いつの頃からか、トークイベントや講演の登壇者としてご指名を多く受けるようになった。今年は特に異常で、もう何本やったか記憶にないほど。今年はあと3ヶ月しかないというのに、お引き受けしている分だけで10本近く。困惑しつつ、やはりご指名を受けると嬉しくなってつい受けてしまう。
私はもともと人前でしゃべるのが苦手で、しゃべろうとすると頭が真っ白になってしまう。それをいつの頃からか克服した。今では人前でしゃべることに何も抵抗はないし、緊張することもない。慣れとはすごいと思う。
私の場合どこかの著名建築家と違い、自分の作品を自由に語るというよりは、誰かからお題を頂いて、そのテーマで話すということがほとんどだ。多くの場合スポンサーがいて、その依頼主を立てながらも、依頼主の意に沿った話をする。お世辞やおべっかを使うのではなく、自分の立ち位置に忠実であることだけを考える。
相手が自分を指名したということは、私に何らかの仕事のイメージや期待があるということだ。関本さんならこういう話をしてくれるだろう、という具合に。それを裏切らないことだけを考える。それは設計を依頼された場合も同じだ。サザンを買ったらサザンであって欲しいように。ミスチルを買ったらミスチルであって欲しいように。
私の場合、自らが登壇者となって話をすることもあれば、司会者やファシリテーターとして呼ばれることも多い。後者の場合、私は徹底して来場者側の目となり耳となり、みんなが聞きたいであろう適切な質問と仕切りを心がける。仕切りの悪いセミナーではイライラしてしまって、つい自分が出て行って仕切りたくなってしまう。
正直言うと、私は登壇者としてより、司会やファシリテーターとしての役割の方が向いていると思う。自分の話をするよりも、人の話を聞く方が好きなのだ。そこが住宅建築家としての私の居場所なのだろうと思う。
私はもともと人前でしゃべるのが苦手で、しゃべろうとすると頭が真っ白になってしまう。それをいつの頃からか克服した。今では人前でしゃべることに何も抵抗はないし、緊張することもない。慣れとはすごいと思う。
私の場合どこかの著名建築家と違い、自分の作品を自由に語るというよりは、誰かからお題を頂いて、そのテーマで話すということがほとんどだ。多くの場合スポンサーがいて、その依頼主を立てながらも、依頼主の意に沿った話をする。お世辞やおべっかを使うのではなく、自分の立ち位置に忠実であることだけを考える。
相手が自分を指名したということは、私に何らかの仕事のイメージや期待があるということだ。関本さんならこういう話をしてくれるだろう、という具合に。それを裏切らないことだけを考える。それは設計を依頼された場合も同じだ。サザンを買ったらサザンであって欲しいように。ミスチルを買ったらミスチルであって欲しいように。
私の場合、自らが登壇者となって話をすることもあれば、司会者やファシリテーターとして呼ばれることも多い。後者の場合、私は徹底して来場者側の目となり耳となり、みんなが聞きたいであろう適切な質問と仕切りを心がける。仕切りの悪いセミナーではイライラしてしまって、つい自分が出て行って仕切りたくなってしまう。
正直言うと、私は登壇者としてより、司会やファシリテーターとしての役割の方が向いていると思う。自分の話をするよりも、人の話を聞く方が好きなのだ。そこが住宅建築家としての私の居場所なのだろうと思う。
