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sekimoto

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> 思うこと
> 社会


「高輪ゲートウェイ」という駅名に多くの人が違和感を感じているようだ。その違和感はどこから来るのだろうと考えると、当事者の「こう見られたい」がそのもの本来の意味を追い越してしまっているからではないかと思う。

これは子供に付ける名前にもよく起こる。いわゆるキラキラネームと呼ばれる名前がそれにあたる。「高輪ゲートウェイ」である。

そしてこれは今回のようなネーミングの問題だけに留まらず、生活のさまざまな局面でこうした現象は起こる。住まいは建売りなのに、ガレージにはベンツが駐まっているというケース。これも「高輪ゲートウェイ」である。

対照的に、なんだその無駄に斬新な家は?という現象。これも「高輪ゲートウェイ」かもしれない。これは我々も肝に銘じなくてはならない。

我々の身の回りの「高輪ゲートウェイ」を見つけたい。
そしてこう言いたい。

高輪ゲートウェイかよっ!