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今日はフィンランド時代からの友人で,現在来日中の森下圭子さんが遊びに来てくれました.森下さんといえば,映画かもめ食堂での現地コーディネーターや絵本の翻訳,”ほぼ日”での連載,最近では小林聡美さんのエッセイ本にたびたび登場する”パワフルな森下さん”として,最近ではすっかり有名人になってしまいました.

我々がフィンランドで暮らしていたのはもう10年以上も昔.その時につながっていた友人達は皆我々と同じように歳をとり,人生経験を重ねて,今ではそれぞれの分野の一線で活躍しています.そんな我々共通の友人知人たちの話をしながら,あの楽しかった日々を振り返り,「みんな偉くなったよねー」とついしみじみしてしまうのでした.

これまで出会った人たちも,縁がなかったらそれまで.逆にご縁があった方とはその後もいろんな形で関係がつながってゆきます.国境を越えて共通の知人同志がなぜかつながっていて,どうしてその人を知っているの!?と驚かされることもしばしば.森下さんもそんな私にとって切れそうで切れない,大切な友人の一人とも言えそうです.

短い時間でしたが,小林聡美さんのエッセイに出てくるまんまの弾丸トークで,嵐のように帰って行きました.また逢いましょう.次は是非フィンランドで!

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高速を走らせていると,前ぶれもなくいきなりスピードメーターが死んだ.しゅん,て力なくゼロまで落ちてぴくりとも動かない.おいおい頼むよ!今何キロだよ.

エンジンは問題なく動いて走行しているのに,メーターはゼロって結構怖い.ゾンビみたい.原因には思い当たる節がある.あれだ.行きに奥さんと次に車を買い換えるならという話をしていたからだ.ごめんよ,機嫌直して!

実はうちの車は2009年にも瀕死の故障を経験している.その際の顛末は当時のブログに書いた.
VOICE(旧ブログ)2009年10月の記事
http://riotavoice.exblog.jp/12099375/

この時に意地になって修理したこともあり,愛着があってなかなか買い換えられない.現在12万キロくらいなので,まだ軽く2~3年は乗るつもりなんだけど,実際には満身創痍….

そんな折り,当時修理してくれた玉野自動車さんからつい最近電話がかかってきた.近くHPをリニューアルするので,その際に私の当時のブログにリンクを張らせて欲しい(あるいは原文を掲載)とのことだった.当時僕が書いた文章に相当共感して下さっていたようだ.

こういうのは本当に嬉しいこと.もちろん快諾したのだけれど,私がまだ当時のオペルを大切に乗っていることを知って,それにもまた喜んでくれていた.
う~ん,やっぱりまだ買い換えられない!?

12. 12 / 19

フレンチ!

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昨晩はクリスマス会と銘打って,荻窪にある某隠れ家レストランを貸し切りにし,とびきりのフレンチに舌鼓を打ったのでした.う~ん,満足!

訊かれても,隠れ家ゆえになかなか場所はお教えできないのですが,開店時からのおつきあいもあり,年に何回かはこのようなお招きを頂きます.そして毎回夜が更けるまで,オーナーシェフご夫妻との”オトナの会話”に花が咲くのでした.

このレストラン,フランス料理専門店かと言われるとさにあらず,時に中華,時に和とその時々の趣向にていつも私の胃袋をがっちり捉えて放さないのでした.

この日の会話も盛りあがりました!ここに来ると根っこがはえてしまってなかなか帰りたくなくなるのです.なにより空間がとってもいいんですよね!どなたが設計したんだろ.

百日紅の家のお施主様,昨日はごちそうさまでした!!

12. 10 / 26

警鐘

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なにか事件が起こると,当事者達を世間は責める.どうしてそんな愚かなことを,と私も思う.けれども一方ではこうも思う.それは自分にも十分起こりうることだと.

私もけして長くはない人生の中で少なからずの経験をしてきた.大学時代の体育会の規律.下積み時代の不安感や駆け出し時代の惨め感.理屈の通用しない子育て.人間は追い詰められると,平和な状態では思いもつかないような行動に出ることもある.

それは自宅のソファでワイドショーを眺めているのとはわけが違う.事件と日常の違いは,その時に一線を越えるか越えないかの違い.ほんのわずかな紙一重の世界がそこには存在するのだろうと思う.

だからいつも事件の報道を見ると,私は「これは自分だったかもしれない」と思う.こいつは馬鹿だなとはとても思えない.そして,自分がその場にいたらどうだっただろうと想像してみる.その時に一線を踏み越えないよう,未来の自分に向かって警鐘を鳴らしたい.

12. 10 / 01

記憶のまち

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[caption id="attachment_5908" align="alignnone" width="560" caption="ここは一体どこなのだろう?昔は一面の麦畑が広がっていた."][/caption]僕は中学校を卒業するまでは,埼玉の桶川市というところで過ごした.
桶川の中でも僕が育った川田谷というところは,文字通り川と田んぼと谷しかないような,そんな素朴な田舎町だった.今日はこれまで忙しくて行けなかった鴻巣の免許センターに免許の更新に行くことになり,その帰り道,ふと思いついてその帰路にある桶川を車で横切って帰ることにした.

川田谷まで足を延ばしたのは,もう何年ぶりだろう.最後に行ったのは少なくともまだ圏央道は開通していない時期だった.ずいぶん昔から計画道路指定はかかっていて,まさか実現するとは思っていなかったその道路が,自分が住んでいた地区のすぐ近くを貫くと聞いた時は,正直やっとあの辺も便利になるのだなと,好意的な印象すらも抱いていた.

ところが今日そんな街に久しぶりに立ち寄り,その光景に思わず愕然としてしまった.駅から圏央道方向へとつながる道はまっすぐときれいに舗装されているものの,自分が知っているあの通りではなかった.記憶をどう辿ってもなにも引っかからないのだ.

それもそのはずで,既存の道路とは関係なくまっすぐと引かれたその計画線は,もともと住んでいた人たちの住居や商店の上を不躾にも土足で横切り,立ち退きという代償のもとに計画されていたものだったからだ.

幼い頃買い物に連れて行ってもらったスーパーや,子供のたまり場だったゲームセンターもどこにもなかった.あの頃目印だった建物も見当たらない.その代わり新しいマクドナルドやきれいなスーパー,そして画一的なサイディングのハウスメーカーの住宅だけが何の脈絡もなく建ち並んでいた.

道路計画による立ち退きのためか,新しい道路の傍らに家はなく,草だけが茫々と生えていた.道路ができて賑やかになったのではなく,むしろ退化していた.まだ誰もこの地に住んでいなかった大昔の風景のように.

最もショックだったのは,自分が元住んでいた地区の辺りが本当に変わり果てた姿になっていたことだ.小学校に行くために,みんなで集合したあの公民館もすでになく,当時からあった大谷石の蔵だけがぽつんと取り残されたように建っていた.

そしてそこから続いていた通学路は,圏央道からつながる車道のため見事に分断され,もうどこがどう繋がっていたのか,街の文脈(コンテクスト)や脈絡すらも思い出すことができなかった.家の隣にあった醤油工場は廃墟になっていた.それを見ていたら,もう本当に切なくなってしまった.

都市計画というものは残酷なものだ.その街に根付いていた人のつながりだったり,記憶だったり,一見無意味のように見えてとても大切だった何かをずたずたにしてしまう.そこを通過していくだけの人にはそれは見えない.地方都市を貫く真新しい道はどこまでもまっすぐで快適だ.けれどもその代償として街のつながりはどこも決定的に損なわれているのだ.

この件では本当に考えさせられた.立ち退きを拒む人たちの気持ちも初めて理解できたような気もする.僕が友人と自転車を乗り回したり,寄り道をしながら帰ったあの道は,もう思い出の中にしか存在しないのだ.

[caption id="attachment_5909" align="alignnone" width="560" caption="蔵の脇には古い民家と茂み,その奥には煙突のある醤油工場があった.ここでは夏休みにラジオ体操もした.近所には子供がたくさんいた.今ではもう何もない."][/caption]