20. 03 / 21

さくらのトトロ

author
sekimoto

category
> 思うこと
> 生活



誰しも心象風景というのがあると思う。あれはどこで見た景色だっただろう?けれども思い出せず、あれはもしかしたら夢だったんじゃないかと思う。

昨日は連休の初日、道は大渋滞。こんな時Googleのナビは頼もしい。手段を選ばず、土手の上をひたすらに走らせる。そのうちここはどこだろう?という田舎道に入り込み、気づけば昔住んでいた町の近くだった。

懐かしい。けれども当時の記憶もあやふやだ。そうそう、この近くにも友達が住んでいたっけ。もう30年以上も昔の話だ。そんなことを思いながら感慨深く通り過ぎる。

車がもはや見覚えのない市境に差し掛かろうとしたときだった。思わず「あっ」と声が出た。ここは見たことがある気がする。この桜の木!違うかな。

車を停めて確かめる。でも確かこんな感じだった。まだ小学校にも上がらない幼い頃、隣町の児童公園に行った時の記憶だ。そこには自分以外にも何人か子供がいて、結婚前の叔母もいて、けれども親はそこにはいない。

それってどんな状況?と思わず突っ込んでしまいたくなるけれど、そんな道すがらにここで休憩をしたのだ。それをなぜか幽体離脱したような俯瞰的な視点で私は見ている。さして意味があるとは思えないそのシーンが、その後も何故か幼少期の記憶の一部としてフラッシュバックする。無性に懐かしく、切なくなるシーンとして。

地図を見て鳥肌が立った。そのすぐ近くにその児童公園があった。やっぱりそうだ、ここを通ったのだ。遠い昔に見た映画の世界に潜り込んでしまったような、不思議な感覚だった。

「となりのトトロ」はメイとサツキが田舎町でトトロに出会う話だ。トトロは大人には見ることができない。大人になったメイやサツキも、やはりトトロを見ることはできなくなるのだろうか。

次に通った時には、桜の木はもうないかもしれない。