11. 10 / 24
リカルデント
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sekimoto
category
> はまりもの
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すこし前になるけれど,コンビニのレジに並んでいて,ふと目を向けた陳列棚をつい見とれて眺めてしまった.リカルデントガムのパッケージが一新されたようだった.
すごく良いデザインだと思う.単体だけではなく,陳列された際の全体系を憎いくらいよく計算している.こんど店頭で気づいたらよく眺めてみてもらいたい.このさりげないデザインは各種フレーバーがずらっと並んだ時にはじめてその威力を発揮するのだ.単体で主張するパッケージは多いけれど,陳列された際の全体系をトータルにデザインされているパッケージというのは,この手の嗜好品ではありそうであまりないと思う.
それに以前のパッケージもそうであったように,この手のパッケージは中身の味をいかにストレートに表現するかに力点が置かれることが多い.フルーツであればいかにジューシーなイメージを喚起するか.例えば果汁の滴る輪切りのフルーツ写真を使うというのが定番だと思うけれど,それをフルーツの写真をひとつも使わずにジューシーさを表現するという冒険はなかなかできるものではない.デザインサイドの提案力と,それを許容した企業がすごいと思う.
子供に媚びたようなパッケージがあふれる中で,久しぶりに潔いストレートなパッケージデザインに出会って嬉しくなった.リカルデント,やるじゃん!

昨年末竣工したFILTER/U邸の取材があり,約半年ぶりにお邪魔してきました.
建物に近づいていくと駐車場の前に一枚の立て看板.ん,カフェ?
よく見たら住宅で余った棚板.そこにはお子さんの絵でかわいらしい絵が描かれていました.「パンのおみせ」…ハテ.
聞くとUさんがプロデュースして,ご友人の焼いたパンや食材などを住宅の軒先で売ることにしたのだそう.この日はたまたま取材日と重なってしまったようです.
この住宅,FILTERというコンセプトを設けたのも,まわりの雑然とした風景や街並みへの開き方や閉じ方が重要な意味を持っていたためで,そのくらいこのUさん方のおしゃれで洗練されたライフスタイルは,この地域になじむのか当初不安だったところもありました.
でも結局Uさんはその安全に巡らされた殻の中に閉じこもることなく,フィルターの目に自ら風穴をあけて地域へと飛び出していったようです.住宅の軒先にいきなりオープンした「パンやさん」.ところがこれが近所の方に大変好評で,不定期に開催されるこのお店にどこからともなく人が集まり,あっという間に売り切れてしまうのでした.
何かをはじめるのに期を熟すのを待ってはいられない.体裁は気にせずどんどん前に進むべき!これは僕の人生のモットーでもあり,Uさんともそんな話で盛り上がりました.
お店がなかったらお店はできない?
資格がなかったら独立はできない?
いやそんなことは全然ありません.すべては本人のやる気次第!どんどん体当たりしていくしかないのです.そうすれば自ずと道は開ける.僕もそうやってフィンランドに渡りました.そんなエネルギッシュなUさんに,この日もパワーをもらって帰ったのでした.
あ,僕も買い占めて帰ったパン,とってもおいしかったですよ!!
次回の開催も楽しみです.


11. 10 / 15
小石の波紋のように
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sekimoto
category
> 建築・デザイン
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最近うちの自宅周辺の建築ラッシュがとまらない.
たとえば上の写真で,一番右端が自宅であるが,その左のオレンジの屋根は半年ほどまえに新築されたアパートで,その左隣は現在工事中の別のオーナーのアパート.その左側はつい先日建替えられたばかりのお宅で,その左はそれと入れ違いではじまったばかりの改装工事のお宅.
はたまた通りの反対側を見てみると(下の写真),真向かいのお宅にも外部足場がかかり外装工事がはじまった.その右隣は最近更地になった敷地.おそらくは数ヶ月のうちには新しい家が建つのだろう.

僕はたった1軒の家であっても,水面に投じられた小石の波紋のように,周囲に及ぼす影響はけして小さくないと思っている.
もちろんタイミング的な問題もあって,たまたまかもしれないし傲慢な考えかもしれないけれど,でも僕は我々の家が建ったことによって既存の街並みにも何らかの影響を与えていると信じたい.
今日もさいたま市で一軒の住宅の引渡しがあった.クライアントのご両親はオープンハウス後の食事の席で,家の前を通る人たちが口々にいろんなコメントを残してゆくのだとおっしゃっていた.
「素敵なお宅ですね」と言われたらクライアントもきっと嬉しい気持ちになるだろうし,そしてその瞬間のために我々の仕事があるとすれば,その時我々の仕事も全うされたのだとも言える.
ただそれ以上に僕が思うのは,そんな”素敵な家”を見た人の心の中にちょっとした変化が生まれてくれたらもっと嬉しいということ.うちもあんな家に住みたいなあとか,痛んだ外壁に手を入れようかとか,庭にきれいな花の咲く木を植えてみようかと思ってもらえるきっかけを与えることができたとしたら,建築家としてこの上ない幸せを感じる.
僕は学生時代から都市計画というのがどうも苦手だった.メガスケールの都市計画図をいくら眺めても,そこに住んでいる人や遊んでいる子どもたちの顔をリアルに想像することができなかったからだ.
でも住宅設計という等身大の世界に身を置いていると,そこに住む人の体温や感情の機微,そして生活の匂いをリアルに感じることができる.やっぱり僕は住宅が好きだし,小石の波紋のように,一軒の家からでも街を変えることはできるのだと信じたい.
[caption id="attachment_2237" align="alignnone" width="333" caption="OPENFLAT"]

11. 10 / 11
オープンテラスの家・内覧会終了
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sekimoto
category
> 仕事
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昨日はオープンテラスの家,内覧会にお越し頂いた皆様ありがとうございました.
今回の計画は改装ではありますが,ほぼ新築並みのプログラムで,クライアントのこだわりと我々のいくつかの新しい試みがうまくはまり,クオリティの高い空間に仕上がったのではないかと自負しています.来場者の方々にも,いつもとは少し違う空間の仕上がりを楽しんで頂けたのではないかと思います.
今回は非常に複雑な条件の絡み合った計画でもありました.改装,それも2階のフロア改修という制約上,どうしてもインテリア指向になりがちな計画の方向性を,オープンテラスによって外とのつながりを持たせることができたことは,計画上非常に大きかったように思います.できあがってみればシンプルな空間も,その水面下では必死にもがいていた我々のプロセスがあります.
今回の仕事では,あらためて我々の建築へのスタンスというものを考えてみました.
我々は特定の建築の型を持たず,その時その状況に応じた解決をその都度見いだしてゆきます.それが勾配屋根になることもあれば,四角くモダンな建築になることもあります.
強い建築テーマを底辺に据えてひとつの空間を追求し続ける方もいますが,我々の強みはおそらくそういうものを持たないところにあるのかもしれません.常にシフトをニュートラルにしておくこと,意識的に流されながらつくること,そのことによって自分が意識するよりももっと遠くへ行くことができます.
次に控えている仕事も個性的な敷地やクライアントばかり.まだまだ変わり続けられるような気がします.
最後に内覧会にあたって全面的なご協力を頂きましたクライアントに,この場をお借りして深く感謝致します.終了後に囲んだ食卓と語らいもまた最高に楽しかったです.ごちそうさまでした!






11. 10 / 09
生意気
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sekimoto
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> 思うこと
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あるコラムに「生意気には賞味期限がある」というようなことが書かれていた.
私も若い頃は生意気だった.生意気に見えないように気をつけていたけれど,やっぱり生意気だったと思う.
学生の頃,JIA(日本建築家協会)の学生賞をもらったことがあり,関係者に飲みに連れて行ってもらったことがあった.その席で「君は歴史についてどう思うか?」と訊かれて,「歴史には興味が無い.大切なのは未来だと思う」というようなことを発言した記憶がある.今思えば冷や汗ものである.
けれどもその席では,説教をされるどころか皆笑いながら「おもしろい」と言ってくれた.当時は根拠もなく自分に自信があったし,そんな具合に生意気を言っても,それを受け止めてくれる大人が周りにいた.
それが今では周りはだんだん年下が多くなり,生意気を言われて,それを受け止める立場になってしまった.スタッフや学生にも,良かれと思っての意見やアドバイスが,ついつい説教や余計なお世話になってしまうこともあって,実際かなり気を遣う.
また私の立場で本音を言ってしまうと非常に重い意味を持ってしまうので,関係者に対しての発言にも慎重に言葉を選ぶようになった.そういう意味では,奔放な発言をくり返していたあの頃とは大違い.まさに私の生意気の賞味期限はとっくに過ぎているのかもしれない.
ただ一方で,私が所属する団体の中にはまだまだ私より重鎮の先輩方が多数を占めているところもあり,そういうところでは私も無礼を承知でたまに”生意気”なことを言わせてもらったりもする.そこでは私よりもずっと大人な先輩方がやさしくフォローし,やんわりと諫めて下さる.ありがたいことである.
私も若い頃は生意気だった.生意気に見えないように気をつけていたけれど,やっぱり生意気だったと思う.
学生の頃,JIA(日本建築家協会)の学生賞をもらったことがあり,関係者に飲みに連れて行ってもらったことがあった.その席で「君は歴史についてどう思うか?」と訊かれて,「歴史には興味が無い.大切なのは未来だと思う」というようなことを発言した記憶がある.今思えば冷や汗ものである.
けれどもその席では,説教をされるどころか皆笑いながら「おもしろい」と言ってくれた.当時は根拠もなく自分に自信があったし,そんな具合に生意気を言っても,それを受け止めてくれる大人が周りにいた.
それが今では周りはだんだん年下が多くなり,生意気を言われて,それを受け止める立場になってしまった.スタッフや学生にも,良かれと思っての意見やアドバイスが,ついつい説教や余計なお世話になってしまうこともあって,実際かなり気を遣う.
また私の立場で本音を言ってしまうと非常に重い意味を持ってしまうので,関係者に対しての発言にも慎重に言葉を選ぶようになった.そういう意味では,奔放な発言をくり返していたあの頃とは大違い.まさに私の生意気の賞味期限はとっくに過ぎているのかもしれない.
ただ一方で,私が所属する団体の中にはまだまだ私より重鎮の先輩方が多数を占めているところもあり,そういうところでは私も無礼を承知でたまに”生意気”なことを言わせてもらったりもする.そこでは私よりもずっと大人な先輩方がやさしくフォローし,やんわりと諫めて下さる.ありがたいことである.
