author
sekimoto

category
> 北欧
> 思うこと



吉祥寺のカフェモイが閉店する。
ひと月ほど前にご連絡を頂きひどくショックを受けた。

カフェモイは私がフィンランド留学中に現オーナーの岩間さんから設計依頼を受けた、私にとって初めての仕事だった。岩間さんもその時点では会社員だった。

モイの仕事があったから私は帰国したし、迷わず独立できた。そしてわずか6坪のお店の設計から私のキャリアは始まった。

お店のロゴは私が作った。アールトチェアは幼馴染の山口太郎くんに輸入してもらった。(彼はそれをきっかけに北欧家具taloを立ち上げた)

カップ&ソーサーは、フィンランド時代の友人梅田弘樹さんにオリジナルで作ってもらった。お店の照明計画は、奥さんの梅田かおりさんが手がけた。写真は根津修平くんが担当し、遠藤悦郎さんが初期のサイトを作ってくれた。すべてフィンランドつながりのチームだった。

2002年にカフェモイは荻窪にオープンした。

しかし私には仕事がなく、お店に行くとお店にも客の姿がなかった。お店で岩間さんとおしゃべりしていても、誰にも気兼ねする必要がなかった。お店は大丈夫なのか心配だったが、私も人のことを心配している場合ではなかった。

私が忙しくなり始めた頃、カフェモイも北欧通の間では知られたお店になった。週末には行列ができるようになった。カフェモイを気に入って、設計を依頼くださる人もいた。岩間さんも来店された客にリオタデザインの宣伝をして下さっていた。

2007年に事務所を志木に移すと、カフェモイも吉祥寺に移転した。お店はやはり私が設計した。カフェモイのある通りには北欧系のお店が集まり、「北欧通り」と呼ばれた。雑誌にも取り上げられ、週末は中に入れないことも多かった。

年末には家族で「moi納め」と称して店に訪れた。息子は物心ついた頃からのカフェモイの常連だ。私もトークカフェとして、もう何回もこのお店で北欧の話をした。そこで知り合った若者がスタッフにもなった。

岩間さんに会うまで、私はコーヒーをおいしいと思ったことがなかった。開店前に岩間さんのお宅でご馳走になったコーヒーの味を私は一生忘れない。

閉店の知らせをもらった直後にお店に足を運ぶと、お盆でシャッターを閉めた通りの影響からか、お店にはお客さんの姿がなかった。そんなお店の姿は珍しかった。

いつもは混んでいるので控えていたけれど、客のいないお店で荻窪の時みたいに岩間さんとおしゃべりをした。17年ぶりだった。奇跡のような時間だった。

カフェモイは、昨晩オフィシャルに閉店のお知らせを出した。本日以降、カフェモイは閉店を惜しむお客さんで溢れるのだろう。次に誰もいないカフェモイを見る日には、おそらくいつものコーヒーの香りはそこにはない。


岩間さんお疲れ様でした。活動の次なる展開に期待します!
モイの空間を愛して下さった皆さま、17年間ありがとうございました。

.
『moi(カフェモイ)閉店と今後の展開についてのご報告』
http://moicafe.hatenablog.com/entry/2019/09/06/190000

.