今さら引き合いに出すまでもなく、オリンピックは人生の縮図だ。毎日繰り広げられる悲喜こもごもの試合結果にそれらは凝縮されている。

冬季オリンピックが開催されているこの2月は、奇しくも受験の季節であり、卒業を控えた学生にとっては研究成果や卒業設計などの発表時期でもある。そんな若者たちの立場や心境とも私の中ではリンクする。

東大合格間違いなしと期待された子、そのずば抜けた才能から、ワリエワのように”絶望”のあだ名をつけられた子もいるかもしれない。しかし結果は、必ずしも祝福されたものになるとは限らない。かと思えば、逆に絶望的な偏差値からするするっと学力を伸ばして、現役合格した子もいるかもしれない。悲喜こもごもだ。

4年間オリンピックのためにストイックに努力を続けてきたアスリートであっても、わずかなミスからメダルを逃したり、自分の実力とは関係ない不可抗力によって出場を奪われたりもする。かと思えば、思いもよらないようなポジティブサプライズも起こる。スケールこそ異なれど、そこで起こることは、我々の生活で起こることとほぼ変わらない。

事実は小説より奇なり。時に神様はなんと残酷なシナリオを書くことだろう。そしてなんと感動的なストーリーを描くことだろう。私はオリンピックを見ていると、そんな数奇な長編映画を何本も見ているような気分になる。

今回の冬期オリンピックで、私が最も引き込まれている競技のひとつは女子のカーリングだ。ロコ・ソラーレはなんと良くできたチームなのだろうと見るたびに感心する。

良くできたという意味は、もちろん高い実力や良いチームワークという意味も含まれるのだけれど、素晴らしいのは4人のメンバーそれぞれのキャラクターが立っていることだ。それはいわゆる戦隊ものヒーローのそれであり、ドラえもんに出てくる登場人物のそれであり、人気アイドルグループのそれでもある。

我々はメンバーそれぞれの個性の中に、自分自身や、職場の同僚やクラスの友達を重ねる。彼女たちが自然体で朗らかにプレーをしていることもまた、単なるアスリートとは思えない親近感が感じられる一因であるのだろう。

それぞれの競技経験のない私は、競技そのものの奥深さはわからないし正直ルールもよく分からない。しかし試合後にアスリート達が見せる歓喜や悔し涙に、その人ぞれぞれのドラマを想像する。それこそが私にとってのオリンピックの醍醐味だ。オリンピックは人生のストーリーそのものだと思う。