アールト自邸のディテールのモデュールは1インチ(25mm)なのかもしれない。階段の手摺り、アトリエとリビングを仕切る引戸の引手など、随所に1インチ材が使われている。
この1インチの丸棒というスケールは私にはとても新鮮で、これまでスチールで手摺りなどを製作する際はφ27.2という材を標準にしてきた。木製手摺りなどだとφ30という材が流通材としてはよくあるが、途端に垢抜けない印象となり、シャープな手摺りを作るならスチールでと思い込んでいたところもあった。
ところがアールト自邸ではわずかφ25で木製手摺りを成立させている。その細さに驚き、またあまり握ったことのない径だったのでとても新鮮だった。しかも手摺り子まで木を削り出して作っている。こんな細かい芸は日本の建築家でもそうはやらない。
子供の手をおもわず優しく握ってしまうように、アールト自邸の骨格はあまりに繊細で、触れる手にも優しさを要求しているように思える。アールトの建築は一貫して手の触れる部分の処理が徹底している。
アールト自邸のインテリアは、奥さんのアイノがそのほとんどを手がけている。アールトのディテールというよりアイノのディテール。
アイノあってのアールトとよく言われるが、アールトの建築を人間のスケールにぐっと近づけているのは、アイノの功績がいかに大きいかがよくわかる。
言わずと知れたアールト自邸。このメインカットは見学者なら必ず撮るカットだけれど、じゃあ床のフローリングはどう張られていたかまで記憶にある人はなかなかいないと思う。
私ももう何度目かのアールト自邸(実は泊まったこともある)なのに、そこをしっかりと見たのは今回がはじめてだった。アールト自邸のフローリングは意外と幅も狭く、長さも短い(W75xL650)。
一番注目して欲しいのは、その重ね方。通常定尺もの(長さが一定のもの)を張る場合は、半分ずつずらしながら交互に張ることが多いと思うが、アールトは違う。板の先を25mmだけ重ねている。
へえ!これだけで空間の印象がずいぶん違うものだ。これを「アールト張り」と勝手に名付けて、早速試してみようと思う。
※床材の樹種だけが分かりません。木目はナラに近い気がするのだけれど色がずいぶん黄色い。ご存じの方は教えてください。
<はじめに>
先の北欧の旅から帰ってきて、あらためて写真を整理しながら、旅先で気になったアールトのディテールをいろんなエレメントに分けて分類している。
あらためてアールトはフィンランドの建築家の系譜では珍しく凝ったディテールをたくさん残していて、何度も写真を見返しては「ううむ」と唸り、その思考の背景に思いを馳せる。自分自身の頭の整理を兼ねて、ここでも少しずつ紹介してゆきたい。
◇
さてこれはスタジオ・アールト。よく見ないと見逃してしまうレンガのコーナーの納まり。ん?このデコボコしたシルエットはなんだ。すこし考えて分かった。レンガの壁を90度じゃなくて、ほんのちょっとだけ広げて積んでいるんだ。レンガ積みのフィンガージョイントとでも言うべきか。わざとちょっとだけずらすというのがアールトらしい。
アールトは生涯このレンガという素材に向き合い続けた。アールトほどのレンガの使い手はそうはいない。スタジオの完成は1955年。アールトの建築がレンガ一色に染まった赤の時代。
このくらい、どうってことない。
そう言っているかのよう。この余裕とさりげなさがたまらない。
ちなみに、スタジオ・アールトの塀の補強もなかなか良い。コンクリートブロックで応用できないか考えている。
◇
注)ブログではAALTOを「アアルト」と表記したり、「アールト」と表記したりしています。私は表記は発音になるべく忠実であるべきだと思うので、通常は「アールト」と書きますが、アルヴァ・アアルト展のことを書くときは混乱を避けるため「アアルト」と敢えて表記しています。混乱もあるかもしれませんが、どうかご了承下さい。
先の北欧の旅から帰ってきて、あらためて写真を整理しながら、旅先で気になったアールトのディテールをいろんなエレメントに分けて分類している。
あらためてアールトはフィンランドの建築家の系譜では珍しく凝ったディテールをたくさん残していて、何度も写真を見返しては「ううむ」と唸り、その思考の背景に思いを馳せる。自分自身の頭の整理を兼ねて、ここでも少しずつ紹介してゆきたい。
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さてこれはスタジオ・アールト。よく見ないと見逃してしまうレンガのコーナーの納まり。ん?このデコボコしたシルエットはなんだ。すこし考えて分かった。レンガの壁を90度じゃなくて、ほんのちょっとだけ広げて積んでいるんだ。レンガ積みのフィンガージョイントとでも言うべきか。わざとちょっとだけずらすというのがアールトらしい。
アールトは生涯このレンガという素材に向き合い続けた。アールトほどのレンガの使い手はそうはいない。スタジオの完成は1955年。アールトの建築がレンガ一色に染まった赤の時代。
このくらい、どうってことない。
そう言っているかのよう。この余裕とさりげなさがたまらない。
ちなみに、スタジオ・アールトの塀の補強もなかなか良い。コンクリートブロックで応用できないか考えている。
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注)ブログではAALTOを「アアルト」と表記したり、「アールト」と表記したりしています。私は表記は発音になるべく忠実であるべきだと思うので、通常は「アールト」と書きますが、アルヴァ・アアルト展のことを書くときは混乱を避けるため「アアルト」と敢えて表記しています。混乱もあるかもしれませんが、どうかご了承下さい。
パイミオサナトリウム(1933)はアルヴァ・アアルト初期の傑作と呼ばれる建築です。そして私がアアルトの建築の中で最も好きな建築のひとつでもあります。
でもこの写真をぱっと見て、一般の人はどこがどう傑作なのか、さっぱり理解できないかもしれません。実を言うと私もそうでした。パイミオサナトリウムとの最初の出会いは大学生の頃、授業の近代建築史の教科書にあったこの写真でした。
最初の印象は、「なにこれ?」
なんだか、公団の団地みたい。写真もモノクロで印象も冷たいものでした。授業では北欧近代建築の傑作という説明でした。でも私の中にはただ「近代建築って冷たくて、ひどくつまらない建築なんだな」という印象だけが残りました。
アアルトのどこが良いのかわからない。若い大学生の考えることなんてそんなものかもしれません。もっと刺激的で、形にメッセージ性がある建築を強く求めていた時代でした。それが今、アアルトに深く関わり、こんな記事を日々書き連ねることになるとは、人生わからないものです。
◇
前置きが長くなりました。今回の「アルヴァ・アアルト-もうひとつの自然」展では、このパイミオサナトリウムの病室の一室が再現されています。
「なにこれ?」
はいはい、わかります。当時の私と同じですね。これを見て、きゃー素敵とは思わないでしょう。大丈夫、あなたは正常です。
ここで実際の写真を見てみましょう。
なにせ大昔に撮ったものなので、全然良く撮れていませんがお許し下さい。
やっぱり、「なにこれ?」
まぁまぁそう言わず、もう少しお付き合い下さい。
◇
まずはこの建築が建った時代背景から考える必要があります。パイミオの完成は1933年です。今から85年前、つまり85歳のおじいちゃんが産まれた年ということですね。
もちろん今のように建材のカタログは充実していませんし、照明器具や洗面器ひとつ取ったってメーカーもバリエーションもほとんどなかったでしょう。そんな時代に、自分の設計意図を忠実に再現するためにはどうすれば良かったか?
そうです、作るしかなかったんです。
アアルトはこのパイミオサナトリウムの設計において、ありとあらゆるものを作り出しています。前述の照明器具、洗面器などもすべてオリジナルで作っています。
そしてドアハンドル。
どうしてこんな形になっているかわかりますか?
お医者さんの白衣が引っかからないため、そして手が塞がっていても肘でひっかけて扉を開けられるように、です。考えていることがとても細かい。私の知る限り、フィンランド人はおおざっぱな人が多いように思いますが、アアルトはそうではなかったようです。
あるいは、もしかしたら設計パートナーで奥さんのアイノの力量も大きかったかもしれません。とにかく設計理念の実現のために、本当に細部にまで手を抜いていないのです。
そして家具。
有名なパイミオチェア(葉山展では実際に座れます。ちなみに上の写真は似ていますがパイミオチェアではありません)をはじめ、アルテック初期の家具ラインナップの多くは、このパイミオサナトリウムのためにデザインされたものと言われています。
こちらは職員の食堂ですが、写真左上の高窓には開閉機構がついています。
言うまでもなく当時は気の利いたオペレーター機構や電動開閉装置などありませんから、チェーンとギアを組み合わせて、まるで巨大な機械をつくるようにこの高窓が開閉できるようにしてあります。そこまでして開けたかったんだ。その情熱を思うとぐっとくるものがあります。
ちなみに右側の低い天井にも下部に柱がないことに注目して下さい。この床はすべて天井から吊られているのです。時代背景を考えれば、ものすごくアバンギャルドな構造だと思います。
◇
ここまで説明すれば、設計者ならこれがどれだけすごいことかが分かるはずです。カタログに頼らず、そこに設えられるもの置かれるものすべてを、ただ”コーディネート”するのではなく、作り出すというその意味を。
もう一度言いますが、これは85年前の建物です。しかもアアルトが35歳の時の仕事。35歳ですよ、信じられますか。あなたは35歳の時何をしていましたか?
留学当時、私は29歳でしたが、パイミオサナトリウムに宿るこうした鬼気迫るディテールの数々に魅せられ、完全にノックアウトされてしまいました。アアルトがどうすごいのか、の片鱗にようやく触れることができた瞬間だったと思います。
◇
パイミオの病室といえば、もう一つ思い出深い出来事があります。
2001年1月、当時仲の良かった元建築模型家であり建築写真家のヤリ・イェッツォネン(Jari Jetsonen)さんに声をかけて頂き、彼が過去に製作し世界巡回をした模型(S=1/50)をパイミオサナトリウムに寄贈するにあたり、傷んだ部分の修復作業をお手伝いすることになりました。
あのパイミオサナトリウムの一室で作業をし、職員食堂でコーヒーを呑み、職員宿舎で寝泊まりする。これは本当に夢のような体験でした。
彼はかつては売れっ子模型家(モデラー)だったのですが、その後は建築写真家に転向しました。アアルトやフィンランド建築の本を多くお持ちの方なら、そのうちのいくつかの写真には彼のクレジットがあるかもしれません。
のちに彼はこんな本も出版しています。
「LITTLE BIG HOUSE」
フィンランドのユニークな建築模型作法が満載の貴重な本になっていますが、この表紙に登場しているのが、私も修復に参加したパイミオの模型です。クレジット(Special Thanks)には私の名前もあります。
おわかりでしょうか。私の名前が、RyotaではなくRiotaになっています。これがのちの私の事務所名リオタデザインの由来です。Ryotaだと発音が難しく一度で相手に伝わらないので、面倒になって向こうではRiotaというスペルで通していました。
これもかれこれもう17年も前の話ですので、その後あの模型はどうなったのだろう?とことあるごとに思っていたのですが、つい先日フィンランド在住の友人小林文菜さんが久しぶりにパイミオに行くというので、もしわかったら模型の消息を聞いてきて欲しいとお願いしました。
すると、ちゃんと地下の展示室に大切に保管されていたとのこと。良かった!こちらがその時の文菜さんに送って頂いた写真です。
文菜さん、ご報告そして写真をありがとうございました!
なんだか古い友人に再会したような気分です。
◇
そんなパイミオサナトリウムが現在危機に陥っています。建物の所有者がこの建物と周辺の森を売りに出してしまったそうです。パイミオに限らず、現在多くのアアルトの建築がこのような危機に立たされています。
アアルトの建築はフィンランド国民にとっても貴重な文化遺産であることには変わりないのですが、一枚の絵を保管するのと異なり、これだけ巨大な建築(しかも築85年…)を正常に維持管理してゆくというのは本当に大変なことだと思います。
このパイミオの現状については、前述の小林文菜さんのFACEBOOKページに詳細の記述がありますので、どうかご参照下さい。
https://www.facebook.com/suominookan/ (2018/9/23の投稿)
パイミオがどうか心ある管理者のもとで、これからも北欧近代建築の、そしてアアルト建築の傑作としての輝きを維持してもらいたいと切に願います。
<追伸>
以下にアアルト財団による署名ページのリンクを張っておきます。建物の価値を尊重し存続させて欲しいと願う方はお願いします。
https://www.alvaraalto.fi/en/services/architectural-heritage/the-paimio-appeal/
◇
大好きなパイミオサナトリウムの話なのでついつい長文になってしまいました。最後までお付き合い下さりありがとうございました。
今回のアアルト展の最大の特徴は写真がメインの展示であるという点かもしれません。通常、建築家の展覧会というと巨大な模型が会場を埋め尽くし、その空間のいわば縮小体験ができるようになっていることが多いと思います。
ところが今回の展示をはじめて見たときに驚いたのは、模型が圧倒的に少ないということ。最後の展示室には一応模型もあるのですが、展覧会のために作成されたものではなく、アアルト事務所が作成した当時の模型になります。つまり模型すらもアーカイブの一部であるというわけですね。
その代わりにアアルトの建築の魅力を伝えてくれているのは、Armin Linke(アルミン・リンケ)というドイツ人写真家による撮り下ろしの写真です。
今回の写真を私はとても気に入っています。
建築というものは、その魅力を理解するにあたって実物を見ることに勝る方法はないと思いますが、それを端的に知る方法に建築写真があります。
多くの場合、我々は写真家によって撮られた写真によって、その建築の作品世界を理解しようとします。そして建築の展覧会などには過去に撮られた代表的な写真が並ぶことになるわけですが、有名な撮影カットになればなるほど、そのカット自体がアイコン化し、そのアングルから切り取られた建築が”建築そのもの”であるかのように一人歩きをはじめるのです。
「F.L.ライトの落水荘を遠くから俯瞰したあの写真」といえば、建築関係者は一斉にあの神々しいカットを脳裏に思い浮かべることでしょう。つまり人々によく知られていればいるほど、その写真が建築そのものであるかのように置き換わってしまうのです。
今回の展覧会が素晴らしいのは、すべて撮り下ろしの写真が使われていることだと思います。ちなみにリンケは建築写真家ではありません。ドキュメントフィルムなども手がける芸術家です。このことにも大きな意味があるように思います。
建築写真には暗黙のルールがあります。それが何の建築であるかわからなければ建築写真ではないのです。建築を知れば知るほど、「ここからこう撮れ」の強力な引力に抗うことは難しくなります。
リンケの起用はその予定調和を破り、アアルトとはこういうものだという先入観を一切排除するためではないかと思います。私はその勇気に拍手を送りたい。実際リンケの写真は相当に掟破りです。はじめて見る人は「何これ?」とそれが何の建築かもわからないものもあるかもしれません。
どこまで行っても晴れない霧のような。それがアアルトの建築なのです。
背中をまるめて歩く冬のヘルシンキのような。
アルヴァ・アアルトの世界へようこそ。
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※写真はすべて昨年のヘルシンキ展にて撮影したものです。
日本展では撮影はできません。
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