12. 06 / 16
DONUTS
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sekimoto
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> 仕事
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本日はプロジェクト名”DONUTS”(K邸)の地鎮祭でした.
DONUTSの敷地がある埼玉県ふじみ野市は,都内などに卸すお菓子の工場が多く,その多くには直販のお店が併設されています.ここのドーナツ屋さんもそのひとつ.
以前おみやげで頂いてすごくおいしかったので場所を聞き,以来ここは行きつけのお店に.甘さが控えめで手作り感のある懐かしい味がします.1ケ20円.安い!10ケ単位でまとめ買いして,スタッフや子どものおやつにしています.DONUTSに行く時はドーナツを買うという,そういうお話.
ちなみにこれ,都内では1ケ30円で売られているようです.
アイフーズ http://www.ai-foods.co.jp/
下はそのDONUTS実際の敷地.ピンクのヒモで囲まれたエリアが建物の位置になります.まさにドーナツ型プランのお手本のような家です.
その下が,その完成予想模型.楽しみです!


12. 06 / 15
いいね!と建築
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sekimoto
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> 思うこと
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Facebookでは「いいね!」のワンクリックで,会ったことのない人とも簡単につながることができる.立場や年齢を越えて「お友達」になれる.「いいね!」は精神的に深くつながるような同調ではない.入り込みすぎず,体重は気持ち後ろに,常にボランチ的な立ち位置でフィールドと関わろうとする.西沢氏をはじめとした現代の主流をなす建築の考え方には,この「いいね!」感覚がある.
建築家は常に形を作ることを求められる.90年代を牽引した磯崎新氏は「いくら批判されても建築家は形を作らなくてはいけないのだから,これ以上簡単な形はないというものならいいのではないか」と単純な幾何学だけで建築を作ろうとした.
けれども,磯崎氏が作った□と西沢氏の□は,本質的にその意味が異なるような気がする.刺し違えるのではなく,半身交わしてそこに佇む.そこにあるけれど,そこにはない.まるでバーチャルな世界に投稿されたツイートのように.
僕はアールトも好きだけれど,そんな西沢氏のような建築も好きだ.
ただどのくらい好きかと問われれば,「いいね!」というくらいではあるけれども.
12. 06 / 14
やっぱり豆
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sekimoto
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> 生活
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昨日はいつも頼んでいる丸山珈琲から豆が届いた.けれども開けてびっくり!挽かれた粉で頼んだつもりが豆で頼んでいたようだ.
ところが豆から淹れるとやっぱり違う.部屋に独特の香りが漂い,お湯を注ぐと炭酸のような泡がふんわりと盛りあがる.豆はやっぱり生きていることを実感.もちろん味も格別!強い香りとコク,そして奥にまろやかな甘みが広がる.
朝の貴重な時間も惜しいけれど,この至福の時の前にはやっぱり太刀打ちできない.

12. 06 / 13
大作
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sekimoto
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> 子ども
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12. 06 / 11
住まいとドン小西
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sekimoto
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> 思うこと
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雑誌やテレビで辛辣に芸能人や通行人のファッションチェックをしてるけど,おまえの方が変だよ,ていつも思う.逆にドン小西にこき下ろされた人たちの服装を見ると「別に」て思う.多分会ったら,普通にこの人おしゃれだなって思うかもしれない.
つまりこれが世間の感覚である.その世界の先端の人たちから見たらよっぽどダサいか遅れているのかもしれないけれど,世間的には”記号”として”素敵”とされていることは,思いのほか多いような気がする.
我々は建築家として,日々最先端の素材に触れ,あたらしい空間のありかたについて模索している.ある意味,斬新さの感覚に麻痺している.世間の人が思う斬新は,我々にとっては既に当たり前で,ともするとダサいか少し遅れているくらいかもしれない.
例えばテレビに映る芸能人の住む家がある.レポーターが何を騒いでいるのか理解できないし,ツッコミどころ満載だ.陳腐な自己満足だとも思う.でもきっとそれは世間の人から見たら,きっと”素敵な豪邸”の記号なのだ.そして建築家のつくる住宅の方がよっぽど,おまえの方が変だよ,と思われていることを自覚しなくてはいけない.
人は自分の利害に無関係なことには寛容だ.最先端のファッションなんて恥ずかしくて着れたもんじゃないけれど,他人が着ているなら「別に」て思う(そして内心少し”イタい”て思っている).建築専門誌に踊る斬新な空間も,眺めている分には楽しいけれど,じゃあ自分が住むかとなると「住めない」と即答が返ってくる.これが世間一般の感覚だ.
でもそれが単なる「表現」の自己主張ではなく,住まい手の住み心地に直結する機能性だったりすると,途端に人は受け入れはじめる.そこではじめて「住んでみたい」と思えるようになる.詰まるところ,住宅は建築家の作品じゃないし,寒くて暑くてお金のかかる家では困ると世間の人たちは思っているのだ.
実は自分はその辺の許容範囲が広くて,世間の人たちが拒絶するような空間でも「そうかな,自分なら住めるな.楽しそう!」って結構思える.けどやらない.なぜなら,前述の世間の感覚というものを心得ているから.その辺を踏まえた上で,お施主さんの話に耳を傾けながら,この人はどこまで大丈夫な人かなとじっと観察している.
これって普通の感覚だと思うのだけれど,周りを見渡すと実に「裸の王様」が多いことに驚かされる.その浮き世離れした感覚を,ある意味尊敬する.でもたまには勇気を出して言ってあげないといけない.「おまえの方が変だよ」と.自分も言われちゃったりして.
