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街を車で走っているとやたらと目につくガソリンスタンドがある。これを仮にE社としよう。バンバンCMも流れているあそこである。

このE社の系列スタンドには専用のカードがある。このカードを使うと、常に店頭価格よりも割引価格で入れられるという。ならばこのカードを作らない手はない。私はこのE社のカードを申し込もうと考えた。

ところがである。このカードはなぜか個人専用で、法人は別途ビジネスカードとやらを作らないといけないらしい。もちろんビジネスカードで結構である。私は早速近所のスタンドへと足を運んだ。

店頭でビジネスカードを作りたい旨を申し出ると、奥からマネジャーらしき人物が出てきた。手には申込書を持っている。そしておもむろに説明を始めた。
「このカードで入れると店頭価格よりも7円高くなります」

は?私は混乱する。

構わず説明を続けようとするマネジャーを遮って尋ねる。
あの、高くなるって言いました?

「はい、7円高くなります」

えーっと、あの、ごめんなさい。私が馬鹿なのかな。理解できないんでもう一度聞いていいですか?7円高くなるって、どういうメリットがあるんでしょう?

「あ、はい。法人様だとお引落しが法人口座から引き落とせるので、お支払いが楽になります」

楽になるって。
えーっと、あの、ごめんなさい。私が馬鹿なのかな。それともマネジャーさんが、いやなんでもないです。わかんないんで、もう一度聞いていいですか?

クレジットカードでもガソリンって入れられるじゃないですか?法人カードなら法人口座から落ちますよね。そうしたら言っても店頭価格じゃないですか。

「ですね」

なのになんで、わざわざビジネスカード作ると7円高くなっちゃうんですか。それって損ですよね。何かいいことあるんですか?

「あぁ、そうですね。やっぱ、お支払いが楽になるってことでしょうかね」

えーっと、あの、ごめんなさい。やっぱ、私が馬鹿なのかな~。いや、もしかしたらガソリン会社さんが○○なのかな。ちょっとわかんないんですけど、間違っていたらごめんなさいね。

会社で車使っている人は、週末だけ車に乗る人より、ちょっと買い物に車使う人より、たくさんガソリン使いますよね。てことはお得意さんなわけだ。ガソリンスタンドはこういう人にたくさん来てもらいたいわけだ。ここまではいいですよね?

「はい」

他よりもお安くしますから、お客さん贔屓にしてくださいよ~、ていうのが商売ですよね。なのに、なんでそこ高くしちゃうかな?あれ、私間違ってるかな。

「いや、私も言っていて、これって得じゃないなーって思いました」

でしょー!よかった。私馬鹿じゃなかったんですね☆
て、おい。

あとで調べたら、地元の契約スタンドの店頭価格プラス7円の固定価格で、全国一律同じ値段で入れられるっていう"メリット"らしいんですが。それってメリットなのか?そもそも地元価格プラス7円ってどんだけ郊外だよ、ていう。だったら地元で入れるし。しかも店頭価格で。

やっぱ私が馬鹿なのかな?
誰か、カラクリ教えてください。

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我々のような小規模設計事務所をアトリエ事務所という。

アトリエの本質とは独立志向である。すべてのしがらみから離れ、自分の足で立って歩いてゆくのがアトリエの生き方である。地位や名声も自分次第。叩かれ地に堕ちるのも自分次第。もちろん保障もなにもない。そういう世界に飛び込もうとするには覚悟が必要である。

いきなりこんなことを書いているのは、我が事務所から巣立ち、独立を目指す者たちの近況がぼちぼちと私の耳に入ってくるからだ。それを感慨深く思う。

現役のスタッフも「いつかは独立」を胸に秘め、日々の仕事を修業と捉え、私の一挙手一投足を盗んでやろうと虎視眈々と狙っているに違いない。いやそうであってほしい。私がそうであったように。

アトリエとは生き方そのものである。建築もまた生き方そのものであり、どうやったら仕事が得られるかという問いは、自分がどうやって生きていくか、どうやって生きていきたいのかという問いと重なる。

大きなものに守られ生きる者には、自由と引き替えに保障と安定がもたらされるだろう。やりがいを求めてやせ我慢をする者には、孤独と引き替えに実りある仕事が舞い込むだろう。どちらも生き方だ。自分が望む方を選べば良い。

生きてゆくためには手段は必要である。最初は手段と目的は別々であることが多い。ところが往々にして、人は手段に目的を寄せてしまう。もとは手段であったものが目的そのものになってしまう。これを思考停止と呼ぶ。

そうではなく、目的に手段を寄せてゆく努力をしなくてはならない。もともとの目的が手段そのものになったとき、人は大きな達成感と充足を得ることが出来る。これが独立することの意味である。

アトリエ派として生きていくならば、見つめるのは自分の生き方そのものである。
がんばりなさい。

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以前、新潟の建具屋さんのことを書きました。

先日現場に行くと、建具が吊り込まれた後でした。でも見た瞬間「あ、違う」と思いました。違うといっても間違っているという意味ではありません。明らかに仕事の質が違うと思ったのです。

うちの建具はいつも同じようなデザインです。もうここ何年も大きな変化はなしです。現状でとてもうまくいっているので、大きく変える必要はないと思っているからです。

ところが小さな変更は毎回のように行っています。それはきっと、よほどのリオタウォッチャーでも気づかないくらいの微差の部分です。現場の建具屋さんによっても変えます。打合わせをしていて、製作にあたっての積極的な提案を出してくれれば、それで進めてもらうことも少なくありません。

それでうまくいかなかったら元に戻します。うまくいけば、バージョンがまたひとつ進みます。Ver.3.5くらいから、3.6に進んだり、あるいは3.51くらいのときもあります。


そうすると、どんどん完成度が上がってゆくのです。完成度はある日突然上がるものではありません。たまに突然変異のように進化することもありますが、毎回ではありません。

自分で言うのはおこがましいかもしれませんが、リオタデザインはすでにそれなりの完成度を手に入れてしまいました。それでも進化することをやめません。進化するためには、毎回辛抱強く同じ事を繰り返すことが何より大切だと私は思っています。


リオタデザインの住宅には派手さはありません。そこにあるのは、あたりまえの住宅です。ある人には退屈かもしれません。革新はありません。あるのはただ日常です。

話を冒頭にもどしますと、そんないつもと変わらぬ建具を見て、私は「あ、違う」と思いました。これはとても珍しいことなのです。私は、卓越した技術を持つ者だけが越えられる一線を見たような気がしました。

そしてこう思いました。これなんだと。
我々が目指してゆきたい仕事とは、こういうことなのです。それは日常の中にしか見いだせないものです。

いつもと変わらぬシナベニヤの建具に、私はとても勇気をもらったような気がします。

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とうとうエンブレムが白紙になってしまった。

この件を巡っては先にも書いたし、今もなお言いたいことはいろいろあるけれど、今はただ佐野氏からの声明を読み、同じ創作に関わる身として、またスタッフや家族を持つ身として、そして人として、私は佐野氏に心から同情する。

今朝の朝日新聞における加島卓氏(東海大准教授)のコメントに、すごくストンと落ちるものがあったのでご紹介したい。

「(前略)専門家によるデザインで満足するより、ゆるキャラのように、隙のあるデザインを応援しながら育てて楽しむのがネットの発達した今の市民参加型社会」

実は昨日もスタッフに話していた。こうなったら、もう「ゆるキャラ」しかないのではないかと。

加島氏の言うように、今の社会は確実に「市民参加型社会」になっていると思う。かつては、「デザインや建築のことは一般の人はわからないだろうから、専門家が決めてそれを発表すればいい」というのが通例だった。今回もそれを踏襲している。いわば「大本営発表型社会」である。

しかしどうだろうか。ここまで情報を同時に共有できる世の中になると、情報が得られない”ブラックボックス”である状態が、社会的不安や不快感を引き起こしてしまう。

安保法案だってそうだ。主権は国民にあるはずなのに、決定はブラックボックス(国会)の中にある。「というわけで決まりました」という大本営発表をそのまま受け入れられる時代ではないということを、政治家も気づいていない。

そして、それは建築やデザインだって同じなのだ。

お笑いのチャンピオンを決める番組で、会場の審査員とは別に”お茶の間審査員”と称して、視聴者が自由に面白かったと思える芸人に票を入れることができるシステムがある。地デジならではの双方向の情報共有化がなせる業であるが、いわばそれである。

会場の審査員は”専門家”であるので、一般の人ではわからない細かい技術的なことを審査すれば良い。もちろんそこには、審査員から見た「面白い/つまらない」という指標もあるだろうが、審査員が笑っていなくたって、お茶の間が笑っていればそこにはお笑いは成立しているのだ。

今回社会が言っているのはそういうことなんだと思う。

それが美しいかどうか、優れた案かどうか、使いたい!と思えるかどうか、そんなの使う人が決めれば良い。専門家から見て、少々デザイン的に詰めが甘かったり、展開性に欠けていたりしても、みんなで決めたものであればそれでいいんじゃないか。

それが「ゆるキャラの時代」なのだ。

この時代、くまモンやふなっしーを越える”エンブレム”はあるだろうか。お茶の間の誰からも愛され、テレビにも引っ張りだこのアイコン。展開性という意味では、今回のエンブレムを越える展開性である。なんてったって、足が生えて歩いているのだから!しかもふなっしーはしゃべるのだ。

あれがデザインだって?冗談じゃない!
まあまあ、そう怒らないで。

じゃあ、佐野氏の後にどんなエンブレムがイイと思う?ザハの後にどんな競技場があると思う?その案出した人、超バッシングされると思うけどわかってる?耐えられる?そんな勇気ある?

我々の住宅設計も同じなのだ。昔のように、寒くても暑くてもいいから安藤忠雄先生の家に住みたい!という時代ではない。

たとえ、そのことで多少デザインが丸くなることがあったとしても、設計のコンセプトが多少ぶれることがあったとしても、みんなで決めたことがこの時代には相応しいアイコンなのだ。

なにあの窓?笑、とか、この屋根おもしろーい笑、という具合に、末尾に「笑」が付くようなもの。「笑」は共感のサインである。優れた建築やデザインは今や総”ゆるキャラ化”していると言っても過言ではない。証拠に、佐野氏がブレイクした代表作にはauのLISMOもあるのだ。

で、ここからは私の提言。

新しいエンブレムは公募で選ぶらしい。であるならば、膨大に集まった応募案を1次選考でふるいにかけ、100作前後をネットに公開すべきである。

そこには自由に市民がコメントを書き込んだり「いいね!」したりして、人気を見える化したら良い。でもネット上では意見が偏るし、操作も入るからそれは審査には加点しない。ただ世論として共有すれば良い。

次の二次選考では専門の審査員が自分の意見と世論との間でバランスを取り、5作品程度を最終選考に残す。この時点では「2ちゃんねる審査員」が徹底して類似案がないかをググって検証する。

最後の5作品から1作品を選ぶ過程は、テレビで生中継である。もちろん会場の人や、お茶の間審査員も投票できる。実況は松岡修造だろう。デザイナーが思いの丈をプレゼンし、いよいよCMをはさんで発表!

発表は、そうだな、東京オリンピック開催を「TOKYO 2020」と書いた札で表現した、あの外国人が良いだろう。抱き合って喜ぶ滝川クリステル。

絵が浮かぶようだ。

15. 08 / 19

スケープゴート

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デザイナー佐野研二郎氏のエンブレム問題で、毎日のように新事実が発覚したり、これも盗用じゃないかとか、はたまた佐野氏の人脈図をあげつらってみたり、私は毎日こういうネタを見る度に心底うんざりする。

みんな、どうして一人のデザイナーの足を引っ張ることにそこまで執着するのだろう。どうして世の中の人は自分には関係ないことに、そこまで執心して騒ぎをどんどん大きくしようとするのだろう。

私にとって、そのデザインが盗用であるかどうかなんてどうでもいい。そのデザイナーが清廉潔白かどうかなんて自分には関係ないことだ。

それが本当に盗用なら、そこに悪意があったのなら、私はその人を軽蔑するだろう。そのデザインを自分の中で葬るだろう。ただそれだけのことだ。あるいは、私がお金を払って依頼した人に、そんなことをされたら私は本気で怒るだろうが、今回別に私の懐はちっとも痛まないし、不利益や実害もない。

今回騒いでいるのは、どうやら依頼主ではないようだ。じゃあ誰が騒いでいるのか?パクられたと言って怒っている人もいるが、多くは関係ない人たちである。もうちょっと言うと、オリンピックすらもどうでもいいと思っている人たちである。

私は佐野氏の五輪のエンブレムは好きだ。良いデザインだと思う。
会見を見る限り、私は彼は嘘を言っている人だとは思わない。

トートバックの件なんて、もっとどうでもいい。サントリー商品を買って、やっとお目当てのデザインを手に入れて、それが盗用だったことがわかったとする。私でもそればかりはがっかりするかもしれないけれど、「まじかよ」とかいって「佐野のやろう!」とかちょっと毒づいて、でもそれでおしまい。だってキャンペーン賞品だし。

もちろんキャンペーン賞品にだって、デザインのモラルはある。でもどうも論点がずれているようだ。詰まるところ、それはトートバッグが問題なんじゃなくて、エンブレム(=権力)にケチをつけたいがためのスケープゴートなのだ。

私が許せないのは、あたかもデザイナーのモラルとか良心とか言っておきながら、「賞賛の嵐!デザイナーが1時間で作ったオリンピックのロゴが話題」てどうよ?てこと。よくもまあ、同じデザイナーとかいう肩書きを謳っておきながら、こんな失礼なことをするもんだと思う。

挙げ句の果てには「佐野研二郎氏がデザインした東山動植物園のマークが、コスタリカの国立博物館のマークと似て」て、おい。どーでもいいわ!

人を勝手にクロと決めつけて、こてんぱんにやるというのが最近の風潮らしい。魔女裁判か。趣味が悪いとしか思えない。