[caption id="attachment_1658" align="alignnone" width="560" caption="大地の皮膚|エル・アナツイ"]
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仕事もなく,家族も出かけ,久しぶりにひとりまっさらな日曜日.
さてこんな日は何をして過ごすべきか.仕事だけはとりあえず選択肢から外しておこう.
というわけで,子どもがいたらオチオチ出かけられない美術館へとひとり出かけることにした.まずは以前から気になっていた埼玉県立近代美術館で開催中のアフリカのアーティスト,エル・アナツイ展へ.
アフリカの土着性を感じさせながらも,アナツイの作風は驚くほど洗練されている.
大量の缶詰や空き瓶のキャップを途方もなくつなぎ合わせ,一枚のテキスタイルのように紡ぎ上げる作品群にはただただ圧倒された.
ただそれがけして作家ひとりの制作物ではなく,町工場のように人々が黙々と作業を続けた先に到達しているという事実にもまた目から鱗だった.ある意味彼の手法は「民芸」的とも言えるのかもしれない.
たとえば建築へのアプローチにもふたつの道があると思う.フラッシュアイデアから瞬間を切り取る一発芸のようなアプローチと,素朴な素材を使い平凡ながらもコツコツと手数を重ねることによって圧倒的なマッスを形成してゆこうとするアプローチ.
アナツイのそれは明らかに後者によるもので,そして僕はそういうアプローチが嫌いじゃない.たとえば学生や一部の建築家などは,どうしても見栄えのする一発芸的なアプローチを好む傾向にあるように思う(僕もかつてそうだった).
けれど不器用ながらこういうアプローチもあるということ,そしてそれは時にすべてを凌駕するほどの効果を発揮することもあるのだ,ということを今回あらためて実感したような気がした.
次に向かったのは東京オペラシティで開催中の「家の外の都市の中の家」展.
これは思いのほか良かった.
我々は住宅設計と向き合いながらも,いつも「都市」について思いを巡らせている.
わずか30年の周期で新陳代謝を続ける住宅群と,その集積としての都市.
細分化し高騰化する土地と,その反動でローコスト化する住宅(土地>建物).
住宅と住宅のあいだに生まれる,使い途のない意味不明な隙間….
展示はベネチアビエンナーレ国際建築展の帰国展ということもあり,それら日本の住宅や都市を取り巻く特異性についてわかりやすく抽出し提示していた.(キーワードの「ヴォイド・メタボリズム」はまさに東京という都市を象徴した言葉だ)
ただそれらは問題点でもあるのだろうが,抽出の仕方によっては大いに建築の主題となりうることもわかった.実際に巨大模型として展示された「ハウス&アトリエワン」「森山邸」などには,それらに対する重要な回答や提案が含まれているようにも思えた.これからは少し都市と住宅との関係についても見方が変わってきそうだ.
ちなみに,前述のアナツイとの比較で言えば,こちらはあきらかに前者のアプローチ.
切れ味鋭い瞬間芸であろうが,ただそう見せておいて,その中のプロセスには膨大な思考の痕跡があったであろうことが容易に推察できるところが逆に魅力的でもあった.
ふたつの異なる対照的な作品群を目の当たりにし,手法について,また都市や住宅について,いろいろと考えさせられた一日だった.
[caption id="attachment_1662" align="alignnone" width="560" caption="第12回ヴェネチアビエンナーレ日本館展示風景"]
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仕事もなく,家族も出かけ,久しぶりにひとりまっさらな日曜日.
さてこんな日は何をして過ごすべきか.仕事だけはとりあえず選択肢から外しておこう.
というわけで,子どもがいたらオチオチ出かけられない美術館へとひとり出かけることにした.まずは以前から気になっていた埼玉県立近代美術館で開催中のアフリカのアーティスト,エル・アナツイ展へ.
アフリカの土着性を感じさせながらも,アナツイの作風は驚くほど洗練されている.
大量の缶詰や空き瓶のキャップを途方もなくつなぎ合わせ,一枚のテキスタイルのように紡ぎ上げる作品群にはただただ圧倒された.
ただそれがけして作家ひとりの制作物ではなく,町工場のように人々が黙々と作業を続けた先に到達しているという事実にもまた目から鱗だった.ある意味彼の手法は「民芸」的とも言えるのかもしれない.
たとえば建築へのアプローチにもふたつの道があると思う.フラッシュアイデアから瞬間を切り取る一発芸のようなアプローチと,素朴な素材を使い平凡ながらもコツコツと手数を重ねることによって圧倒的なマッスを形成してゆこうとするアプローチ.
アナツイのそれは明らかに後者によるもので,そして僕はそういうアプローチが嫌いじゃない.たとえば学生や一部の建築家などは,どうしても見栄えのする一発芸的なアプローチを好む傾向にあるように思う(僕もかつてそうだった).
けれど不器用ながらこういうアプローチもあるということ,そしてそれは時にすべてを凌駕するほどの効果を発揮することもあるのだ,ということを今回あらためて実感したような気がした.

次に向かったのは東京オペラシティで開催中の「家の外の都市の中の家」展.
これは思いのほか良かった.
我々は住宅設計と向き合いながらも,いつも「都市」について思いを巡らせている.
わずか30年の周期で新陳代謝を続ける住宅群と,その集積としての都市.
細分化し高騰化する土地と,その反動でローコスト化する住宅(土地>建物).
住宅と住宅のあいだに生まれる,使い途のない意味不明な隙間….
展示はベネチアビエンナーレ国際建築展の帰国展ということもあり,それら日本の住宅や都市を取り巻く特異性についてわかりやすく抽出し提示していた.(キーワードの「ヴォイド・メタボリズム」はまさに東京という都市を象徴した言葉だ)
ただそれらは問題点でもあるのだろうが,抽出の仕方によっては大いに建築の主題となりうることもわかった.実際に巨大模型として展示された「ハウス&アトリエワン」「森山邸」などには,それらに対する重要な回答や提案が含まれているようにも思えた.これからは少し都市と住宅との関係についても見方が変わってきそうだ.
ちなみに,前述のアナツイとの比較で言えば,こちらはあきらかに前者のアプローチ.
切れ味鋭い瞬間芸であろうが,ただそう見せておいて,その中のプロセスには膨大な思考の痕跡があったであろうことが容易に推察できるところが逆に魅力的でもあった.
ふたつの異なる対照的な作品群を目の当たりにし,手法について,また都市や住宅について,いろいろと考えさせられた一日だった.
[caption id="attachment_1662" align="alignnone" width="560" caption="第12回ヴェネチアビエンナーレ日本館展示風景"]

