市井のこのプロジェクトに関わった設計者たちの顔が私には浮かんでしまう。
もっとも彼らとしても、出口の見えない遂行困難な仕事を前にしての中止の報は、もしかしたら感情が落胆よりも安堵の方向に働いたことも想像に難くないが…。
しかしここから私のもう一つの懸念がはじまる。
着工直前まで行っていた計画が白紙化されて、残る時間で設計をやり直さなくてはならない。設計といったって、ニュースで流れるようなパースの絵を作るようなことではない。
何百枚という実施図面をゼロから描き直すことを意味するし、行政との折衝、技術的な解決もまた一からやり直しである。これはもう途方もないことなのだ。フルマラソンを走り終えたら、ここは折り返し地点ですよと言われたようなものである。報道のコメンテーターが、いとも簡単に設計がやり直せるようなことを語るとき、私はなんとも言えない違和感を感じてしまう。
さらに詰まった工期で、施工会社は必ず完成させることを迫られるだろう。そこに思いを馳せた時、この計画の真に殺人的な側面を思い知る。友人が再びこの災禍に巻きこまれることのないことを祈る。
これからの流れを予測してみよう。
政府は半年以内に代案の選定を行うと言っている。代案、おそらくは建築家は外されるのではないかと思う。この火中の栗を拾える建築家などいない。また国民にも決定的な建築家不信の根が植え付けられてしまった。
政府は二度と同じ過ちを繰り返さないために、そして限られたスケジュールで確実に予算内で納めるために、おそらくは”置きに”行くだろう。つまりもう冒険は冒さないということだ。
政治的に考えるならば、今回のザハ案の実施設計を行った日本の大手組織設計事務所がJVでその設計に当たるのではないか。きっと彼らには今回の件で膨大な技術と情報の蓄積ができているだろうから、最適解をどこよりも早く提示できるはずだ。
しかし一方で、経緯からいって社会からこれほどまでにバッシングを受けたプロジェクトだけに、きっと彼らも”置きに”行く。日本人が最も得意とする設計手法「事なかれ主義的建築」になるのではないか。
そしてそれが発表される。するときっと世間はこう言うのだ。
「なんかさあ、つまんなくなっちゃったよね」
「折角のオリンピックなのに、華がないんだよなあ」
一方のゼネコンは、開会式が1年後に迫る段階になっても竣工が見えず、苛立った政治家からきっと証人喚問を受けることになるだろう。
あらたな国立競技場問題「終わらない工事、どうする?」
私はそんな政治に振り回される、ザハではない、安藤さんでもない、市井の建築人達の身の上を案じて止まないのだ。
新国立競技場建設計画の白紙撤回は至極当然であろう。国民の一人として心からそう思う。人はこれまで費やしてきた時間や費用、熱量が大きければ大きいほど、それらとの決別は難しくなる。ギャンブルと同じだ。それを断ち切れたことは、たとえそれが安保絡みの国民の反感を逸らすためだったとしても、英断だと思うし評価に値すると思う。
しかし私は建築に生きる建築人だ。
このニュースに安堵したと同時に、この計画の実現に向けて関わってきた多くの建築設計関係者の努力と膨大な労力を思うと、いたたまれない気持ちになる。そして友人の顔が浮かぶ。
彼らは一様に、この苦しい局面を乗り越え、晴れがましいオリンピックの開会式をいつか家族とテレビで眺める瞬間を夢描いていたに違いない。「このスタジアムの屋根はね、お父さんが設計に関わったんだよ」と我が子に語りたかった人もたくさんいただろう。
オリンピックがアスリートにとっての祭典であるならば、そのメインスタジアムの建設は建築人にとってのオリンピックであろう。ザハではない、安藤さんでもない、そんな市井のこのプロジェクトに関わった設計者たちの顔が私には浮かんでしまう。
もっとも彼らとしても、出口の見えない遂行困難な仕事を前にしての中止の報は、もしかしたら感情が落胆よりも安堵の方向に働いたことも想像に難くないが…。
しかしここから私のもう一つの懸念がはじまる。
着工直前まで行っていた計画が白紙化されて、残る時間で設計をやり直さなくてはならない。設計といったって、ニュースで流れるようなパースの絵を作るようなことではない。
何百枚という実施図面をゼロから描き直すことを意味するし、行政との折衝、技術的な解決もまた一からやり直しである。これはもう途方もないことなのだ。フルマラソンを走り終えたら、ここは折り返し地点ですよと言われたようなものである。報道のコメンテーターが、いとも簡単に設計がやり直せるようなことを語るとき、私はなんとも言えない違和感を感じてしまう。
さらに詰まった工期で、施工会社は必ず完成させることを迫られるだろう。そこに思いを馳せた時、この計画の真に殺人的な側面を思い知る。友人が再びこの災禍に巻きこまれることのないことを祈る。
これからの流れを予測してみよう。
政府は半年以内に代案の選定を行うと言っている。代案、おそらくは建築家は外されるのではないかと思う。この火中の栗を拾える建築家などいない。また国民にも決定的な建築家不信の根が植え付けられてしまった。
政府は二度と同じ過ちを繰り返さないために、そして限られたスケジュールで確実に予算内で納めるために、おそらくは”置きに”行くだろう。つまりもう冒険は冒さないということだ。
政治的に考えるならば、今回のザハ案の実施設計を行った日本の大手組織設計事務所がJVでその設計に当たるのではないか。きっと彼らには今回の件で膨大な技術と情報の蓄積ができているだろうから、最適解をどこよりも早く提示できるはずだ。
しかし一方で、経緯からいって社会からこれほどまでにバッシングを受けたプロジェクトだけに、きっと彼らも”置きに”行く。日本人が最も得意とする設計手法「事なかれ主義的建築」になるのではないか。
そしてそれが発表される。するときっと世間はこう言うのだ。
「なんかさあ、つまんなくなっちゃったよね」
「折角のオリンピックなのに、華がないんだよなあ」
一方のゼネコンは、開会式が1年後に迫る段階になっても竣工が見えず、苛立った政治家からきっと証人喚問を受けることになるだろう。
あらたな国立競技場問題「終わらない工事、どうする?」
私はそんな政治に振り回される、ザハではない、安藤さんでもない、市井の建築人達の身の上を案じて止まないのだ。
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