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この時期二つの大きな環境住宅系シンポジウムをコンプリート。

建築知識ビルダーズ主催の「日本エコハウス大賞」と、東京ガス主催の「住まいの環境デザインアワード」。うちは過去、後者の環境デザインアワードでは「DONUT」で優秀賞を頂いたことがある。10年以上続く環境デザインアワードに対し、エコハウス大賞はやや後発のアワードになる。

昨今の環境指向型住宅への興味から、先週はエコハウス大賞シンポジウムへ、そして昨日は後者の環境デザインアワードの受賞者シンポジウムへと足を運んで来た。


エコハウス大賞は工務店系の人、環境デザインアワードは建築家系の人という棲み分け。同じ会場と思えないくらい空気の温度が違う。でも両方参加して良く分かった。これ絶対両方のシンポジウムを聴くべき。どっちが正しいとか間違ってるというのもない。両方正しい。

性能を定量化することも大事。でも、高性能住宅作ってるということで、自己満足しちゃってる人も多い気がする。建築家住宅は悪だって思ってません?だって温熱は正義ですから。

一方で単体の断熱性能やパッシブ的設計手法だけでなく、もっと大局の住まい手の嗜好や街並みのストーリーに寄り添う思想も大事。でも、饒舌に歯切れ良く説明することで、自己満足しちゃってる人も多い気がする。工務店住宅はダサいって思ってません?だって高尚は正義ですから。

住宅にはどっちも大事。建築にはどっちも必要。

今回環境デザインアワードシンポジウムのファシリテーターを務めたのは、日本エコハウス大賞でも進行を務めた建築知識ビルダーズの木藤編集長。木藤さんが、“建築家の祭典”に乗り込んで行ったのは今回意味があったと思う。何より建築家の審査員に一生懸命食らいついていたのが良かった。(木藤さん、グッジョブ!)

同じ「環境」語ってるのに、全く交わらないこのパラレルワールド。でもこの交点こそに絶対次の住宅があると思った。すごく勇気づけられた。

[補足]
建築家住宅=寒い、ではないですよ。意識高い方もたくさんいらっしゃいます!そして、工務店住宅=デザインいまいち、でもないですよ。最近はそこらの設計事務所より優れた設計をする工務店もいっぱいあります!じゃあどんな住宅が理想か?って考えたら、もう皆さんわかりますよね。

18. 01 / 01

謹賀新年

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新年あけましておめでとうございます。

昨年の暮れは、多くの方より「良い年でしたね」というお言葉をかけて頂きました。確かに昨年は念願の著書を出すことができ、多くの住宅も竣工しました。またご依頼を頂き、多くのセミナー等にも登壇をさせて頂きました。

出版社とのつながり、建築家・伊礼さんとのつながり、OZONEさんやアールト、北欧のつながり、これまでの細く長かったいろんなつながりが、いろんなきっかけで一気に束のようになってつながった、昨年はそんな一年だったように思います。本当に幸せな一年でした。

独立してからもう15年を数えますが、筋を違えず、ずっと一本の道を歩んできました。一本の幹からは様々な枝が伸びて、その先に葉や果実をつけるようになってきたことを実感しています。リオタデザインを卒業したスタッフも、多方面で活躍しているようです。

石の上にも3年と言いますが、3年などという時間は、まるでバスを降りて登山口に立つまでの時間のようなものだとあらためて思います。まだ10年早いという言葉もありますが、10年という時間もまた、振り返れば苗から育ててようやく蕾を付けるまでのような、そんな時間に過ぎないかもしれません。

少なからずの住宅を設計し、多少は経験を積み、知恵が備わり、気力満ち、そして優秀なスタッフが集いました。リオタデザインは今最も充実した仕事を成し遂げようとするその帳にあります。この戦力とモチベーションで、今年はこれまでで最も優れた仕事を残したい。今年一年の様々な方との出会いや、出来事が今からとても楽しみです。

皆さま、本年もどうかよろしくお願い致します。

2018年1月1日
関本竜太|リオタデザイン

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保険のCMなどで「人生設計」という言葉をよく聞く。

大学を出て就職し、結婚そして夢のマイホーム。そんなあなたにはこんな保険。はたしてそんなシナリオ通りの人生などあるのだろうか?

しかし建て主と打合せをしていると、私はよくこの「人生設計」という言葉がよく頭に浮かぶ。我々が行っているのは単なる間取りの設計ではなく、その方の人生の設計そのものではないかと思うのだ。

建て主にとって「家を建てる」ということはどういうことか、ということをいつも考える。そのパートナーとして我々を選んだという意味についても同様に。

家づくりをする上で最も大切なことは、これから自分たちが「どういう暮らしをしてゆきたいか」ということで、それはその人が「どう生きてゆきたいか」ということでもある。いわば、建て主の「こうありたい、こうなりたい」を形にするのが家づくりの本質であると思う。

ところが、往々にして「これまでがそうであったから、これからもそうだろう」という過去の経験からの未来予測が、住宅の計画を支配してしまう。

だから我々はその方達の「どうしたいか」を拾い上げながら、「こうあるべき」を説き、「こうなりたい!」につなげてゆかなくてはならない。勇気を持って、建て主の背中を押してゆかなくてはならないと思う。

建て主は家を建てることによって生まれ変わるのだ。ヒアリングは単なるアンケート調査ではない。ところが世間一般では、建て主のご要望をそのまま聞くことが、建て主に寄り添うことのように思われている気がしてならない。

よほど自己プロデュース能力に長けた建て主ならば、相手に正確に自分たちの「こうありたい」を表現することが出来るだろう。でも実際には「どう表現してよいかわからない」というケースがほとんどではないだろうか。それを引き寄せて、言葉にならない空気のようなふわふわしたものに輪郭を与える、それこそが設計ではないかと思う。

目の前の精緻に描き込まれた図面は、その方の人生設計そのものだ。日々の食事がその人の体をつくるように、日々の生活がその人の人生をつくる。

自分たちの「こうありたい、こうなりたい」を具体的な形で表現できた人は、それからの人生でも具体的なビジョンが描けるようになるだろう。無理だろうと思っていたことが実現できた人は、これからも自分を信じることができるようになるに違いない。

私もそうして生きてきたから、間違いないと思う。
家づくりは人生そのものなのだ。


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関本さんはいつ仕事しているの?とよく聞かれます。なんだか、チャラチャラとイベントばっかりやっていると思われるといけないので、ここで書いておこうと思います。

私が抱える仕事は、本業の設計以外にも、ブログでもよく告知している頼まれたセミナーの講師だったり、SADIという団体での企画の取りまとめ役だったり、アールトイベントの事務局を仲間とやっていたり、一方では大学の非常勤講師もやっていたり、傍で原稿を書いたり、雑誌の企画協力をしていたりもします。この間までは同窓会の幹事もしていました。そしてブログの更新…。

言うまでもなくですが、人に与えられた時間は一日24時間しかなく、一週間は7日しかありません。でも人は隙間の時間というものが意外と多く存在します。電車の移動時間だったり、テレビを見ていたり、ぼうっとしている時間だったり。

そういう時間を無駄にしないで、テトリスのようにピッタリ隙間なく使ってゆくと、おそらく人の二倍の仕事はこなせるようになります。もちろん睡眠時間は削らずにです。私は寝ないとダメなタイプなので、毎日7時間は睡眠時間を確保するようにしています。

もう一つ心がけていることは、自分にしかできないことをやることです。自分じゃなくてもできることは、人にやってもらうということが一番です。その場合の鉄則は、自分と同じかそれ以上の能力を持った人を選ぶこと。そうでないと、逆に仕事を増やすことになります。

今うちの事務所には有能な人材が集まっていますので、私の使える時間はどんどん増えています。そしてもちろん、本業である設計や現場監理は要ですので、私も一番多くの時間を割いています。

私は前述の個人仕事(ソロ活動と呼んでいます)をこなしながら、週3〜4日の現場監理もスタッフと一緒になるべく行くようにしています。スタッフとの図面打合せも濃厚にやっています。

スタッフが進めた仕事も、設計で私が与り知らぬ所は一つもないようにと思い努力しています。クライアントへの対応ももちろん私の役割です。それこそが、リオタデザインの生命線ですから。

と、これを大学に向かう電車の中で書き上げ更新します。

17. 10 / 17

困った問題

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書籍の出版やトークイベントといったキラキラしたことばかりではなく、設計事務所を主宰するということは一方でとても重い責任を背負うことでもあります。

私は今年で独立して15年になりますが、それはある意味、独立して手がけてきた住宅が一斉に10年以上もの時間の洗礼を浴びてゆくことも意味します。最近では過去に手がけた住宅の改修や、ちょっとした”困った問題”についてのご相談を受けることも多くなってきました。


困った問題…。

ひとつはわかりやすく雨漏りですね。あってはならないこととはいえ、建築の仕事をしていたら避けては通れない問題です。経験のなさは、ある意味先鋭的な仕事を残す原動力にはなりますが、一方で…。

あの頃私は若かった、とばかりに言い訳をしていてもはじまりません。

雨漏り対応は本当に大変です。施工は一瞬ですが、そこにミスやボタンの掛け違いがあった場合、そのボタンをひとつひとつ掛け直してゆく作業は、途方もない手間と時間がかかります。我々も原因を究明するために、現場にも何度も何度も足を運ばなくてはなりません。

逆に言うと、この雨漏りを経験すると「もう絶対に嫌だ!」と思いますから、設計にも監理にもより一層注意を払うようになります。もちろん若い頃だって払っていましたよ。でもだめです。建築は圧倒的に経験がものを言うのです。

経験って何の経験だかわかりますか?ここでは失敗の経験のことを差します。

ちなみにこの案件、まだ原因特定に至っておりません。じわじわと犯人を追い詰めているのですが、「犯人は、、お前だ!」とやった後に冤罪が確定したりして、肩すかしが続いています。でも背中は見えているといったところでしょうか。


雨漏りだけではありません。今別件で対応しているのは床下の漏水です。ある日床下点検口を開けたら、床下が海のようになっていた…という恐ろしいケースです。

これはかれこれ半年がかりで対応を続けています。なかなか原因が掴めず、迷宮入りしかけていたのですが、ようやく糸口が掴めました。銅管です。

当時設備工事屋さんが給湯配管に銅管を使っていたようで、これが劣化してお湯を大量に漏らしていました。なぜ今までわからなかったかというと、配管が水に浸かっていて、漏れているかどうかが判別できなかったからです。

水をどう掻き出したかわかりますか?これはもう語りたくもないです。本当に、超~大変だったんですから!だからここでも誓いました。床下なめたらいかんと。皆さん、ちゃんと床下にも潜れる設計にしないとダメですよ!


現在この二つの難事件が、私の中では新規の設計や進行中の現場案件と同じくらいのウェイトで占められています。

この事件を難事件にしている要素がもうひとつあります。それは、当時施工した工務店にお願いできなくなっているという点です。一社はこの10年で倒産してしまいました。もう一社は、工務店の方が高齢化し、機動力のある動きをしてもらえなくなってしまったということがありました。

最初の工務店がやらかした不始末を、好んで対応する工務店などなかなかいるものではありません。実際、後者の住宅でも何社も対応を断られました。でもいるんですね、請けて下さるところが。

こういうのを神対応というのだと思います。ようやく素晴らしい後継の工務店と巡り会うことが出来て、事件は少しずつ解決に向かっています。H建設さん、D工務店さん、本当にありがとうございます!

だから今つくづく思うのです。

当時は予算が厳しくて、背に腹変えられず、相見積もりをして一番安い工務店にすがる思いでお願いしたりしていましたが、そういう現場はことごとくトラブルが頻発したりして、その後の対応も何度連絡しても来てくれないとか、そんなことが続いてクライアントを怒らせてしまった家もたくさんあります。

工務店は大事です。予算オーバーをすると、見積り調整の時はなかなかそんな気持ちになれませんが、少し高くても、良心的な信頼の置ける工務店にすべきです。なんといっても家は一生ものですから!

そしてもう一つはクライアントとの信頼関係ですね。工務店の対応が神なら、クライアントの対応も神です。本来なら「訴えてやる!」とばかりの叱責を受けそうですが、寛容にこちらにもお気遣いを下さいます。

そんなとき、10年という生活の時間と当時の設計プロセスは、一部にエラーはありましたが、あながち間違ったものではなかったのではないかと救いを感じる瞬間だったりするのです。

ともあれ、設計スキルが飛躍的に伸びるのは、書物からではなく、こうしたリアルな実地体験からだったりします。クライアントさんには申し訳ない思いですが、今もなお大変貴重な勉強をさせて頂いています。