会合などがあると、持ち回りで議事録係などの役が回ってくる。私はこの議事録作成という仕事が大嫌いで、嫌な仕事はとっととやっつける性格から会合後にはすぐにやっつけ仕事のように記録を起こして相手に送ってしまう。
実際私は会合で前回の議事録がまわってきてもほとんど目を通すことはないし(本当はいけないのだろうけど面倒くさい)、だから自分でも議事録を付けながらこんなの誰が読むんだろうって思ってしまう。
そこで最近はAI議事録というのを重宝して使っている。ご存じの方も多いかもしれないけれどPROUDというカードサイズの超小型レコーダーで、会議中起動させておけば会合後に自動的にかなり正確なAI要約を作ってくれる。
最近では私がこれを持っていることをみんな知っているので、会合前に「関本さん、いつものお願い」と頼まれる。会議中ボタンを押して、AI要約議事録を終了後に送れば一部を修正するだけで公式記録にできる。みんなの貴重な時間を浪費しなくて済む。つくづく便利な世の中になったと思う。
ところがこのAI議事録、書かれていることはほぼ事実ベースで、よくもあの長々とした会議をこんなに正確に要約するものだと感心するのだけれど、あとで読み返すとなぜか頭にあまり入ってこない。どこか他人事で、新聞記事を読んでいるような気分にもなる。
議事録なんて所詮こんな無味乾燥なもので十分だと思う一方で、これが住宅の設計打合せの記録だったりすると、どこがハイライトだったかがわからなくなるのだ。舞台で大根役者がセリフを棒読みしているのを見せられているみたいな。それなら自分自身でつけたミミズが這ったような文字の方がよほど頭に入る。不思議なものだ。
そこであらためて思うことは、我々は人に話を聞くときはある程度のバイアス(先入観や偏見)をかけて聞いているのだなということ。逆にそうやって聞かないと、人の言葉なんてお経を聞いているようなものにしかならないともいえる。
◇
相手の話を聞くときに、我々は相手の言葉(日本語そのもの)というより、相手の声音だったり、表情だったり、前後の文脈を組み合わせてその人の言葉以上の意味をそこから読み取ろうとする。それによっては、日本語の意味として「肯定」でも、「否定的肯定」の文脈で語っているように聞こえることもある。
極論すれば、ある程度の「決めつけ」をしないと設計のストーリーは定まらないともいえるかもしれない。フラットに聞いているように見せかけて、実は一定の決めつけをしながら話を聞いている。それはまったくをもってバイアス以外のなにものでもない。
雑誌の取材などでも、きっと編集者さんやライターさんもそうやって相手の話を聞いているのだろう。良くできた記事(一読しただけでするするっと頭に入る記事)というのはストーリーが一種のバイアスのかかった筋で紡がれていて、そこに適切な強弱が足され、無駄なノイズや矛盾する要素は巧みに排除されているからだ。
あんなに余談ばかりで話もあちこちに寄り道したというのに、書き手が定めた本筋以外はばっさり切り捨てられて、書かれていないことはしゃべった本人も覚えていないという状態。そんなこと言ってないのに、もしかしたらそう言ったのかもしれない。そんな記事に出会うと、あぁこのライターさんは優秀だなと思う。
これがAIなら、すべてをまんべんなく情報を網羅して取りこぼすことのない、ある意味完璧な記事を書くのだろう。でもどこも間違っていないのに、頭に入ってこない。心に響かない。そういう記事になるかもしれない。
要約とは編集である。そういう意味ではAIのもっとも得意な領域であるとも言える。しかしAIは敵わない。人間が一番ほしいのは「バイアスのかかった編集」だからだ。言いかえると「都合の良い事実」。白雪姫で王妃が魔法の鏡に向かって「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」と問いかけるあれである。
住宅の設計がAIに取って代わると言われているけれど、私はそうはならないと思う。我々がこの「魔法の鏡」を手放さない限り。
実際私は会合で前回の議事録がまわってきてもほとんど目を通すことはないし(本当はいけないのだろうけど面倒くさい)、だから自分でも議事録を付けながらこんなの誰が読むんだろうって思ってしまう。
そこで最近はAI議事録というのを重宝して使っている。ご存じの方も多いかもしれないけれどPROUDというカードサイズの超小型レコーダーで、会議中起動させておけば会合後に自動的にかなり正確なAI要約を作ってくれる。
最近では私がこれを持っていることをみんな知っているので、会合前に「関本さん、いつものお願い」と頼まれる。会議中ボタンを押して、AI要約議事録を終了後に送れば一部を修正するだけで公式記録にできる。みんなの貴重な時間を浪費しなくて済む。つくづく便利な世の中になったと思う。
ところがこのAI議事録、書かれていることはほぼ事実ベースで、よくもあの長々とした会議をこんなに正確に要約するものだと感心するのだけれど、あとで読み返すとなぜか頭にあまり入ってこない。どこか他人事で、新聞記事を読んでいるような気分にもなる。
議事録なんて所詮こんな無味乾燥なもので十分だと思う一方で、これが住宅の設計打合せの記録だったりすると、どこがハイライトだったかがわからなくなるのだ。舞台で大根役者がセリフを棒読みしているのを見せられているみたいな。それなら自分自身でつけたミミズが這ったような文字の方がよほど頭に入る。不思議なものだ。
そこであらためて思うことは、我々は人に話を聞くときはある程度のバイアス(先入観や偏見)をかけて聞いているのだなということ。逆にそうやって聞かないと、人の言葉なんてお経を聞いているようなものにしかならないともいえる。
◇
相手の話を聞くときに、我々は相手の言葉(日本語そのもの)というより、相手の声音だったり、表情だったり、前後の文脈を組み合わせてその人の言葉以上の意味をそこから読み取ろうとする。それによっては、日本語の意味として「肯定」でも、「否定的肯定」の文脈で語っているように聞こえることもある。
極論すれば、ある程度の「決めつけ」をしないと設計のストーリーは定まらないともいえるかもしれない。フラットに聞いているように見せかけて、実は一定の決めつけをしながら話を聞いている。それはまったくをもってバイアス以外のなにものでもない。
雑誌の取材などでも、きっと編集者さんやライターさんもそうやって相手の話を聞いているのだろう。良くできた記事(一読しただけでするするっと頭に入る記事)というのはストーリーが一種のバイアスのかかった筋で紡がれていて、そこに適切な強弱が足され、無駄なノイズや矛盾する要素は巧みに排除されているからだ。
あんなに余談ばかりで話もあちこちに寄り道したというのに、書き手が定めた本筋以外はばっさり切り捨てられて、書かれていないことはしゃべった本人も覚えていないという状態。そんなこと言ってないのに、もしかしたらそう言ったのかもしれない。そんな記事に出会うと、あぁこのライターさんは優秀だなと思う。
これがAIなら、すべてをまんべんなく情報を網羅して取りこぼすことのない、ある意味完璧な記事を書くのだろう。でもどこも間違っていないのに、頭に入ってこない。心に響かない。そういう記事になるかもしれない。
要約とは編集である。そういう意味ではAIのもっとも得意な領域であるとも言える。しかしAIは敵わない。人間が一番ほしいのは「バイアスのかかった編集」だからだ。言いかえると「都合の良い事実」。白雪姫で王妃が魔法の鏡に向かって「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」と問いかけるあれである。
住宅の設計がAIに取って代わると言われているけれど、私はそうはならないと思う。我々がこの「魔法の鏡」を手放さない限り。
category








