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sekimoto

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「紬の家」と名付けた住宅を昨日無事引き渡しました。法延べ床面積で100坪超、計画から竣工まで二年半の時間を要したプロジェクトでした。

計画の詳細はここでは語りませんが、かつてない規模、そしてこれまで経験のない素材や仕様も多く、特殊条件に戸惑いながらもなんとか着地させたというプロジェクトでした。

この案件で得た学びは数多くありましたが、この仕事において強く意識をさせられたのは、設計者が担うべき責任と判断についてです。



一般的に我々設計者は依頼者のご要望をお聞きし、それを設計によって具体的な形にしてゆきます。その過程ではプランニングや仕上げなど、建て主さんのご意見を聞きながら進めてゆくことになります。

今回の計画も原則としては先のような手順を踏んでいますが、今回のような規模の計画になると、些末な細部にまで建て主さんのご意見を聞いているわけにはいかなくなります。そうしたときに問われるのが、先の設計者としての責任と判断です。

建築行為には大変な費用がかかりますので、いざ出来上がってみたら「思っていたのと違う」と言われてもやり直しはききません。そのために我々に必要になるのは建て主さんへの確認ということになるわけですが、時にそれがエスカレートすると、その仕様の可否そのものの判断をも、建て主さん側に委ねてしまうことにもなりかねません。

それは建て主さんのご意見をお聞きしたといえば聞こえは良いのですが、単なるクレームを避けたいがあまりの設計者の責任放棄になっているケースはないでしょうか?「だって、建て主さんがそうおっしゃったので」そう言えば許されるという甘えが、少なからずそこには含まれているような気がするのです。


我々がこれまでに手がけてきた住宅は、この20年でおよそ100件あまりになります。我々は住宅設計のプロフェッショナルであり、美意識や技術力、情報量すべてにおいて、一般の人よりは上でなくてはいけないとも思っています。

ところが多くの建て主さんが建てる家は、一生に一度きりです。そして我々の事務所にご相談に来た段階では、まだ一度も建てたことのない状態でいらっしゃることがほとんどなのです。

そんな一度も家を建てたことのない建て主さんに対し、「間取りはどうしたらいいですか?」「仕上げは?」「色は?」とプロがこと細かくお伺いを立てるというのは、実はおかしいことなのではないかと私は思います。

かといって建て主さん側も、はなから「お任せします」と我々に投げられてしまうのも困ります。これは逆に建て主さん側の責任放棄です。

「建築士が勝手にやったこと」と言う人が世間にいますが、一度も図面を見ていない、もしくは関心を持っていなかったとしたら、やはりこれも先の優柔不断な設計者と同罪ということにならないでしょうか。


私は建て主さんとの理想的な関係は、必ず我々がイニシアチブを取り、常に提案ベースで一歩先を行く”道先案内人”であることだと思っています。

「どうしますか?」ではなく「○○が良いと思いますが、どうですか?」もしくは「こういう理由で、○○がベストだと考えたのでそのようにしました」という我々なりの結論ありきの対話です。

もちろん、建て主さんはそれに対して違和感や反論があれば、相手がプロであろうとも躊躇なく口にすべきです。これはお互いが最後に言い訳をせず、フェアに家づくりをするための最低限のルールだと思うからです。


この「紬の家」は、建て主さんと言い尽くせぬほどの膨大な対話を積み上げていったプロジェクトでした。ですが一貫していたのは、我々が建て主に成り代わって「判断する」というスタンスです。たとえ、建て主さんが要望を出したとしても、我々がそこに違和感を感じたときは首を縦に振りませんでしたし、建て主さん側も同様にそうでした。

物事がスムーズに決まってゆかないジレンマはありましたが、長い長いトンネルを抜けた先に待っていたのは、それらがすべて結晶化し、役割を全うしたという爽快感だった気がします。

「思ったことはすべて伝えたけれど、結論に後悔はありません。最後まで投げ出さずに向き合ってくれたことに感謝します」とおっしゃって頂けたその一言に、この二年半の苦労がすべて報われた気がしました。