11. 10 / 28

カバーをつける

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sekimoto

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> 思うこと


なにかにカバーを付けるという行為があまり好きでない.

我々はなにかと色んなものにカバーをつけたがる.ところがモノにカバーをつけた瞬間,モノから確実に損なわれるものがあるような気がしてならない.なぜならデザイナーはそこにカバーがかけられることを想定していないからだ.

モノにカバーをかける,の典型的な例は携帯電話だ.とくにスマートフォンを持ち歩く人のほとんどは,各々のカバーをつけているのではないかと思う.理由は単純で傷つけたくないからだと思うけれど,それは間違った保護のベクトルだといつも思う.傷つく=モノの価値を損なう,だとすると,カバーを付けた時点で傷がつく以上に大きなダメージをモノに与えてしまっているからだ.

きっとデザイナーはその実機サンプルをいくつも作り,ためつすがめつ眺めてはその手触り,機能性と連動したフォルムを納得のいくまで詰めていることと思う.コンマ何ミリという単位にこだわって,いかに薄く,小さく,軽いモデルを作ろうと日々徹夜の日々を送っていることだろう.それがプラスチックの無粋なカバーを付けられた瞬間に台無しである.

僕はiPhoneを使っているのだけれど,同様にiPhoneを使っている人は是非思い切ってそのカバーを外してもらいたい.その裸の状態で使う美しさに是非触れてもらいたいと思う.

ただこのiPhone,薄い割には意外にずしりと重量があって,ポケットから取り出す時に思わず手からすべり落ちそうになるのだ.カバーを付けていないだけに毎回ひやひやする.できればストラップを付けたいのだけれど,iPhoneにはストラップを付けるところがないのである.

きっとこれは製作開発者,あるいはスティーブ・ジョブズ氏の「そんなのいらない」の一言でそうなっているような気もするけれど,美しさと同時に実用性も求めたい自分としてはそこが唯一の不満点でもある.

そこで,ここまで書いてきてなんなのですが,ひとつだけ僕はモノの価値を決定的に損ねるようなことをしてしまいました.天国のジョブズさん,ごめんなさい!


昨年末竣工したFILTER/U邸の取材があり,約半年ぶりにお邪魔してきました.
建物に近づいていくと駐車場の前に一枚の立て看板.ん,カフェ?
よく見たら住宅で余った棚板.そこにはお子さんの絵でかわいらしい絵が描かれていました.「パンのおみせ」…ハテ.

聞くとUさんがプロデュースして,ご友人の焼いたパンや食材などを住宅の軒先で売ることにしたのだそう.この日はたまたま取材日と重なってしまったようです.

この住宅,FILTERというコンセプトを設けたのも,まわりの雑然とした風景や街並みへの開き方や閉じ方が重要な意味を持っていたためで,そのくらいこのUさん方のおしゃれで洗練されたライフスタイルは,この地域になじむのか当初不安だったところもありました.

でも結局Uさんはその安全に巡らされた殻の中に閉じこもることなく,フィルターの目に自ら風穴をあけて地域へと飛び出していったようです.住宅の軒先にいきなりオープンした「パンやさん」.ところがこれが近所の方に大変好評で,不定期に開催されるこのお店にどこからともなく人が集まり,あっという間に売り切れてしまうのでした.

何かをはじめるのに期を熟すのを待ってはいられない.体裁は気にせずどんどん前に進むべき!これは僕の人生のモットーでもあり,Uさんともそんな話で盛り上がりました.

お店がなかったらお店はできない?
資格がなかったら独立はできない?

いやそんなことは全然ありません.すべては本人のやる気次第!どんどん体当たりしていくしかないのです.そうすれば自ずと道は開ける.僕もそうやってフィンランドに渡りました.そんなエネルギッシュなUさんに,この日もパワーをもらって帰ったのでした.

あ,僕も買い占めて帰ったパン,とってもおいしかったですよ!!
次回の開催も楽しみです.


11. 10 / 09

生意気

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sekimoto

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> 思うこと


あるコラムに「生意気には賞味期限がある」というようなことが書かれていた.
私も若い頃は生意気だった.生意気に見えないように気をつけていたけれど,やっぱり生意気だったと思う.

学生の頃,JIA(日本建築家協会)の学生賞をもらったことがあり,関係者に飲みに連れて行ってもらったことがあった.その席で「君は歴史についてどう思うか?」と訊かれて,「歴史には興味が無い.大切なのは未来だと思う」というようなことを発言した記憶がある.今思えば冷や汗ものである.

けれどもその席では,説教をされるどころか皆笑いながら「おもしろい」と言ってくれた.当時は根拠もなく自分に自信があったし,そんな具合に生意気を言っても,それを受け止めてくれる大人が周りにいた.

それが今では周りはだんだん年下が多くなり,生意気を言われて,それを受け止める立場になってしまった.スタッフや学生にも,良かれと思っての意見やアドバイスが,ついつい説教や余計なお世話になってしまうこともあって,実際かなり気を遣う.

また私の立場で本音を言ってしまうと非常に重い意味を持ってしまうので,関係者に対しての発言にも慎重に言葉を選ぶようになった.そういう意味では,奔放な発言をくり返していたあの頃とは大違い.まさに私の生意気の賞味期限はとっくに過ぎているのかもしれない.

ただ一方で,私が所属する団体の中にはまだまだ私より重鎮の先輩方が多数を占めているところもあり,そういうところでは私も無礼を承知でたまに”生意気”なことを言わせてもらったりもする.そこでは私よりもずっと大人な先輩方がやさしくフォローし,やんわりと諫めて下さる.ありがたいことである.

11. 10 / 07

悲しく

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sekimoto

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> 思うこと


プロとして,という言葉が好きだ.憧れと言ってもいいかもしれない.
NHKにプロフェッショナルという番組があって,最後にその人にとって「プロフェッショナルとは何か?」と問いかけるくだりがある.その難しい問いに自分ならなんて答えるだろうといつも思う.

プロの仕事というのが好きだ.現場に行ってプロの仕事を見せつけられると爽快な気分にさせられる.プロの仕事というのは相対的なものではない.そう言われたからやる,とかダメ出ししされたからやり直すのではなく,基準はすべて自分の中にあって,それは常に絶対的なものなのだと思う.プライドとか,こだわりとか,あるいはその人の哲学や価値観そのものだとも言える.

だから現場ではその成否を決めるのは,他人ではなく,他ならぬそれを作り出したその人自身にあるのだと思いたい.それゆえに現場で残念な結果になっていたりすると本当にがっかりするし,時に頭に血が上ることもある.

仕事の成否を分けるのは常に紙一重のことだ.ほんの少しの配慮があれば結果は天と地ほどの違いとなって現れる.それはモノやコトに対する愛情の問題ではないかと思うこともある.

昨日は悪い夢を見た.現場での不具合に職人に説教をしている夢だった.でもその職人は何を言われているのか見当もつかないようだった.その少し怯えたような覚めた目を見ていたら本当に悲しくなってしまった.

11. 09 / 29

流儀とぼやき

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sekimoto

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> 仕事
> 思うこと


我々のようなアトリエ事務所は比較的閉じた環境で仕事をしているので,他の事務所がどんな風に仕事をしているかを知る機会は,ありそうで実はあまり多くはない.だからそんな機会があると,つい前のめりになっていろいろと”情報交換”をしてしまう.

先日は,実施設計では僕も図面を描くという話をしたら驚かれた.他の事務所では「所長は図面を描かない」らしい.図面どころか,現場もあまり行かないという人や,クライアントとの打合せもスタッフまかせという人もいるらしい.これを最初聞いた時はウソでしょって思った.

うちでは僕もばりばり図面を描くし,現場も行くし,クライアントとも僕が打合せる.スタッフに全面的に任せるのは確認申請くらいかもしれない.ひとつにはスピードや責任の問題もあるけれど,なにより自分の目で見て聞いて,図面を描かないとその空間が肉体化しないような気がするからだ.

だからうちでは何件仕事があっても,動かしている実施設計は常に一つだけ.だから一定のキャパシティを超えると,クライアントを延々とお待たせすることになってしまう.

同業に言わせると,そんな僕のやり方は理想だけれど非現実的で非効率的なやりかただという.反論を試みようとするものの,それでは仕事を廻せないでしょう?と返されると黙ってしまう.実際その通りだから何も言えない.

でもそんな流儀を貫いてきたことによって,これまでクライアントとの間にも大きな問題もなく,隅々まで配慮の行き届いた空間をつくってきたという自負があるのも事実.

だからたぶんこれからも基本的な仕事の進め方は変わらないのだろうけれど,ただ事務所を運営する立場として,もう少し上手いことやらないとしんどいなぁ…とぼやきに近いこともまた考えてしまうのだった.