先週末は大学の先輩であり、大学でもお世話になっている佐藤慎也先生の設計した住宅の見学会へと行って参りました。

慎也さんは学生時代からそうでしたが、型破りな先生で、大学でも研究テーマを”アート”に置いていることから、今回の見学会もいわゆる”オープンハウス”とはせずに、「アトレウス家の新築」というタイトルのアートイベントとして開催されていました。おそらく、案内を受け取った方の半数以上は意味が分からなかったと思います笑

[アトレウス家の新築]
http://thoa.gr/

建物としては文京区の下町に建つ木造3階建ての住宅で、今回は単なる見学会ではなく、製作のプロセスを映像化し、そこにモノローグを載せることで固有性の高い住宅を、一種のアノニマスな現象に置き換えてしまう(私の解釈が間違っていたらごめんなさい!)という映像作品が室内でも上映されていました。

実はこの住宅の計画の初期では、慎也さんの紹介で、私もこの建て主さんと面談をしていました。結局スケジュールその他で折り合いがつかず、結局慎也さんが共同設計者と共に設計を引き受けることになったようですが、このように「もしかしたら私が設計していたかもしれない住宅」を見に行くというのは、いつもとても興味深いものです。

細かい具体的なポイントは省きますが、この住宅の作り自体とても大らかで、ヒューマンスケールで作られていたことにとても好感を持ちました。また1階が特定の目的を持たない図書館のような公民館のような空間となっており、おそらくは生活に直接は直結しないであろうこの空間が、全体の1/3を占めているという構成にも驚かされました。

おそらくは、街とどのようにつながるかという点を突き詰めていった結果なのかもしれませんが、それを受け入れたクライアントの度量も賞賛に値するものがあると思います。

そこであらためて思ったのは、私の住宅の作り方は極めて職人的なのだなということです。全体の細かい整合性を突き詰めて行った先にリオタデザインの住宅はあるわけですが、ひとたび筆を置いて、このように都市的に、大らかに全体を構成していった先には、きっと豊かで大らかな生活があるのだろうなと思うと、とても魅力的であるように思います。

かといって我々の住宅ポリシーが変わることはないかもしれませんが、ただひとたび一部のディテールが崩れると全体系に影響を及ぼしてしまうような作り方ではなく、もう少し街やいろんなものを懐深く受け入れる住宅のあり方を考えていきたいなあと、この日は強く思ったのでした。

慎也さん、またクライアントのFさま、ご案内をありがとうございました!