12. 06 / 27
ルイスポールセンとLED
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sekimoto
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今日はルイスポールセン主催のライティングセミナーへとお邪魔してきた.
ルイスポールセンと言えば,PH5をはじめとした数々の名作照明を生み出してきたデンマークの名門照明ブランド.今日のセミナーでは,ルイスポールセンの照明を用いた美しい住宅事例などのスライドを数多く見せて頂いた.
僕は個人的に聞いてみたかったことがあった.それは昨今の白熱灯を全廃しようとする動きについてだ.というのも,ルイスポールセンの光の原点は白熱灯の光であり,それが安易に本質的に配光や演色性の異なるLEDや蛍光灯に変わることはないだろうし,できないだろうと思っていたからだ.
ところがそんな僕の質問に担当者はあっさりと答えてくれた.
「たとえばこれは蛍光灯です.それ以外の照明も,ここにあるほとんどの照明には既にLEDが使用されています」
愕然とした.かつては白熱照明の代名詞でもあったショールームの名作照明のほとんどには,既に白熱灯ではなくLED電球が使われていたのだった.言われるまで全く気づかなかった.そのくらいLEDの技術水準も上がってきているのだ.わかっているつもりだったけれども想像以上だった.どうやら遅れていたのは完全に僕の方だったようだ.
僕も住宅の設計では,今ではほぼLEDに移行しつつある.でもまだ信用していない部分もある.例えばペンダント照明の調光機能など,白熱でなくてはできない演出の領域もまだ多いからだ.単に省エネという名の下に白熱を全廃しようとする動きには,僕は断固として反対だ.
ところが唯一の拠り所であったルイスポールセンにも賛成票を投じられてしまった.まさかルイスポールセンにLEDを灯す時代が来るとは思わなかった.この日は僕にとっての照明に対する考え方の,ひとつの転換点になったような気がする.
12. 06 / 15
いいね!と建築
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sekimoto
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> 思うこと
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[/caption]建築家・西沢立衛氏の建築は軽やかだ.西沢氏の建築を見ていると「今」という時代をひしひしと感じる.西沢氏の建築には形がない.空気にただ輪郭を与えただけのようにさりげない.それが今という時代に通じているように思えるところなのかもしれない.
Facebookでは「いいね!」のワンクリックで,会ったことのない人とも簡単につながることができる.立場や年齢を越えて「お友達」になれる.「いいね!」は精神的に深くつながるような同調ではない.入り込みすぎず,体重は気持ち後ろに,常にボランチ的な立ち位置でフィールドと関わろうとする.西沢氏をはじめとした現代の主流をなす建築の考え方には,この「いいね!」感覚がある.
建築家は常に形を作ることを求められる.90年代を牽引した磯崎新氏は「いくら批判されても建築家は形を作らなくてはいけないのだから,これ以上簡単な形はないというものならいいのではないか」と単純な幾何学だけで建築を作ろうとした.
けれども,磯崎氏が作った□と西沢氏の□は,本質的にその意味が異なるような気がする.刺し違えるのではなく,半身交わしてそこに佇む.そこにあるけれど,そこにはない.まるでバーチャルな世界に投稿されたツイートのように.
僕はアールトも好きだけれど,そんな西沢氏のような建築も好きだ.
ただどのくらい好きかと問われれば,「いいね!」というくらいではあるけれども.
12. 06 / 11
住まいとドン小西
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sekimoto
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雑誌やテレビで辛辣に芸能人や通行人のファッションチェックをしてるけど,おまえの方が変だよ,ていつも思う.逆にドン小西にこき下ろされた人たちの服装を見ると「別に」て思う.多分会ったら,普通にこの人おしゃれだなって思うかもしれない.
つまりこれが世間の感覚である.その世界の先端の人たちから見たらよっぽどダサいか遅れているのかもしれないけれど,世間的には”記号”として”素敵”とされていることは,思いのほか多いような気がする.
我々は建築家として,日々最先端の素材に触れ,あたらしい空間のありかたについて模索している.ある意味,斬新さの感覚に麻痺している.世間の人が思う斬新は,我々にとっては既に当たり前で,ともするとダサいか少し遅れているくらいかもしれない.
例えばテレビに映る芸能人の住む家がある.レポーターが何を騒いでいるのか理解できないし,ツッコミどころ満載だ.陳腐な自己満足だとも思う.でもきっとそれは世間の人から見たら,きっと”素敵な豪邸”の記号なのだ.そして建築家のつくる住宅の方がよっぽど,おまえの方が変だよ,と思われていることを自覚しなくてはいけない.
人は自分の利害に無関係なことには寛容だ.最先端のファッションなんて恥ずかしくて着れたもんじゃないけれど,他人が着ているなら「別に」て思う(そして内心少し”イタい”て思っている).建築専門誌に踊る斬新な空間も,眺めている分には楽しいけれど,じゃあ自分が住むかとなると「住めない」と即答が返ってくる.これが世間一般の感覚だ.
でもそれが単なる「表現」の自己主張ではなく,住まい手の住み心地に直結する機能性だったりすると,途端に人は受け入れはじめる.そこではじめて「住んでみたい」と思えるようになる.詰まるところ,住宅は建築家の作品じゃないし,寒くて暑くてお金のかかる家では困ると世間の人たちは思っているのだ.
実は自分はその辺の許容範囲が広くて,世間の人たちが拒絶するような空間でも「そうかな,自分なら住めるな.楽しそう!」って結構思える.けどやらない.なぜなら,前述の世間の感覚というものを心得ているから.その辺を踏まえた上で,お施主さんの話に耳を傾けながら,この人はどこまで大丈夫な人かなとじっと観察している.
これって普通の感覚だと思うのだけれど,周りを見渡すと実に「裸の王様」が多いことに驚かされる.その浮き世離れした感覚を,ある意味尊敬する.でもたまには勇気を出して言ってあげないといけない.「おまえの方が変だよ」と.自分も言われちゃったりして.
12. 06 / 04
つもり
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届けてくれた酒屋さん曰く,うちの担当者からは確かにそう言われたと.ノンノン.話はここから始まります.うちの担当は確かに私に言われたとおり伝えた「つもり」だったに違いありません.けれども先方は勘違いして受け止めている.これは誰が悪いか.もちろん勘違いした方にも責任はありますが,伝え方が悪かったのだと思います.
お酒ごときで目くじらを立てているのではありません.これは現場でも十分に起こりうることなのです.担当者は伝えた「つもり」.しかし現場は勘違いしている.こうなると話は平行線です.「言った」「言わない」.人間は間違える生き物だと口を酸っぱくしてスタッフに説いているのはこういうことなのです.きっとこういう勘違いをするだろう,というところをどこまで先読みして,どこまで言葉をかみ砕いて説明するか.これが仕事におけるコミュニケーション能力であると思うからです.
いや待てよ.ここまで書いてよぎった考えは,私もスタッフにそう伝えた「つもり」で,スタッフもこの時点で既に勘違いしていたとしたら・・・オソロシイ.いやはや,これは自分も肝に命じないといけないことですね.
12. 05 / 24
美大と日大
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かつては学生として,今は非常勤として関わる日大(理工)の建築は,良くも悪くも「コンセプト教育」という気がする.つまり実際に建つ/建たないは別として,まずは建築への向き合い方や考え方をみっちりと教え込む(ように感じる).そして実際,私もそういう切り口で学生に接している.
建築のスタイルも,素材感や空間の”匂い”のような情緒的・感覚的なアプローチよりも,論理的で竹を割ったようにダイナミックな案がおしなべてウケが良い.内部というよりは,建築を都市との関わりなど外側から考える.学生に図面よりもまずは模型から作らせるという方針にも,そういう考え方は表れているかもしれない.まさに「構造の日大」である.
美大系の建築は,理屈よりも先に手を動かして考える.工房を持ち,竹を裂き,木を削ることから素材との向き合い方を学んでゆく.語弊があるかもしれないけれど,どちらかというと感覚的で直感的なアプローチとも言えるかもしれない.
学生の気質にもそれが色濃く反映されている.日大の学生はおしなべて堅実で安定志向だ.就職はこぞって大手に行く傾向にある.設計が優秀な学生ほどその傾向は強く,著名アトリエで武者始業を積もうという者はごく一握りだ.
美大生の場合は卒業してから就職活動をはじめるというケースも珍しくない.「建築」以外へ就職する者も多いようだ.そこまで焦りがないというのは,手に技術を身につけている者の自信や余裕なのか,単に世間知らずなだけなのかはわからないけれど.
最近の日大生を見ていると,私たちの時代以上に「建築好き」な学生が増えたような気がする.もちろんそれはとても良い傾向だと思うけれど,最近ではスポーツ系サークルに入る学生は少ない(理由は「課題が忙しいから」)こととも併せて考えると,学生には「おたく」になりすぎず,もう少しバランス良くいろんな経験を積んでもらいたいとも思う.
美大系の「奔放さ」と,理工系の「堅実さ」を兼ね備えた建築や建築家が,今社会では最も求められているのだから.
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