先週土曜日(14日),笹塚にある富士見丘学園という中高一貫校にて,「町の中のデザイン」というタイトルで建築の特別授業をさせて頂きました.

受講生は中学部と高校部に所属する生徒さん約20名.富士見丘学園では毎週土曜日には今回のような自由な講座枠があり,外部講師を招いたり,教頭先生自らも哲学などをテーマとした対話型授業などをされているとのことでした.

今回は教育系コンサルタントをされている友人(清水葉子さん)のご紹介で建築やデザインにも造詣の深い大島規男教頭とお会いし,お互い意気投合して今回の授業の話となりました.大島教頭は事前に竣工間近の「隅切りの家」にも足を運んで下さり,その様子を編集してプロ顔負けの告知動画を作って下さったことは先にブログでも紹介させて頂いたとおりです.

さて建築の授業といっても,建築学科の大学生や建築家に向けて話すようなことは通用しません.建築の素養を持たない子達に「建築ってなんだろう?」という問いかけを,どうやったら易しく話すことが出来るだろうという点にはずいぶん苦心しました.大島教頭とも何度か議論をし,今回の授業は「対話型」にしようということ,そしていつも目にしている日常の風景から”デザインの芽”のような,気づきを促すような授業にしようということになりました.

授業は三部構成で,まず第一部は私の仕事の紹介ということで「隅切りの家」の話をさせて頂きました.
隅切りの家は一見すると八角形で,見たことのないような形をしているのですが,実際にはあたりまえの気づきから,ひとつひとつを風景や生活シーンに当てはめていった結果なのだということをお話ししました.持参した模型を見せると,皆さん興味深そうに見入ってくれていました.

第二部では,事前に参加する生徒さんから町中で気になった風景写真を提出してもらい,その紹介とそこにどういう気づきがあったかという点をそれぞれ発表してもらいました.事前に渡された段階ではそれがどういう意味の写真なのかわかりにくかったのですが,直接語ってもらうことでその意味がはっきりした部分もありました.あるいはシャッターを押した本人も意識していなかったことも,他の現象と組み合わせてみると意外と深い意味を持っているということも,第三部につなげてここで伏線を張らせてもらいました.



第三部では,今度は私の視点から街中でよく見かけるなにげない風景の写真を映し,それに対してそれがどういう意味を持つ写真なのか,その意味や問題点,あるいはそれを解決する方法などについて,参加してくれた生徒さんと一緒にディスカッションしてゆきました.

ところが,ここでちょっとしたハプニング.
この時に映し出した意味深な写真群は,実は一般の大人に見せると皆首をかしげて,その意味するところをほとんどの方が答えられないのですが,生徒さんに振ると実に鮮やかに皆さん答えてしまいます.私としてはもっと悩ませて,最後にその意味を説明しようと考えていたのですが,生徒さんの頭の柔軟さには本当に驚きました.

この授業の主旨は,先入観を捨てて,純粋に物事と向き合うことの大切さを教えたいと思っていたのですが,我々大人よりもよほど先入観なく純粋な目でこの子達は社会を見ているのだなということに,逆に私の方が気づかされ教えられたような気がします.

今回教室に集まってくれた20名弱の生徒さんだけを見て判断するのは早計かもしれませんが,富士見丘学園の生徒さんは皆さんとても純粋で,感性豊かな生徒さんの集まりなのだなという印象を強く持ちました.

今回の特別講義のように,外部の講師を招き,それも高校のカリキュラムとは関係ない建築家を招いてデザインの話をさせるなど,一般の中学高校では私が知る限り聞いたことがありません.

今回この講義をお受けさせて頂いた背景には,事前に動画で大島教頭の対話型授業風景を見ていて,それがとても印象的だったこともありました.感性豊かな生徒さんを育む,学校側の教育の土壌というものも今回強く感じたことです.生徒さんはこのような自由な校風の学校で,今後ものびのびと個性を伸ばしていってもらいたいと思います.

今回このような機会を設けて下さいました大島教頭とコアネットの清水さんにも,この場をお借りして深く御礼申し上げます.