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月見問題

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sekimoto

category
> 生活


その日、目の前にあったのは大きな困難であった。
月見問題である。

今にして思うと、まったくを持って魔が差したとしか思えない。そもそも意味がわからない。何がって、もちろん月見そばのことである。

今すぐプチッと潰せば良いのか?
それとも潰さずに、最後まで持って行くのか?

今すぐ潰すとする。するとどうなる?
黄身は汁いっぱいに広がり、収拾がつかなくなるだろう。

すると、あれか。崩した黄身が汁に彷徨う刹那、蕎麦をその下から素早く掬い上げ、もろともに絡め取ってしまえば良いのか。そうか、それだ!

いや待て。本当にそうなのか?

それは最初のひと掬いかふた掬いのことではないか。その後黄身は汁の中へと消え失せ、”ほんのり卵味の汁”に成り果ててしまいはしないか。しかもそれを回収するには、汁を最後まで飲み干さなくてはならなくなるではないか!

あぶないあぶない。危うく道を誤まるところであった。

建築ではこういう時、結論を先延ばしにするのが定石(セオリー)である。検討と承認は常に慎重に行われなくてはならない。とりあえず箸を進めよう。そうだ、そうしよう。

ひと啜りふた啜り。その間も視線は黄身を捉えたままだ。両者睨み合ったまま、間合いを詰める。じわりじわり。どうする、俺。

そうしている間も、勝負の瞬間(とき)は確実に近づいている。
今か!いや焦るな、俺。

そして、その瞬間はやってきた。
とうとう覚悟が決まらぬまま、どんぶりの底が見えてきてしまったのだ。ガッデム!

突然の幕引きに関係者に動揺が広がる。果たして閉店を言い渡された最後の客のように、卵は残りの汁と共に、一瞬にして喉の奥へと吸い込まれていったのであった。

なにこれ。

結局かけそば食っただけっていう。
そして結果、ツユも全部飲んでしまったっていう。

果たして何が正解であったのだろうか。あれからずっと考え続けている。人生には、時に答えが見つからない時もある。そう、今の私のように。