今日スタッフと話していて、スタッフを雇うのは何のため?という話になった。設計事務所の主宰者の中には、スタッフは雇わず一人で仕事をしているという人も多い。私の身の回りでも半分くらいはそういう人ではないかと思う。
一般的には、人を動かすより自分一人でやったほうが判断が早いし、人件費もかからず気楽なのではないかという意見がある。これは確かにそうで、私もある意味同意するし、同じ理由で「だから人は雇わない」という方も多いのではないかと思う。
◇
では逆について考えてみよう。実際リオタデザインではスタッフを常時2~3名ほど抱えている。それは何のためだろう?
ひとつは、言うまでもなくたくさんの仕事を同時にこなすためである。一人ではできないことも、複数人集まれば仕事を手分けすることができる。
しかし、私の中でスタッフを雇って仕事をする理由はそれだけではない。最初はそう思っていたけれど、それより大きな効果があることに気づいたのだ。それは「仕事のクオリティを上げたいから」である。
自分のキャパシティを越えない一定数のスタッフは、確実に仕事の質を高めてくれる。これはもう10年以上もスタッフと共に仕事をしてきて、つくづく思うことである。その効果を一言でいうならば、「自らの仕事を客観視できる」ことであろう。
◇
例えば「自分はこう思う」ということをスタッフに投げたとする。優秀なスタッフはそれを忠実にトレースして返してくれる。しかし、その頃には自分の中で「それはちょっと違うな」という具合に変化していることも良くある。
スタッフとしては理不尽だろう。言われた通りにやったのに「違う」と言われてしまうのだから。私もスタッフ時代はいつもそう思っていた。でもそれは仕方がないのだ。所長はそう言いたいがためにスタッフを雇っているとも言えるのだから。
よく人の悩みにはアドバイスできるのに、自分がその渦中に嵌まると抜け出せなくなるということがある。部下の立場であれば、悩みは上司に相談すれば良いだろうが、さて上司は誰に相談すれば良いのだろう?
それを私はスタッフに自己投影し、スタッフを自分と同一化させた上で自分自身を批評するような、そういう状態を作って打破しているような気がする。
◇
またこうも言える。作業が伴わない設計(俗に言う、口で設計するという状態)の場合、良く言えば常識や慣習にとらわれず、あらゆる角度から自由に発言することができる(悪く言えば、単なるわがままとも言える)。だから、図面で違和感を感じると「キッチンの位置おかしくない?」「こんな壁取っちゃえば!」「窓小さすぎじゃない?」など好き勝手に放言できる。
スタッフとしたらたまったものではないだろう。(それ言ったの自分じゃん!)ってきっと心の中で思っているだろうが、私は何も気づかない振りをして、ただひたすらに良い仕事に着地させることだけを考える。
きっと自分で図面を描いていたら、「これやり直すの大変だな」とか「面倒くさいな」という気持ちがどこかにもたげるような気がする。
また、自分で描いた図面の間違いは意外と自分では気がつかないものだ。それが他人の図面だと、間違いがハイライトで点滅しているかのごとくよく見える。これはどうしたことだろう?これによって、九死に一生を得るような危険回避をしたケースは過去枚挙にいとまがない。
こんなことを書くと、いかにも私は事務所内でいつもひどい振る舞いをしているかのようであるが(いわゆるパワハラ?)、私は否定も肯定もしないでおく。詳しくはスタッフに聞いて欲しい。しかしこれだけは言える。もはや私はスタッフなしでは仕事はできない。そのくらい、私は彼らを頼りにしているのだ。
一般的には、人を動かすより自分一人でやったほうが判断が早いし、人件費もかからず気楽なのではないかという意見がある。これは確かにそうで、私もある意味同意するし、同じ理由で「だから人は雇わない」という方も多いのではないかと思う。
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では逆について考えてみよう。実際リオタデザインではスタッフを常時2~3名ほど抱えている。それは何のためだろう?
ひとつは、言うまでもなくたくさんの仕事を同時にこなすためである。一人ではできないことも、複数人集まれば仕事を手分けすることができる。
しかし、私の中でスタッフを雇って仕事をする理由はそれだけではない。最初はそう思っていたけれど、それより大きな効果があることに気づいたのだ。それは「仕事のクオリティを上げたいから」である。
自分のキャパシティを越えない一定数のスタッフは、確実に仕事の質を高めてくれる。これはもう10年以上もスタッフと共に仕事をしてきて、つくづく思うことである。その効果を一言でいうならば、「自らの仕事を客観視できる」ことであろう。
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例えば「自分はこう思う」ということをスタッフに投げたとする。優秀なスタッフはそれを忠実にトレースして返してくれる。しかし、その頃には自分の中で「それはちょっと違うな」という具合に変化していることも良くある。
スタッフとしては理不尽だろう。言われた通りにやったのに「違う」と言われてしまうのだから。私もスタッフ時代はいつもそう思っていた。でもそれは仕方がないのだ。所長はそう言いたいがためにスタッフを雇っているとも言えるのだから。
よく人の悩みにはアドバイスできるのに、自分がその渦中に嵌まると抜け出せなくなるということがある。部下の立場であれば、悩みは上司に相談すれば良いだろうが、さて上司は誰に相談すれば良いのだろう?
それを私はスタッフに自己投影し、スタッフを自分と同一化させた上で自分自身を批評するような、そういう状態を作って打破しているような気がする。
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またこうも言える。作業が伴わない設計(俗に言う、口で設計するという状態)の場合、良く言えば常識や慣習にとらわれず、あらゆる角度から自由に発言することができる(悪く言えば、単なるわがままとも言える)。だから、図面で違和感を感じると「キッチンの位置おかしくない?」「こんな壁取っちゃえば!」「窓小さすぎじゃない?」など好き勝手に放言できる。
スタッフとしたらたまったものではないだろう。(それ言ったの自分じゃん!)ってきっと心の中で思っているだろうが、私は何も気づかない振りをして、ただひたすらに良い仕事に着地させることだけを考える。
きっと自分で図面を描いていたら、「これやり直すの大変だな」とか「面倒くさいな」という気持ちがどこかにもたげるような気がする。
また、自分で描いた図面の間違いは意外と自分では気がつかないものだ。それが他人の図面だと、間違いがハイライトで点滅しているかのごとくよく見える。これはどうしたことだろう?これによって、九死に一生を得るような危険回避をしたケースは過去枚挙にいとまがない。
こんなことを書くと、いかにも私は事務所内でいつもひどい振る舞いをしているかのようであるが(いわゆるパワハラ?)、私は否定も肯定もしないでおく。詳しくはスタッフに聞いて欲しい。しかしこれだけは言える。もはや私はスタッフなしでは仕事はできない。そのくらい、私は彼らを頼りにしているのだ。
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