20. 02 / 16

ずきっとする

author
sekimoto

category
> 仕事
> 思うこと


民間検査機関の処分報道。これから書くことは今回の処分内容とは直接関係はないという前提で読んでください。

建築に限らず、法規というものは作っているのも人間、それを判断するのも人間。そしてそこに書かれているのは常に原則論でしかないので、各論については解釈が生まれる。ある人はそれで良いといい、ある人はダメだという。我々なら、ある民間検査機関で法解釈を巡ってダメだと言われて出口がなくなり、でもそれっておかしくない?という理不尽だけが残り、別の民間検査機関に持ち込んだらあっさりOKがもらえたということもよくある。

こういう話をヒリヒリした実務に携わっていない人が聞くと、ズルしてるんじゃないかとか、脱法行為なんじゃないかとか思われるかもしれないけれど、そうじゃない。当事者である建築士は、いつも冤罪事件の弁護人みたいなものだ。有罪になったら上告して最高裁で戦うみたいな。最高裁から「無罪」と書かれた札を抱えて飛び出す日を夢見て。

建築法規も学校の校則みたいだなと思うことがよくある。襟足は何センチとか、ソックスは白しかダメだとかばかみたい。元々は風紀を守るという目的だったはずなのに、それを細則に落としてゆくと途端に理不尽になっちゃうみたいな。それにわかりやすく背けば校門で体育教師に指導されちゃうわけだけど、賢い生徒は解釈で戦う。じゃあクリーム色は白か?みたいな。ベージュはアウトか?っていう。体育教師も困っちゃう。

今回の処分は、物分かりの良い先生がいて、生徒の喫煙を見て見ぬふりをしたとか、さらにちょっと酒を飲ませちゃったみたいなことに近い。そもそもタバコ吸った生徒が一番悪いわけだけれど、でもそれを見逃した上に酒まで飲ませちゃったら完全にアウト。この一線の越え方には同情の余地はない。

でもね。あの時あの先生「お前の言ってることわかるぞ」って言ってくれたから今があるみたいな、そういう恩義をちょっと感じてる生徒はその先生が教育委員会でめっちゃ吊し上げ喰らっているのを、ちょっと心痛めて見てるみたいなことってあるかもしれないなぁ、て思う。

こうやって微妙に庇うようなこと言うと、めちゃくちゃ炎上しそうなので怖いんだけど。ちょっと心の奥がずきっとするという話。