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地に堕ちた

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sekimoto

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> 建築・デザイン


[caption id="attachment_6277" align="alignnone" width="553" caption="新国立競技場|ザハ・ハディド案"][/caption]故スティーブ・ジョブズ氏の伝記を読んだ時,最も共感を覚えたのは,彼はすべてをコントロールしようとしていたということだ.大企業でモノを作る際には,どうしても個人の思惑や思い入れのようなものは経済や数の論理によって薄められてしまいがちだ.

そこを執拗に自分に引き寄せるようにしてモノを作っていたのがジョブズ氏だった.それが人には変人とかエゴイズムと取られることもあったかもしれないけれど,建築やデザインに携わる者にとってこれがどれだけ大切なことか痛いほどよくわかるはずだ.それがジョブズ氏の生き様だった.

2020年オリンピック招致に向けた,新国立競技場コンペの最優秀案が発表になった.当選案はロンドン在住の建築家ザハ・ハディド氏.難しい名前で一般の人には馴染みはないかもしれないけれど,建築を志す者なら知らぬ者はいない世界的な前衛建築家である.

このコンペに関しては言いたいことが山ほどある.なぜ今あるものを壊さなければいけないのか,その財源はどこから持ってくるのか,そのアンフェアな案の募り方など.けれどもそれらを全てここで封印したとして,案の好き嫌いは別にしたとしても,この手の競技場は常に大手事務所による卒ない設計でまとめられてきたことを考えれば,東京にザハの競技場が建つと考えただけでも,一建築家としてはわくわくする気持ちを抑えきれない部分は正直ある.

ところが,この結果を報じるネットの配信ニュースを見るとこうある.

『今後は、ハディドさんとデザイン監修に関する具体的条件を協議し契約を締結後、正式に新国立競技場の基本構想デザインに採用予定。設計チームは、あらためて基本設計、実施設計の設計者をプロポーザルで選定し組まれる』

ちょっと待て.なんだ基本構想デザインって.設計チームはあらためて基本設計,実施設計の設計者をプロポーザルで選定し組まれる,てことはザハは設計をしないのか.じゃあ一体彼女は何をするんだろう?

このくだりを読んでピンと来ない方がいたとしたら,それが今の日本における建築家の立ち位置であり認知度なのだろうと思う.建築家はけっして建築の表皮をデザインする人ではない.お絵描きをする人ではないのだ.景観はもちろんのこと,意匠と構造,予算,機能や設備や心地よさのようなものを総合的に”統合”する役割を担う人のことを差すのである.

その建築家からそれら全てを奪っておいて,数枚のCGパースだけでデザインを選ぶ.つまり「建築家は構造なんてわかってないし,お金の計算もできない.設備や機能のことなんて考えも及ばない人たちだから,体よく格好いいデザインパースだけを描いてもらって,国際オリンピック委員会にアピールしたい」という意図が見え見えなのである.

その後はおそらく”空気が読める”日本の事務所が設計をまとめるのだろう.そしてこのデザインパースによく似た建築ができあがる.でもそれは断じてザハの設計とは呼びたくない.建築家は全てをコントロールしなくてはならないのだ.

私は一建築家として,これ以上の建築家に対する侮辱はないと思っている.建築家を政治に利用しようとする主催者も主催者なら,それに乗っかる建築家も建築家である.そしてその審査委員長が安藤忠雄さんというのも,本当にがっかりさせられる.私は安藤さんに憧れて建築を目指していた部分もあったから,安藤さんにはこういうものに異を唱える人であり続けて欲しかった.

この案を募るタイトルには当初より「国際デザイン・コンクール」とあった.通常設計案を募る場合は「コンペ」と謳うのが通例だから,最初から違和感はあった.でもこれでその違和感がどこから来ていたのかがわかった.それは子供の「お絵かきコンクール」と同じ響きを持つものだったからだ.建築家も地に堕ちたものだと落胆を隠せないでいる.