20. 11 / 21

コロナと共に

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sekimoto

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> 思うこと
> 生活


コロナが第三波。それがどうした、としか言えない。これ以上どうすれば良いかわからないから、結局私の暮らしはいつも通りだ。

我々の暮らしはすでにコロナと共にある。ウィズコロナというやつだ。夜の街を呑み歩くこともないし、会合やセミナーだってオンラインだ。外出の時にはマスクを着用。帰宅したら手洗いか消毒。すでにそれが日常の一部になっている。

そんなコロナ禍のローカルルールがある。たとえば「家族は大丈夫」というルール。家族は大丈夫だから家の中ではマスクを外して良い、みたいな。家族だって毎日通勤や通学しているわけだから、感染リスクは他人と変わらないはずなのに。

たまには旅行にも出かける。食事にも行く。十分に注意しながら、といってもマスクを付けて移動する以外にできることはないわけで。近頃では、お店側で先回りをして感染対策もしてくれている。そこで我々は「家族」と「感染対策を行われているお店」に行くから大丈夫だと、ここでも心の中にローカルルールを作るわけだ。

我々のような設計事務所も、「スタッフは大丈夫」というローカルルールを暗黙に心の中に持っていなければ成立しない。もし感染者がいたら、マスクをしていたってこの狭い密室ではアウトなわけだし。事務所の中ではみんなマスクをしているが、それも「マスクをしているから大丈夫」という自己暗示によって、お互いのローカルルールを確認しあっているだけにすぎない。

身も蓋もないことを言えば、マスクをしていても感染するときは感染する。すべては確率論の話で、たとえば東京都で一日に500人感染したといっても、確率論で言うと0.00005%の感染率ということになる。逆に言うと99.99995%の人は一日に感染していないともいえる。

だから大丈夫だと言いたいのではない。
コロナが第三波。それがどうした。私はこれまで通り、コロナと共に生きる。それしかないではないか。